見出し画像

2019.10.7

夜の東北道を南下して東京にむかう。江北JCTから首都高に差し掛かる手前の視界が開けたところで荒川沿いに立ち並ぶ光の洪水のようなビル・団地群が姿を現した。マイホームタウン、バビロンシティー東京に戻ってきたね。

最近ようやく東京以外の街でのライブで歌えるような曲が作れるようになってきた。
もともとHave a Nice Day!の歌は東京のようなストレスフルで極端に情報量の多い場所で機能するようにできている。「地方でハバナイの曲を聴いても全然アタマに入ってこないけど東京に近づくと実態を帯びてくる」ということを何年か前に友達に言われたことがあって。説明のないミニマルで空虚な歌詞、プリセットなリズムパターンと普遍的でシンプルなメロディー。オレは長いあいだ東京という場所を表現した歌を作っているつもりだったけど、もっと厳密に言えば東京という場所で歌うのに適した曲を作っていたんだと思うね。つまりフィジカルな音楽として機能できたのは楽曲が風土に合ってるからさ。デトロイトテクノ、シカゴハウス、マイアミベース、そしてブラジルにおけるバイレファンンキと一緒だね。まあこの街に風土もクソもない気もするけど。

そしてある瞬間からオレがもう少し深いコミュニケーションを意識したときに「わたしを離さないで」が生まれた。もちろんこの曲も東京の街を歌っているけど、ここでは東京への機能性よりメッセージを伝えようとするオープンマインドを優先させた。それから1年後に「Night Rainbow」が完成する。
土曜日の仙台でのライブはめちゃくちゃフレッシュだった。勘ぐりのないピュアなフロアで、東京とはもちろん違うし大阪や名古屋ともまるで違う。それはきっと「わたしを離さないで」や「Night Rainbow」、「愛こそすべて」のような外側に開いた曲があるからこそ可能になったコミュニケーションだろう。心が変化すればできあがる歌が変化して、歌が変化すればフロアが変化する。それぞれの街のフロアで、自分では気づくことのできなかった楽曲の側面やハバナイの可能性を知ることができた。様々な価値観があってこそ混沌と呼べる。

バビロンとは何なのか、ディストピアとは何なのか、とたまに聞かれることがある。ヒップホップやダンスミュージックを追っかけてたときに当たり前のように受容してた言葉なのでそこから拝借した単なる言葉遊びとも言えるし、自分にとってのいまの東京という街や現在の世界を象徴的に捉えた言葉とも言えるわけだ。高度経済成長を支えた熱狂的なバイタリティーや無防備なモチベーションやパラノイアのない夢や希望をこの国はもう持っていない、にも関わらずそれを維持することと引き換えに人間の大切なものを蝕んでいるこの世界をオレはバビロンやディストピアと言わずにはいられない。そして実は誰もがバビロンやディストピアに加担せずに生きることはできないという皮肉な構造こそがハバナイで表現されている矛盾やリアリティーなのかなとも思っている。善悪や正しさはつねに曖昧で、自分に正直であることでしか世界は捉えることができない。
まあ細かいことは気にせず楽しんでくれよマイメン。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?