灯台官舎よもやま話

画像1 こちらは、明治村に移築されている菅島灯台旧官舎。明治村では比較的広い敷地に建っているが、実際に建っていた場所は前に道一本で、その先は海へ落ちる斜面だった。また、煉瓦の地肌露出だが、移築前の写真ではモルタル塗りで、テラスの柱も無い様だった。資料を調べて初期の状態を再現したという。
画像2 これは、外から窓越しに撮った釣島灯台旧官舎内部。まだ廃墟状態で放置されていた時で、ドアは施錠されていたが窓は開いていた。壁面の2色塗りは後年に施されたものだろう。他にも外から撮れた内部の様子があるが、散らかっているだけで、雰囲気があるカットは暖炉が写るこれだけ。
画像3 部埼灯台の旧官舎…潮流を示す電光掲示板の土台になっているが、それでも文化遺産指定された。
画像4 まぁ、土台になってなければ残されなかったかもだが…。この更に上の高台には潮流信号の腕木信号塔が残してあり、昔の写真(「燈光」誌にて)を見ると信号灯の建物らしきも見える。
画像5 電光掲示板には“E”(潮流東向き)の表示。昔の写真には更に灯台の下、今は火焚場の記念碑がある場所に、因島の大浜埼と同様な通航信号所の建物が写っている。
画像6 左側に現在版の官舎…いわゆる公務員宿舎タイプですな。桂浜の上にある高知灯台がそのまま航路標識事務所になったケース。管理する標識や他事務所、中継局等に向けられたパラボラが目立つ。撮っている背後には事務所棟があった。この事務所も廃止になり高知港近くの海上保安部に統合され、今は灯台しか建っていない。

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