この世界の片隅で私は君を一生愛することを悟った

プレシングルマザーです。 いわゆる別居マザーです。 三行半ならぬ、出戻り半。 なんなら…

この世界の片隅で私は君を一生愛することを悟った

プレシングルマザーです。 いわゆる別居マザーです。 三行半ならぬ、出戻り半。 なんならそのままでと 「でもどりはん」と名前にしました。 京都っぽくあの発音で呼んでください。

最近の記事

近況報告、毒親未満だけど穏やかな日々。

前回投稿から、また時間が空いてしまいました。 あれからわりと穏やかな日々を過ごしています。 母との距離感が適度なのか、最近はあまりいざこざはありません。そういうのがなければ、母は基本は美人で良妻賢母の善人なのです。 先日、両親に車を出してもらってパンのあの人のテーマパークに連れてってもらいました。子供との関係は始終良好でした。 いえ、もともと子供はおばあちゃんが大好きで、楽しいときは抱っこをせがむし、怖いときはひっつきます。 子供はこれからもずっとおばあちゃんの事が大

    • 近況報告、毒親未満の落としどころ。

      かなり前から、私も子供もえらい体調不良(コロナは陰性)が続いていて、noteを更新することができませんでした。 あまりにもいろんな事があって、やっと落ち着いてきて、近況報告できるくらいにはなったので、書かせてもらいます。 昨年の夏に、母が毒親かもしれないと見限ってしまった後も、往生際悪くも何かしらの大きな気づきを期待して、息込んで母(+αで家族も)を記録していたのですが、割とどうでもいい事しか見つけられませんでした。 子供の事はありましたが(母の失言シリーズ)体調不良の間

      • 不機嫌な母が怖い。◆毒親未満語録

        母はものすごく不機嫌にお弁当の値段を暗算してきっちり返金してきました。 後日、急転直下で機嫌がよくなり、現在に至ります。 母の私に対する悪意をどう説明していいのかもわからないし、今更聞いてくれるとも思えません。 結局、親戚には深くは聞けませんでした。 *後日談、お正月の親戚の集まりの時、その親戚から、なぜか私にもお気持ち封筒でお年玉をもらいました…。 なんで?これも聞くに聞けず。母、何言ったんだろ…。

        • 保育園と預かる気がない母◆毒親未満語録

          別居してすぐに、どこかに預けて働きに出たいと思っていましたが、保育園には受からないし、母に預けようとしても上記の通りでした。 「母に預けて働く」事を考えた時から、生殺与奪の権が、母にいったのでしょう。 保育園も職場も働くタイミングもドタキャンすらも、母の言う通りに事が運びました。 (そして私はアホなので、母の思惑に気づかない…) 母を見限る前の私は、母の言動に振り回されたうえ結局働けず「保育園受からない」「ワンオペ子育て」「無職」「働けない」「言いふらし」などで病んでい

        近況報告、毒親未満だけど穏やかな日々。

          落としにかかってくる母◆毒親未満語録

          父は子供(孫)のために、月一で車を出して遠出してくれます。 行先は子供の好きそうなところ。 水族館とか動物園とか。先日は大きな公園へ行きました。 最近の母との気まずさに、父は気にしてくれている様子で、今回の遠出も「お母さんが一緒に行こうといってくれてるから」と母をフォローして言ってくれていました。 (母はその時「はあ?言うてへんけどな…」と父の心遣いを無下にしていましたが。) ドライブ中も、父は話しかけてくれるし、あまりに話さないのも悪かったかなと反省して、ちょっとずつ

          落としにかかってくる母◆毒親未満語録

          母をなんとなく見限った日◆母は毒親だったのかな

          目と耳と口をふさいで、思考を停止させて、長い年月を過ごしました。 私の自信もプライドも根こそぎ朽ちて、社会性は限りなく落ちました。 夫と結婚する時も別居する時も、母と紆余曲折があったのですが、それでもなお、私は母の愛を乞うていました。 でも、ある日、母をなんとなく見限ってしまいました。 その日から、母に何を言われようと、心が動かなくなってしまったのです。 不思議なもので、そうなると母も焦ったのか、頼んだものを忘れずに買ってきたり、これ苦手な食べものだったよね、好きだ

          母をなんとなく見限った日◆母は毒親だったのかな

          ♡母がしてくれたこと◆母は毒親だったのかな

          母は良妻賢母らしく、たまに与えてくれる愛は、ちゃんとした良妻賢母そのものでした。 例えば、幼少時、子供会のお出かけプール用に可愛い水着を買ってくれました。 例えば、ずっと欲しがっていたリカちゃん人形を買ってくれました。 ひな祭りにはひな人形のおにぎりを作ってくれました。 習い事の編み物でセーターを作ってくれたし、デザインしたら作ってあげるよ、と言われました。 高校生だしおしゃれしたら?と言われました。 たいていの内情は、だいたいこうでした。 母は普通のご家族の出

          ♡母がしてくれたこと◆母は毒親だったのかな

          忘れ物が多くて整理整頓ができない小学生◆母は毒親だったのかな

          私は「忘れ物が多くて片付けも整理整頓もできない子」と言われて育ちました。 自分でも、なんでこんなに物がすぐなくなるのか、片付けも整理もできないのか…。 わからずも、性格とか性質とか能力がないのかもとか、そういう仕方ない事として受け入れていました。 それに疑問を持ったのが、結婚してからです。 掃除・片付け・整理整頓をしてくれる母と離れたらすぐさま汚部屋になって全ての小間物を失くしてしまうと、戦々恐々と新婚生活を送っていたのですが、いつまでたっても、物がなくならず、置いた場

          忘れ物が多くて整理整頓ができない小学生◆母は毒親だったのかな

          ♡お父さんと悪循環◆母は毒親だったのかな

          父は建築関係の仕事をしていました。 職業柄それなりに荒い性格をしていて、昭和の男で、モラハラに近い言動で厳しく家庭を管理していました。 母にはよく「俺が厳しくしてもお前が甘やかすからそっちに流れてしまう。どうしようもない子に育ってしまう」と言っていました。 (母は兄を甘やかしはすれ、私は放置でした。でも、父がそういうから、私は母に甘やかされていると思っていました) 母は父のことを「きついひと、子供が大きくなったら離婚したかったけど病気したからそれもできなかった」と言ってい

          ♡お父さんと悪循環◆母は毒親だったのかな

          兄弟格差◆母は毒親だったのかな

          母は兄のことは悪く言いません。 成人してからの話ですが、督促まで進んだ借金を全額肩代わりしても、兄が冤罪で警察に事情徴収受けた話も、母は私に話す時ですら兄を擁護します。 私が生活費を多めに出していた時、「私が払ったお金で、兄の借金を返しているみたいじゃないか、多めに出した生活費を返してほしい」と問うと「どうしたん。急に賢くなってwwww」と言われ、お金は返ってきませんでした。 その後、母は「生活費を入れてない娘」という事を親戚に言ったようで、 親戚から「生活費入れてな

          親戚は子供を守った◆母は毒親だったのかな

          母は私に「お父さんは(私)に甘い」と、ずっと文句を言い続けていました。 父に高価な習い事の道具を、ふたつ買ってもらったことがありました。 でも、そのふたつとも、長続きせずに辞めてしまいました。 母はそれを快く思っておらず、ことあるごとに「高いの買ったったのに続かんかった」「何しても続かん子」と言い含められたし、私の目の前で色んなところに言いふらしました。 それに対して負い目や不甲斐なさ、後ろめたさ、罪悪感があり、言われても仕方のないことと思っていたし、文句を言える立場で

          親戚は子供を守った◆母は毒親だったのかな

          いきなり𠮟られる幼少時代◆母は毒親だったのかな

          幼少期~小学生くらいまでは、母の友人や近所の人からいきなり叱られることが多くありました。 でも、理由は全然わかりませんでした。 身に覚えがないことも多く、でも大人はきっちり私を狙って叱ってくる。 仕方がないので、わけもわからず叱られて逃げる、黙ったり笑ったりしてやり過ごす、という事を繰り返していました。 一番はっきり言ってくれて、やっと状況が呑み込めたのが、当時母と親しかった市会議員の奥さんだったO川さんでした。 O川さんも、いきなり私の腕をひっつかんで 「いう事をきか

          いきなり𠮟られる幼少時代◆母は毒親だったのかな

          良妻賢母のお母さん◆母は毒親だったのかな

          母は良妻賢母です。 家事に仕事に忙しくしていて、人に後ろ指をさされるような事もしないので、私も母を良妻賢母の鏡だと理解して過ごしていました。 自慢のお母さんでした。 でも、 気持ち悪い吐きそうと母に伝えた時は、「うつさんといて」と洗面器を投げられました。 父と兄が家にいない時は、食事が出てきませんでした。 正直、「娘だし夕飯を作らなくても各自適当に食べておけばいいよね?家事の手抜きってこうするんだよ、勉強ね?」的な意味あいだと理解して、たいして気にしてなかったのです

          良妻賢母のお母さん◆母は毒親だったのかな

          誰にも好かれる美人さん◆母は毒親だったのかな

          私の母は美人さんです。 大きなたれ目、たれ眉、色白で人のよさそうなうりざね顔。 美人さん特有の、天真爛漫で明るく屈託のない性格をしています。 また、京都出身なので、言葉も物腰も静かで柔らかく、全体的に穏やかで、たいていの人に好かれます。 うちの近所の奥さんたちは美人さんが多かったけれど、母が一番の美人さんだったのではと思います。 その娘さんたちもみんな美人さんで、自分の娘だけが不細工だったのが許せなかったのでしょう。 母は自分に似た兄を溺愛し、父に似てしまった私を

          誰にも好かれる美人さん◆母は毒親だったのかな

          ◆母は毒親だったのかな

          はじめまして。 でもどりはんと申します。 タイトルにある通り、「母は毒親だったのかな」は、私の母の事を書いています。 私の母は、毒親というには善良過ぎて、周りに話しても全く理解が得られませんでした。 良妻賢母の鏡のような人でした。 上手な人生を送れていない責任を母に置きたいだけなのかもしれないと思う時があります。 それでも、やっぱり、どう思い返したとて、記憶の中の母は母でした。 最近、とあることがあって、母への思いを整理しようと思い立ち、ここに書いてみました。

          なんか色々目につくやつを触るスタイルの休息

          noteの使い方を模索しつつ、だらだらと投稿しつつ、子供が寝た後の休息を過ごしています。 こんなゆるいアウトプットですら、澱が少し出ていく感じがするから不思議。楽しい。(*'ω'*) さて。 何も考えずに作った画像は500×500pixelでした。 見出し画像にはサイズが合わず…。 調べてみるとnoteさんの公式ヘルプサイトで、 「登録画像の推奨サイズ一覧」 というものがあるのを発見しました。 ここでは以下の推奨画像サイズが紹介されています。 ① 記事見出し画像

          なんか色々目につくやつを触るスタイルの休息