年末に好青年という役を演じた

 人は生活の中で意識的、あるいは無意識的に色んな「役」を演じている。家ではゴミ箱に投げ損じたゴミを見て見ぬふりをする「怠け者」が、職場では1mmの誤差も許されない精密機械を作る「職人」の役を演じている。妻と子供の前では「立派なお父さん」が、実家で親と話すときは自然と「子供」の役になる。

 これらの事象に少なからず身に覚えがあるのではないだろうか。

 じゃあ年末の大掃除で掛け布団をコインランドリーに持っていく時はどんな「役」を演じているだろう?

今回はそのとき好青年を演じた男の話をする。

 年の瀬が迫り、世間では家のいろんなところを掃除するのが流行っているそうなので、その流行に乗っかった私は実家から持ってきて以降選択した記憶の無い掛け布団を洗ってやろうと考えた。別に汗臭いとかそんなことは無い、断じて。あえて自分の鼻で確かめたりはしない。

 といっても家の洗濯機で洗うわけにはいかないのでコインランドリーまで行く必要がある。家から一番近いコインランドリーはたしか200mほど先のネパール食品専門店の隣にあったはず。

 さて、今回はどんな役を演じながらコインランドリーまで行こうか。最近のお気に入りはカッターシャツの上に黒のロングコートを着るフォーマル気味スタイル。背が高いのもあって傍から見れば少し身なりのいい青年って感じだ。少なくとも今の自分はそう思い込んでいる。

 少し身なりのいい青年はでっかいゴミ袋に汗臭い掛け布団を詰め込んで家を出た。来てる服と持ってる物のミスマッチ感が半端ない気がするが好青年はそんなこと気にしない。

 さて、コインランドリーに無事ついたが中に若干浮浪者気味のおじさんがいた。いや、本当に浮浪者じゃないんだろうがここで「小汚いおっさん」と書くのはさすがに良心が痛むのでマイルドに表現した。

 しかし好青年は想定外のおっさんなんぞには動じない。目もくれずにランドリーの扉を開き、開いて…あれ、あかない。ランドリーの扉のレバーを回すのか?引くのか?なんで開かないんだ?おいおいおい、かっこいい好青年なのにこんなところでモタモタするなんてダサいじゃあないか!好青年はなんでもスマートにこなさなくてはいけないのに…!

そんな感じでレバーと悪戦苦闘していると「それはお金を入れてからあけるんですよ」という優しさと慈悲にあふれたアドバイスが聞こえた。まさかイエス様でもいるのかと思って振り返ると、そこにはさっきの小汚いおっさんがいた。いや、いまはもう違う。この紳士は、砂場に落とした飴玉のように甘い中身を砂で隠したナイスミドルなのだ。

 この砂まみれの飴玉みたいなナイスミドルのお陰で前金制らしいことがわかったが、財布を見ると小銭が無かった。好青年はコミュ力抜群なので名前も知らないその小汚いナイスミドルに「両替えってどこでできますか?」と聞いた。「両替機は無いので、そこの自販機で何か買ってもらって…」

 たまたま居合わせただけのおっさんとこうして気軽に会話をしている、遠慮なく人を頼ることができる、これこそ好青年らしいコミュニケーション。私が理想とする形の一つである。

 すっかり気分を良くした好青年は自販機で小銭を作ると、颯爽と汗臭い布団をランドリーにぶち込んで洗濯をスタートした。そして小汚イスミドルにさっき買ったばかりのあたたかい「おしるこ」の缶を渡した。

「これ、いろいろと教えてもらったお礼です」

「え、あ、ありがとうございます」

「それじゃあ、よいお年を」

「よいお年を!」

好青年は颯爽と帰宅していった。好青年の役に浸っている、一種の自己陶酔状態だったおかげで様々な出来事が生まれた。もし家で過ごしている時のダメ人間の役であれば「浮浪者気味のおっさんがいるコインランドリーに入る」ことも、「その小汚いおっさんにランドリーの使い方を聞く」ことも、「おしるこを買って御礼に渡す」ことも無かった。たぶんコインランドリー内に誰かいることが分かった時点で踵を返して他をあたっただろう。つまり何が言いたいかというと、

幸せな人を演じている限り幸せな世界は続くということである。


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