見出し画像

主婦のなんてことない今日、10月29日~母の誕生日


母のこと

今日は母の誕生日です。
生きていたら、今日で還暦です。

母は3年前に亡くなりました。

「ママ、乳がんだって」

大学の空きコマに友達と高田馬場のスタバでお茶してたら、母から着信が。
なんだろう、お使いのお願いかなと電話に出ると、
「ママ、乳がんだって。」と母の声。
詳しく聞くと、精密検査の結果が出るまでは確定ではないけど、
お医者様のこれまでの経験から、おそらく悪性(がん)でしょうとのこと。

精密検査の結果、やはり乳がんでした。
毎年健康診断とマンモグラフィを受けていたのに、
発見時にはステージ3B(リンパ転移あり)でした。

手術療法と化学療法を受け、痩せたり髪が抜けたり体の変化はありましたが、洋服を買い直したり、ウィッグを作ったりと気丈に過ごしていました。

寛解したかのように思えた日々

その後しばらく、再発や体調不良もなく元気に過ごしていました。
子どもの私から見て、元気すぎるようにも見えるほどに。

友達と関東圏中の美術館に行ったり、いろいろなホテルでアフタヌーンティーをしたり。
遠方に住む旧友を家に招いたり、自分が赴いたり。
月に1度は旅行にも行っていました。

いま思えば、母は自分が長く生きないと分かっていたのかもしれません。
身体が動くうちに、元気なうちに、やりたいことをやったのかもしれません。

骨転移

最初の乳がんから6年がたちました。

母の「最近、首が痛いのよ」との言葉に、
私はすぐに骨転移を疑い、その日のうちに主治医に診てもらいました。

骨転移でした。
次の週から放射線治療と化学療法が始まり、
その副作用でどんどん痩せ、髪も抜けました。

治療をしながらも、まだまだ母は元気でした。
仕事も続けていましたし、新しいウィッグを作っておしゃれも楽しんでいました。

肝転移

骨転移が良くなって、また少し悪くなってを数回繰り返した頃、
肝臓への転移が分かりました。

肝転移後は、毎日少しずつ容体が悪くなりました。

一人で歩けなくなり、長い間座っていられなくなり、一日のほとんどの時間をベッドで過ごすようになりました。
母の希望で、ベッドを寝室からリビングに面した和室に運びました。
ベッドの横にチェストを置いて、昔飼っていた犬の写真や母の好きな本、CDなどを飾りました。
母は「家がどんどん散らかっていくね」と文句を言いつつも、嬉しそうでした。

終末期

がんは、食べられない事との戦いでもあります。
抗がん剤による味覚の変化、吐き気、胃のむかつきなどで、食事がとれなくなるのです。

コンビニ、スーパー、デパート、
目につく店全ての、全ての種類のゼリーやアイスを買い込んだこともありました。
介護用の高カロリードリンクを飲んでほしいと、泣きながらお願いしたこともあります。

おかゆ、パンがゆ、うどんに何種類ものおかずを用意して。
食べやすいように刻んで、目でも美味しいように小皿に色よく盛りつけて。

食べろと期待される母も、料理する私も、それを手伝う家族も、
全員が無理をしていました。

「ばばちゃまはさー、食べたくないんだよー」
「ばば、ねんね、ねんねしたいね」
甥たちの言葉にハッとしました。

もう食べられないのよ。食べたくても食べられないのよ。
母の目も、そう言っていました。

私や家族が期待をかけすぎることで、母は苦しんでいるのだと思いました。

その日から、無理に食事を勧めるのをやめました。
母の分は取り分けるし、口元までは運びますが、
口を開けるかどうかは母に任せました。

もう、頑張らなくていいよ。無理しなくていいよ。
ゼリーもアイスも私が食べるよ。
おいしそうな香りだけ、かいでいてね。美味しいよ。

母に取り分けたゼリーや果物は、甥たちが食べました。
棚ぼたゼリーを素直に喜ぶ甥たちが、本当に可愛かったです。

母の最期の日がどんな日になるのか、どんな日にしたいか、
たくさん考えました。
家族を集めて穏やかな雰囲気の中で、見送りたいなと思いました。

それから数日後に、母は眠るように息を引き取りました。
母より数年早く天国に旅立った、先代の犬の写真を枕元に置いていました。
家族の誰も犬の写真を触っていないと言っていたので、
母が最期の力を振り絞って写真を動かしたのか、甥たちがいたずらしたのか、写真が勝手に動いたのかもしれません。

家族も私もみんな、母に対してやってあげたいことは全てやり切ったので、後悔はありません。

泣いてばかり

後悔はないけど、母を失った喪失感で毎日泣いていました。

寂しい。悲しい。会いたい。

お通夜で泣いて、お葬式で泣いて、初七日で泣いて、
お仏壇を買いに行って泣いて、お仏壇の入魂式で泣いて、
お線香をあげて泣いて、お花を買いに行って泣いて。
泣いて泣いて、泣くだけの日もありました。

仕事に復帰して、働いている時間だけは普通にしていることができました。
この時期は仕事が救いでした。

外にいれば泣かないと気付いたので、なるべく外出をしていました。
朝起きて化粧をしたらドトールに行って朝食をとって、出勤して、仕事が終わったらジムかスタバに行って。
夜ご飯は外食か、めんどくさければプロテインで済ませていました。

もう泣かないよ

そんなふうに過ごすうちに、うさぎを飼って、犬も飼って、夫と出会い、結婚しました。
母の死からの3年間は、私の人生の中で一番に激動の時代でした。
いろいろあったな~。

大切な人を亡くして悲しみの真っただ中にいる人がいたら、
なるべく外出するといいよと伝えたいです。
外に出て、体を動かして、風に当たる。
お腹がすいたら、少しでもいいからおいしいものを食べる。
その繰り返しで、元気になると思います。

こつこつ毎日を繰り返す。
頑張らずに、ゆっくりと。
それが悲しみへの一番の薬だと思います。

食事会

そんなわけで本人不在ですが、母の誕生日会をしました。
家の近所の母の好きだったお蕎麦屋さんで、祖母や姉一家や近所に住む親戚と夕食を食べました。

お刺身、天ぷら、焼き物。
おそばを人数分と、母の分も頼みました。

頼みすぎちゃったかなと心配になりましたが、
良く食べる甥たちが全部きれいに食べて、結局お替りもしました。

いっぱい食べるなあ。頼もしいなあ。

今日も幸せでした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?