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自分の幼さが、おもしろくてちょっと嬉しかったな、というおはなし

最近、ふと小学生や中学生だったときのことを思い出すことがあった。

こんなことがあったなあとか、詳しく思い出したわけではなかったのに、漠然とした記憶がこぼれたインクみたいにじわじわ心の中で広がって、いつの間にか泣いていた。

「こんなことがあって嫌だった!」の細かい光景は年々霞んできているのに「嫌だった」という感情の記憶だけ、まだしっかりこびり付いていることに気づく。辛いなあ、と思ってみたけど、これがそんなに辛くなくて、心の中で呟いたものの、ピンとこない。

自分でもびっくり、なんだかちょっと嬉しい気持ちになっていた。

はて、なんで嬉しいんや、



わたしは今、子どもたちと関わることに少しだけ携わっている。

子どもたちは、すぐに怒るし、すぐに泣く。
ボール取られた!とか、鬼ごっこ休憩するって伝えたのにタッチされた!とか。そしていつの間にか、喧嘩した相手とケタケタ笑って遊びを再開している。

そんな中でもたまに、仲間はずれにされた!とか、悪口言われた!で喧嘩が起きることもある。
「あなたのこれが嫌だな」という感情のぶちまけ方の大概が仲間はずれか悪口しか…という子どもたち、どうしようもないことばかりで、なんて言えばいいんだろう、と戸惑うことばかりだ。
この子たちは、これを経て妥協や我慢を覚えて、「あ、そっちの方がいろいろ楽でスムーズなんだな」と学ぶんだろうな、と思う。
それがいいか悪いかはさておき、生まれてまだ10年くらいの子たちが、もう人間関係のごちゃごちゃに心をごちゃごちゃにされてるのは、すごく、なんというか、感慨深い。

わたしもこれを、経験したんだなあ。それで今がある。当時は本当に辛かったし、「小学校を転校することってできるの…?」と親に相談したことも覚えている。

そんな前の蟠りを今も引きずってんだな、とちょっと自分を滑稽に思えた。
それから、面白いな、とも思った。わたしは、あのときの苦しさ、悲しさ、怒りをまだ抱いていて、成長してないと言えばそうなんだけど…そんなエネルギーを活力にして、ああ、生きてるなあ、あの頃から変わってない自分が逆に誇らしいかも。おもしろい!

あー子どもたちのエネルギーを羨ましいと思っていたから、嬉しかったんだな!と、ゆっくりのんびり考えて気づいた。
そして、いろんな壁にぶち当たって泣いたり怒ったりしているあの子たちの貴重な時間に少しでも関われていることが、嬉しくてたまらない。

とはいえ、わたしもまだ21だし、人生の先輩方からしてみれば、まだまだ子どもの年だと思う。妥協や我慢を少しは学んだけれど、これからも泣いたり怒ったりすることは、たくさんあるだろう。どうしようもなく悲しいことなんて余裕であると思う。

でも、妥協我慢を多少は知っているのに、感情を爆発させるなんて、おもしろすぎる。おもしろくたのしく生きていきたいなあ、
ちょっとしたことでも、意図的に感情を爆発させる期間を設けてみるの楽しそう。友達と歩いてて肩がぶつかっただけで、キレ散らかしてみようかな。わたしの周りの人はきっと「おもしろ!」と言って笑ってくれるかも。




いろいろと思い出して、たくさん泣いたけど、一旦昼寝して、それからご飯を食べたら、とても元気が出た。一度泣いたら、寝られなくなったり食べられなくなったりしていたあの頃に比べたら、成長はしてるな!と感じた。
わたしは、大丈夫だ!当時のわたしに言ってあげられたらな。

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