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1.自己紹介

島田康良と申します。

私を綴る想い

 大学卒業後、東京にて主に輸入事務に携わる日々です。

ただこれが本当にやりたかった事なのか。
遊び学び経験を重ねて心臓を捧げたいものは何なのか。
私の”使命”はなんなのか。

若輩の身ではまだまだ判断がつきません…。

 今は目標に向かっています。

私の知りたいど真ん中そのものを知るのはいつになるかはまだわかりませんが、目標に進む事で成長し近づくのは確かではないかと感じています。

 具体的には起業準備。
の、ために自分を鍛える。
主にマネジメント。

自立心もそうですが金銭管理や時間管理、その他たくさん変える事はたくさんあります。

 また、私の”使命”を知り得たとしてもすぐにスタート切る事ができるのでしょうか。

その準備期間とも捉えています。

ヒトは社会性動物。どこまでも人と共に。

 上京はコロナと共にでした。

研修期間は一度出社したきりテレワーク。

外出も自粛。

もとより疎いテレビは何を見ていいかわからず、|| : サブスクで映画を漁り、パソコンでゲームをする。あとは繰り返し、リピートです。: ||

 失って気付くとはよく言ったもので、初めて人とのつながりを実感した期間でもありました。

逆に「すべての営みの先には必ず人がいるんだな」と思った時から不思議と寂しさを感じなくなりました。

 この時から人と人とのつながりがあるだけで助けられることもある、人がつながれば一人ではできないことができるかもしれない。

と、考える事が増えてきました。

まだ見ぬ私へ

 人をつなぐ、これだけで実現できることがたくさんあると思います。

最近はAIが台頭していますが三人寄れば文殊の知恵とも言いますし人の可能性にフォーカスするのは昔からの命題とも言えるのではと感じます。

原点に立ち返り人と人がなせる事を広げていきます。

 凡々ながらも日々コツコツ実践を繰り返すことで本当にやりたい事、”使命”に注力できる自分になるために邁進しています。


何事も学びにしていく心づもりです。
読んでくれた人にも楽しい学びを、意識していきます。
宜しくお願いします。


 備忘録もかねて過去編を。

 北海道の片田舎で生まれ育ち18歳で単身鹿児島へ進学。中間の東京にたどり着き、生き延びております。自分なりには平凡な人生を行き当たりばったりで過ごしてきた印象ではございますが、これからはそうはいかない。人生の四半世紀を文にしてみてそしてこれからの事も綴っていき、人生を歩く指針のひとつにできればと思い、投稿していきます。

 北海道の片田舎に生まれた私は特に不自由を感じる事なく幼少期をすごしました。ただ不自由を不自由と思っていなかっただけかもしれませんが、当人の視点からしたら幸せな事だったかもしれません。
 打ち込んだ事は特にありませんでしたが、小学生に上がる頃にはゲームが特に好きでよくやっていました。任天堂の64やゲームボーイアドバンス、SONYのPlayStationがありましたが‘’当時は‘’めちゃめちゃリアルなポリゴンを自分で操作できて感動しました。(今でも思い出すのはSQUARE ENIXより発売された「ブレイヴフェンサー武蔵伝」です。BGMがどれも秀逸でストーリーも面白く、珍しくゲーム内時間に曜日の概念があり新鮮でした。機会があればまたやりたいですね。リマスター版でないでしょうか、スクエニさん。)
 また、音楽も好きで当時見ていたアニメのOP・EDで気に入った曲があれば何十回も覚えるまでビデオを巻き戻して聞きまくったのを覚えています。ピアノも習っていたので自分なりに耳コピしようとしましたが1時間で挫折したこともありました。
 そして10歳位の時に初めて深夜アニメを見た事で私のアニメ史は始まりました。デ・ジ・キャラット、らき☆すた、涼宮ハルヒの憂鬱、けいおん、どれも今でも名作として名高い面々で無垢な私の心を打つには十分すぎました。木魚にスレッジハンマーです。国語の教科書を勝手に読み進めるタイプだった私は、アニメの原作ライトノベルなども読み出しサブカルが大好きになっていきました。
 そして今生唯一の球技経験となってしまった部活は卓球でした。小学5年生から地元のスポーツ団に入り中学3年まで部活も並行して続けましたが、平々凡々からは抜け出せず、スマッシュ速度だけで乗り切った5年間でした。ただ、なかなか楽しかったと思います。ただテナジーは裂けやすいのでもう使いたくないですね。

 さて、中学に上がる前後にはネットを覚えてニコニコ動画のランキングを監視する日々が始まりました。ゲーム実況はもちろん当時流行りだしていたVOCALOIDの楽曲を毎日チェックし、ネットスラングを覚えて見知らぬ誰かのコメントと盛り上がり、えも言えぬワクワクがあったこともネットやニコニコにハマった理由の一つに思えます。田舎であるが故に情報量が少なかった事も相まってネットの情報がきらびやかに見えておりました。良い時代ですね。
 上記の理由から快適にネットを享受するためパソコンのスペックにもこだわり始めました。父の趣味の一つにパソコンを組むことがあったのでお古のデスクトップをもらい、周辺機器をそろえていく内に学習机が意図しない使用がなされるようになり、彼も不本意だったでしょうか。(余談ですが学習机のデスクマット世界地図あれ、眺めるの楽しかったですよね。旅行している気分になって好きでした。学習に活用されることはありませんでしたが。)

 さて、高校は軽く青春をしていたと思います。更にこの頃から自転車を乗り回すようになりました。高校は帰宅部だったので放課後には自由があり、悪友と田舎の道をくだらない話でもしながらなんの目的もなくペダルを漕ぐ時間は、もったいながらもだからこそかけがえのない時間だったかと思います。まあ、高校3年間なんてどう過ごそうがかけがえのない時間になりそうなものですが。

 ここまで読んでくれた方。ありがとうございます。
 記事はできるだけ面白く、それでいて必ず学びを綴り、誰かの何かのきっかけになることを目標にしています。
 それではこれからもよろしくお願いします。

 ちなみに写真は実家の目の前の道です。


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