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2021.oct

ライブハウスで大きな音で音楽を聴きながら身体を揺らすなんてことが人間にはなんでこんなにも必要なんだろう。そんなようなことをつぶやいていた人がいたけど、本当になんでだろうな。オレは音楽ってものは心と身体で聴くもんだから「踊る」ってことと音楽は切り離せないものだと感じてるフシがあって。そうなると当然音楽はデカい音で鳴る必要があったり、踊ることにいちいち気をつわなくても良い場所であったりする必要がある。そういえば昔行ったROMZのパーティーのタイトルは「ココロとカラダ」だったな。
「踊る」ってことはそれぞれの独創によって任されていてステージ上からそのフロアを見ているととんでもなく秩序がない。シンガロングやモッシュがある種の一体感を必要とする行為であるのに比べて、「踊る」ということはもっと個人が自分に没頭した行為でシンガロングやモッシュよりもさらに自由が保証されたフィジカルなんだろう。コロナ以前のHave a Nice Day!のライブフロアの最も主要な秩序であったモッシュピットが解体したことによって新たな混沌が生まれる。結局大事なことは自分が自分になっていくことであってそれがあるならばスタイルはあまり関係ない。もちろん形骸化したスタイルを愛しつつもそれに執着する必要はないわけさ。

そもそもディストピアという言葉を最初に知ったのはダブステップ関連の文章を読んでいるときだった。ブリアルやKode 9を知っていろいろ調べてたときだと思う。アンドリュー・ウェザーウォールのミックスやGalaxy 2 Galaxy、MOODYMANNの音源もCDで聴いてたし、就職してた頃に読んだロラン・ガルニエの自伝エレトロショックにもめちゃくちゃ感動したしね。イギリスやデトロイトのアンダーグラウンドなダンスミュージックの思想は確実に自分に強く影響しているし、様々な着想をそこから得ている。
ただ他のヤツと違うのはオレはそのほとんどを自分の部屋の中でひとりで享受していたってことだと思うね。だからいま振り返ると奇妙なことだって分かるんだけど、そういうアンダーグラウンドなダンスミュージックとJAY-Zやブラックアイドピーズ、ブラックキッズ、MGMTみたいなアメリカのヒップホップやロック・ポップスが同じものだとして聴いてた気がするね。
ここ数年一緒に遊んでるヤツらはみんな実際にそういう踊るために作られた音楽をフロアで体験してた連中ばっかだから聴いてた楽曲が同じでも受け取り方が違っている。彼らとそんな話をしながら思い出の圧倒的な誤差を確認するのは味わいがある。あと自分でインターネット上で独自に発見した曲を友達が実際にフロアで聴いてたりするっていうのは自分の感性がライブ感も備わっていたんだという自信になるね。

10月9日、約2年ぶりに自分たちにとってのホームグラウンド・新宿ロフトでワンマンをやった。このタイミングでロフトでライブをやれたのはマジで良かったね。Have a Nice Day!としての新たなスタイルみたいなものがだんだんカタチになってる。これはもちろん社会状況によってもたらされたことでもあるが、自分の内側でも80年代のUSハードコアへの憧れは残しつつ気分はダンスミュージックへの熱量に向かっている。コロナウイルスによる社会変化はもちろんネガティブな側面もデカかっただろうけど、自分が自分自身として結晶化してゆくのに最適な環境だったってヤツもけっこう多いんじゃないかなとオレは思う。2年も経てば良くも悪くも人間は同じじゃいられないしね。ステージに立つヤツにとって自分の日々の変化を一番ダイレクトに実感できるのはライブだ。特にオレは普段からひとりでいることが多いしライブと制作くらいしかそれを確認する方法がないんだよな。

あと楽曲の層がいよいよ厚くなってきた。2ステージを曲被りなしのセットリストでやっても成立する。長らく積み重ねてきたことの意味を自分なりに再確認するというか、こんな角度で実感できるってのは良いことさ。やっぱり音楽だからね、シンプルに楽曲のチカラが物を言うっていうのは一番美しいあり方だ。
去年の今頃にリリースした『Rhapsodies 2020』収録の「LOCK DOWN」や「TOO LONG VACATION」、「BRIGHT HORSE」あたりがライブではいまの気持ちと一番一致してる感じがする。『Rhapsodies 2020』の収録曲はフロアとの一体感みたいなものはほぼ想定してない。「トンネルを抜けると」以外はわりと吐き捨てるような投げっぱなしな曲が中心になってる。これは世の中と自分の距離感を直感的にそういうふうに選択してるんだろうな。歌は妄想でじゃなくて現実を切り取って作るわけだから「現実とどう向き合うのか」、そして「状況からどうエスケイプするのか」ってのが重要になる。ディストピアそのものを描いてもHave a Nice Day!の歌にはならない、そこでどう遊ぶかっていうロマンスな部分が核心になってる表現だから。
「ビューティフルライフ」はもちろん素晴らしい曲だけど本当の意味をライブで獲得するのはもうちょっと先かも。それは1つ今後楽しみなところだな。

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