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ライフスタイルが変わる前に、忙しくなる前に。ステートメント的なものを記してみる。

昨年末あたりからStartup Hub Tokyo TAMAに度々通い、マーケティングプランナーとしてのキャリアもお持ちで写真映像作家としてご活躍されているコンシェルジュの松井みさきさんに、ブランディングのご相談、主にアーティストステートメントを構築するためのアドバイス等をいただいています。人間としての力石咲から掘り下げていただき、目を背けてきた経験が実は今の活動につながっていたことや、自分でも気づいていなかった視点を掘り起こしてくれたりと、みさきさんの手腕には毎回感謝したり驚いたりしています。さすがマーケティングプランナーです。そしてご自身もアーティストでいらっしゃるので、その視点でアドバイスをくださるのも信頼している点です。

さて、もともと文章を書くのが苦手、頭の中で考えていることを言葉にするのが苦手でステートメントを書くのも一苦労です。できた文章をみさきさんに見てもらい、内容や構成のブラッシュアップを重ねています。もう何回目になることか!笑みさきさん本当に真摯で思慮深く、どんどん掘り下げていただいているのでまだ完璧なステートメントはできていません。(でも頭の中では、自分の中では明瞭になっているし)大まかな感じではできてきたと思っているのでここに現状のステートメント的なものを大まかに書いてみようと思います。やりたいことは忘れるはずはないけれど、これからライフスタイルが変わることもあり、また急に忙しくなる予感がしているので、余裕がなくなって自分の考えにそれた作品を思いついてしまわないよう、一度まとめてみたいと思うのです。

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私は編むという手法を用いて、ネットワークをテーマとしたインスタレーション作品を作る現代美術家である。

日本美術史上に《縄文編みかご》という作品がある。縄文人が身のまわりの素材である植物に対して編むという技術を用いて作った、生活に必要な道具である。私も縄文時代から7000年続く「編む」という技能を有しているが、現代の日本に生きる私の身のまわりは様々なモノで溢れ、多彩な技術があり、生活に必要な道具は編まなくても手に入る。では私が生きていく上で真に必要なものとは何か。それは様々な場所や人との精神的なつながりである。私は編むという技術に「つながりを作る技術」という新しい価値を見出し、この技術を活用し場所や他者に接続する作品を作っている。

つながりを作る技術の発見は母の死がきっかけである。編み物は母から教わった。その際に編んでいたマフラーは編み途中で飽きてしまいしばらく眠っていたが、私が16歳の時に母が45歳で亡くなり、その後ふと思い出して完成させた。今思えば、編みながら母と交信していたのかもしれない。私にとって編むこととは、つながりを感じさせる行為である。母の死から、人や場とのつながりを希求するようになった。心の奥で、自分も女性特有の病気で亡くなった母と同じ状況同じ年齢で死ぬのかもしれないと思って生きており、様々なタイムリミットが来る前に、母のように家庭をもってみたいと思い家族を作った。内なる共同体ができると今度は、そこに安住しアーティストとして歩みを止めてしまったと周りに思われることを恐れ、また子どもを出産した際に強烈に感じた社会に取り残されたような感覚に焦り、そしてタイムリミットを感じるからこそ欲張りにたくさんの人と関わって生きていきたいという思いもあり、外とのつながりも強く求めるようになった。これまで様々な地域へ飛び込んでその場所や住民と関わり、そして都度、その関係性を編みという手法で可視化することで、自分がその場所や人とつながった痕跡を残してきた。そして現在の私は、自分と場所、自分と他者という関係性の構築に終止しない。そのつながりを通した先に、その場所が有しているネットワークを可視化したり、その空間とそこに存在するモノたちの境界線を曖昧にして一体となった、一つの社会のような作品を作りたい。こうしてこれまでの活動を辿ってみると、私のアーティスト人生そのものも多角的に広がるネットワークに例えることができる。母と私という血のつながりを起点とし、家庭的なつながりから社会的なつながりへと広がっている。

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私の作品は時の流れとともに変容する性質をもつ。編むという行為はほどくという行為と表裏一体である。例えば一本の編まれた繊維は編むことで多面的に広がり、ほどくと一本の糸に戻る。そしてまた編むこともできる。つまりひとつのモノが変容したり循環する性質をもつ。この性質を利用して場所が内包するネットワークを表現する。また、そこに存在するモノたちを編んで互いを融合させひとつの一体化した空間を作るインスタレーション作品は、時に、一日の中での時間の流れや季節の移り変わりによって作品の見え方も変化する。屋外の作品であれば、私が設置を完了した後に自然の活動が介入して作品は有機的に発展していくだろう。今ある作品の状態は今しかない。私はこのような変容、時に風化と捉えられる変化もポジティブに受け入れる。そこには母の死から、死は常に身近であり確実に迫ってきているものだから今を大切に生きるという個人的な死生観と、四季があり時の移り変わりに敏感で、時間の連続性を楽しんだり、「わびさび」の感性にもみられる時の流れを受け入れる日本人的な感性があるのだと思う。また私は地域の資源やそこにあるモノを活用したり、作品にする。まず制作は極力現地に住む人々とチームを作って行う。彼らから地域のことを教えてもらいながら、現場の資源を作品にする。結果、作品はその場所でしか成り立たない、場所の特色が色濃く出る作品になる。そして制作チームは展示が終われば解散となるが、つながりはその後も続く。身体ひとつで土地に飛び込み、一期一会の作品を作るという行為は、その場にあるものを生かすという禅の精神に通づるものがあると思っている。

これからの展望として、世界中の様々な場所でサイトスペシフィックな作品を作り、土地の魅力を伝えられたらと思う。また自分の指先から様々な場所に社会を構築するような作品を作り、編むという穏やかな技術で世界を緩やかにつなぎたい。

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