Unforgettable

ピロン~♪


仕事帰りの電車の中で、スマホが鳴る。


飲みに行きましょうという誰かからの誘いかと思ったが、

例の彼女からのお知らせのメッセージだった。


「仕事おつかれ!いつものバー先週から開いてるみたいよ。」



最後に行ったのはいつだろうか。

年末より少し前、冬の始まりを感じた頃だったろう。


「ありがとう、今日帰りに寄ってみる。」

そっけない文章にうさぎのスタンプをつけて返す。


マスターの店に行かなくなってから、

仕事場と家の往復で、

帰ってからジャズの曲を流しながら家事をするのが楽しみになっていた。

久しぶりに会うので、

少しばかりの恥ずかしさを胸に電車から降りる支度をする。



カランカラン。

「いらっしゃいませ、お久しぶりです。」

「お久しぶりです、お元気そうで。」

もし、病気が原因でお店を閉めていたら

もし、マスターがやせ細っていたら、

もし...

店の扉を開けるまで、様々なことが

頭をよぎったが、顔を見て安心した。

いつものマスターだ。

「ビールでよろしかったですよね、」

「はい」

久しぶりに来ても、お客さんのことはしっかり覚えていて、

本当に気分良く飲めるバーだ。

「今日は、Nat King Coleですか。」

「しばらく会わないうちに、曲にも詳しくなってきてますね。」

「夜のお供はジャズだけなので...」

Nat King Cole

最初は、ピアノの曲しか聞かなかったのだけれど

このバーに来てから、いろいろな楽器の曲も聞くようになった。

Nat King Coleもその中の一人だ。

「お待たせしました。」

カウンターの上には、ただのビール。

たかがビール、されどビール...

仕事終わりの喉に泡が刺さる。

「ふー」

そう呟いて、そっと煙草に火をつける。

「なにかあったんですか?」

煙草の煙を吐くように、自然と口から洩れていた。

「話すと長いんですけど、昔の友人が入院したと聞いて

ちょっとお見舞いに。」

「昔ってことは、音楽関係の友人ですか?」

「そうですね、同じバンドでやっていたベーシストなんですけど。」

そう言ってマスター天を仰いだ。

「昔から、酒と煙草、女遊び、ギャンブル、

それが原因で結婚と離婚を繰り返しという...

まぁ、どうしようもないやつだったんですけど、

突然、病院に入院したと聞いて会いに行ってきたんです。」

「入院ですか?」

「はい、病院が最寄り駅からタクシーで2時間くらいかかるようなとこで…

会うまではなぜこんなところに?と思っていたんですけど。

会ってみて理由がわかりました。」

「というと?」

「彼は、隠れて薬をやっていたみたいなんです。

それも、大麻とか覚せい剤とかではなく、ただただ薬を過剰摂取するという。ODってやつですね。

外では楽しそうに飲んで遊んでいたみたいなんですけど、

内面ではかなりのことを抱えていたみたいで。」

「それは...」

「久しぶりといっても、昔と変わらず会話ができるし、

外見もそこまで、少しやせたかなぐらいで変わりはなかったんですけど。」

「どうして入院までしたのかが気になると?」

「いえ、それは会話を始めるとすぐにわかりました。

彼、見えない何かにおびえている感じだったんですよね。

幻覚みたいなものに。」

「目に見えない、触れられない何かから逃れるために

アルコールに走り、人肌に触れ、睡眠薬などの薬に手を出したと。」

「それは結構大変そうですね。」

「大変でした、そんなもの幻覚だ、大丈夫だといっても、

君にはわからない、この恐ろしさが。と言われ...」

「狂人になってしまっていたと?」

「本当にそんな感じですね、今まであったことをたくさん話してくれました。」

マスターの話してくれた内容はこうだ。


彼は、厳格な父と才色兼備な母親のもとに

2人兄弟の次男として生まれた。

長男は博学で、好奇心を頼りに様々なことを研究して

幼少期から頭がよかったらしい。

「人が元気に笑って暮らせる世界を作りたい。」

と幼少のころに心に決め、

医学部の道へと進み、現在は地元の大学病院に勤務している。

反対に友人は、特にやりたいことも見つからず、

両親に反抗することもできず、

流されるままに、大学に進学し、

マスターとは大学時代に出会ったらしい。

社交的な長男とは違い、内向的な性格であったため、

友達も少なく、周りに敵を作らないように、

人に抗うこともなく生活していた。

ベースを手にしたのも、

長男が弾かなくなったベースを譲ってもらい、

社交的になるべく始めたらしい。

楽器を始めたことで、次第に人の輪が広がっていき、

このころから、女性遊びを始めたらしい。

寂しさを紛らわすために、

夜の静けさから逃れるために。

楽器を始めてからの彼は、

音楽を通じて徐々に周りの人と打ち解けていった。

音楽が彼を救ったといっても過言ではないであろう。

「最初のうちはよかったんですけどね。」

マスターの懐かしそうな顔が少し陰った。

ベースが上達するにつれて、彼は横暴になっていった。

自分のやりたくない曲はやらない、

ギャラが高くないとやらないといった風に。

終いには、

「おれがいないと何にもできないんだろ?」

と周りに言ってしまい、孤立しました。

そのころから、酒浸りになっていったらしい。

最初はやさしかった周りの友人も次第に

彼から距離を置くようになりました。

「楽器をしていないときの彼はすごくおとなしく良いやつなんですけど

楽器を持ってしまうと人が変わるみたいで。」

「マスターとは仲が良かったのですか?」

「僕だけは、彼の考える音楽と方向性が一緒だったので、

彼においてかれないように必死に練習しました。

結果として、彼は僕にだけは本音で話してくれましたね。」

「音楽の方向性の違いとか、やっぱりプロですね。」

「若かったですからね。」

そういってマスターも煙草に火をつけた。

「そこから彼は、海外に行ったり、日本全国各地で様々な方と共演をし、

そこそこ有名になって、私生活も落ち着いてきたかなと思っていた矢先に入院ですよ。びっくりしました。」

「そういうことだったんですね。」

「さすがに他の人は彼に会いに行こうともしないので、私が行くしか無かったんですよね。」

マスターはそう言って、静かに煙草の灰を落とす。

「孤独が一人で抱えきれなくなったのでは、極度の人間不信から薬に手を出してしまったのではとお医者さんは言っていましたが。」

「そうだったんですね。

正直、お店が長い間お休みだったので、

マスター自身に何かあったのかと心配してました。」

「それはそれは心配をおかけしました。

お詫びに、一杯と一曲、ご馳走しますよ」

「本当ですか、そんなつもりではなかったんですけど…

では今日の締めのジントニックと、

曲は今日のマスターのおすすめを」

「わかりました。」

そう言ってマスターは慣れた手つきで、ジンのボトルに手を伸ばした。

絶妙なバランスでジンとトニックウォーターを混ぜ、マドラーを抜く。

「お待たせしました、ジントニックです。」

カウンターにグラスを置くと、マスターはピアノへと向かった。

「では失礼して。」

そう言ってマスターは、テネシーワルツを弾き始めた。

友人に恋人を紹介するとその友人に恋人を奪われてしまうという

なんとも残酷な曲だ。

先ほどの友人の話が曲とリンクして、不思議な気持ちになる。

今、マスターはどんな気持ちでピアノを弾いているんだろう。

友人は、

ベースに出会わなければ、

ODなどしなかったのかも、

でも、ベース、音楽に出会ったから

マスターとも出会ったんだよな。

そんなことを考えながら、グラスを回す。

カランッ

乾いた音が、ピアノの音に呼応する。

マスターは静かに鍵盤から手を放す。


静かに静かに手を放す。







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