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2021 SUMMER

今年の夏はどうだったかな、振り返ってみるとずっと楽しかったけど。いろいろ面倒くさいからもう都会にはほとんど近づかないね。友達と遊ぶときでも人がいない場所のほうがいまは気を遣わなくて楽でしょ。最近1ヶ月前の自分がだんだん思い出せなくなってるな。情報量が多いせいか、人とあまり会わないせいか。20歳ちょっと前の頃のソワソワした感じを思い出すんだよ。知識への欲求が強烈に再燃している感じはちょっと良い感じなんだよね。パンデミックを理由に人に邪魔されることなく沸々と気ままな日々を過ごすのはけっこう悪くないって思ってる人はたくさんいるだろうし。


St.NIGHT POOL『SEASON ONE 2021 SUMMER EP』
CARLA JEAN MOSS 20でSt.NIGHT POOLでのトラックは20個目の公開。すでにけっこう気に入っているトラックがいくつかあって、その中から数曲を完成させていつか正式リリースしたいなと思い始めている。Bandcampでいろいろ音源を漁ってたら触発されたような感じもあるな。なのでサブスクじゃなくてBandcampでのリリースにしたいね。まあだいぶ先のことだろうけど。
各トラックは自分で撮った写真をジャケに使っていることもあり(『ノーカントリー』の写真群は別ね)感情の機微というか季節感みたいなものが反映されている感覚があって、いまの気分をドキュメントしたような気になってる。最近依頼されて制作した音源でもここでのクイックな作業によるインターネットミュージック感を反映させられることができてて、一瞬の勘を頼りにした制作感覚は少しばかり板についてきた。とりあえず気に入った曲を選抜したアルバム「SEASON ONE 2021 SUMMER EP」を夏の思い出としてここに置いておこう。

漫画『坊ちゃんの時代』シリーズ第三部「かの蒼空に」
めちゃくちゃ面白いから手元に持ってて何回か読んではいるんだけど、借金しながら放蕩な日々を過ごす石川啄木の話で。久しぶりに読みながら、彼の生活の苦しさやひとときの放埓から生まれる “吐き捨てるような” 短歌・詩作に改めて感じ入るところがある。怠惰で生意気で社会的無責任な己を持て余しながらも文学や社会への透徹を試み続ける奥深い感覚。漫画の中にもいくつか短歌が載ってるんだけどめちゃくちゃカッコイイんだよね。 ちなみに自分の人生そのものを作品化しようとする人物として平塚明子が描かれていて、このあたりは現代と比較してもなかなか示唆に富んでる。
原作者の解説に『坊ちゃんの時代』シリーズっていうのは「自分とは何なのか?」ということを考えたときに 「“日本人である” 自分とは何なのか?」という問いに突き当たる、では “日本人である自分” が始まったのはいつなのかと考えるとそれは明治からなのではという思いを端緒にこのシリーズは始まっている、というようなことが書いてあって。自我という概念が一般化したのが明治以降だとしたら「自分とは何なのか?」という問い自体がその後に発生したということだ。「“日本人である” 自分とは何なのか?」、これはたしかに学生のときにオレも考えたことがあって何冊か右寄りな本を読んだことがあるんだけど、そこではアイデンティティの根拠が平安以前の事象に設定されていて実感のある答えはみつからなかった。もちろん『坊ちゃんの時代』にその明確な答えがあったわけではないんだけどね、改めてそのことを思い出すきっかけになったな。
日露戦争後の日本の閉塞感をおぼろげながらも感覚できるようになったのはハルバースタム『フィフティーズ』を読んで戦中戦後の大衆心理を少なからず知ったせいかも。前後の情報が作品理解に立体感を与えているのが感じれるってのは良いね。

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