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僕にも愛がうっすら見えた日| #スキすぎてごめんなさい

突然だが、大好きな歌がある。hitomiさんが歌う、LOVE2000だ。

愛はどこからやってくるのでしょう?自分の胸に問いかけた。
ニセモノなんかに興味はないの ホントだけを見つめたい。

この歌詞は、愛を受け取る側の視点で、当然のように本物の愛を求めてしまうことを歌っている、とはじめは思った。しかし、愛を与える側で考えると、本物の技術だけを磨いていきたいという高い志を書いた歌詞のようにも思える。

愛は抽象的だから、さまざまな角度で捉えることができる。だからこそ難しいけど、ていねいに言葉にしていくことで少しずつ形が見えてきた。

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愛とは想像力だと、シェフはいつも言う。どんな話もそれに尽きる。sioに入ってもう1年半ほど経つが、なによりも愛のことで叱られる。


幸せの分母を増やす会社の一員として、目の前の人の幸せを作り出せているのか?
想像できているのか?
他者への思いやりがあるか?

常に投げかけられる。

忙しくなると、ついつい口に出る、顔に出る。
それでは、何をやっていてもマイナスに働いてしまうのだ。能力×熱意×考え方が仕事の成果って話と似ていて、どれだけやる気があっても、どれだけ才能があっても、愛のないアプローチならすべてが台無しになる。

「1対1も、1対みんなも大事なことは一緒。 」

そう言われた。変わらなきゃ、このままじゃまずい。

言われていることをもちろん理解しているが、なかなかパッと変われないのが悲しいかな、人間というもので。

根本的に変わるにはどうしたら良いんだろう?と分からなくなっていたが、ここ数週間でさまざまな愛の価値観に触れて、少しだけ輪郭が形づいてきた。

きっかけは、料理が大好きで、人を喜ばせるために生きていて、アツすぎる人たちとの出会いだ。

もうそれぞれの立場や領域をなくして、ただ美味しい料理を届けたい

sioに入る前まで、レシピ動画メディアや流しの料理人をやっていた。仕事を通して、料理人や料理研究家の方と話しながら、思っていたことがある。

「なんで同じ料理の仕事をしているのに、手を取り合わないのだろうか?」

料理人と料理研究家の不毛な壁に違和感を感じていた。(ここでは一旦料理人とは飲食店などでお客様に料理を直接提供する人、料理研究家とはレシピや美味しいの考え方を通して料理を間接的に提供する人、とする)

お互いのプライドなのか、これまでそこには確実に見えない壁があったと思う。
提供の形は違えど、料理を通して叶えたい未来が同じなら、互いのスタイルを尊重し手を取り合っていけば、さらに美味しい料理を届けきることができるのではないだろうか?と思っていた。

そんな中、シェフと料理家のSHIORIさんがつながり、打ち解けた。志が高くて、価値観が近い。美味しいをたくさんの人に届けるために、一緒に新しいものが生まれるまでは、あっという間だった。

SHIORIさんの計らいで、山口繭子さんという料理業界に精通した編集者を迎え入れ、今回のチームが出来上がった。

●370万部の『彼ごはん』の生みの親でアツすぎる料理家SHIORIさん
●食の編集者またの名をトースト先生山口繭子さん
●sioオーナーシェフであり僕の師匠鳥羽周作
●sio仕掛け人であり弟子オリタ

このチームで2/18にclubhouseでトークライブイベントのvol.0が始まった。

料理家と料理人が料理愛を語るラジオ番組。

タイトルは、 #スキすぎてごめんなさい 。暑苦しく思われる前に先に謝っておきますというわけだ。笑

今回は生の声を届けるためにclubhouseで行った。しかし、″届けきる″を大事にしている僕らはclubhouseだけで行うことに違和感を感じた。聞きたかった方が情報を逃さないように、伝えたかったことをnoteにも書き残していくことにした。

皆さんの想いや主張はそれぞれのnoteでご覧いただける。


僕は今回の企画を通して愛について感じたことを書きたいと思う。

料理を愛する2人の共通点

これほどまでに愛を語れるシェフ、そしてそれと共鳴し合って料理やファンに対する愛を叫ぶSHIORIさん。それを切り出し見事につなぎ合わせていく山口さん。それぞれがプロフェッショナリズムがあって、お互いの領域にはズカズカ入り込まない。でも、sioがやっていること、SHIORIさんがやっていること、あと名前似ていて笑
親近感が湧く一方である。

SNSの使い方ひとつ見ても共通して愛がある。

SHIORIさんは、Instagramのストーリーでファンの皆さんからの投稿を紹介している。これでもかというほど。毎日ものすごい量なのだが、それでも一部とのことだ。SHIORIさんが愛する分、たくさんの方に愛されているのであろう。

シェフは、Twitterが主戦場である。毎日 #おうちでsio や sio株式会社にまつわる投稿をエゴサしては、一人ひとりにコメントを送っている。作ってくれて嬉しいし、レシピを作った本人が見てくれているって分かったらお客さんも嬉しいじゃん、とシンプルな動機である。

実際に行うことは相当に大変なはずだ。だが、2人には大変という感覚もないのであろう。目の前のお客さんに喜んでもらうために、料理を作っている、その延長線上にSNSでのコミュニケーションが存在する。

喜んでもらうことが、何よりも喜び。料理はあくまでツールであり、喜ばせるためには「相手への想像力と本物の技術」が必要である。このチームの特徴は、クライアントワークが得意ということであろう。強い主張はあるが、柔軟さがある。


2人は、他者への圧倒的な想像力と相手のリクエストを叶える技術を持ち合わせている。だから、相手の期待に応えられるのだ。

まずできることは、常に相手にベクトルを向けることなのかもしれない。


愛には色んな形があるけれど

愛を考える中で、目に入れても痛くない、という慣用句が脳裏に浮かんだ。最近一回り大きくなった鳥羽家のわんぱく坊や2人とじゃれているとそんな気持ちになる。
自分は目に入れても痛くない存在だったのだろうか。親の気持ちを知るのは自分が親になってからと良く聞くような気がするけれど真理だろう。わんぱく2人と接していると親になったら分かることが何かある気がする。相手への思いやりや想像力は鍛えるものではなく、育むものだろう。

子どもの成長とともに、親が成長するのは愛が育まれているからだ、と思う。

2人のほとばしる愛。共通点は、お客様を喜ばせたいという想いから。言葉にするとありきたりな表現だからこそ、2人の行動が伴って初めて重みを増す。

愛とは、他者への想像力だ。呼吸をするように自然とできるようになれば、勝手に幸せの分母が増やせるのではないか。と、言うは易く行うは難しである。

hitomiさんは20年の時を経て、LOVE2020を歌った。そこにはこんな歌詞がある。

なぞなぞみたいな愛す事の意味は
いまだにわからなくて でも目の前にあるって
信じたらいつか辿り着けるかナ

愛はどこからやってくるのでしょう 自分の胸に問いかけた
食べてみたらマズかった事でも 私の強さに変わってた

たくさんの経験がその人の強さになる。
量より質の前に、確実に必要なのは量だ。

愛が足りない、とシェフはこれからも僕に言うだろう。その裏には強烈な愛がある、と僕は思う。愛について、うっすら見えてきた。これからも丁寧に言葉にしていきながら、形付けていきたい。


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次回の #スキすぎてごめんなさい vol.1 は 3月12日(金)20時半から


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