はとぽっぽ

 ミーコとそこらへんを適当に歩いている。ミーコは本名、なんていうんだっけ。長く居すぎて忘れてしまったけれど、僕がミーコって呼ぶと振り向いてくれるのはミーコだけだし、僕がミーコって呼ぶのもミーコだけだ。なんだっていいんだよ。その証拠に僕の左手はあったかい。
 僕はミーコとああでもこうでもない話をしながら歩くのを心地よいと思っている。ミーコはどうだか知らない。聞いたこともないし、ミーコから言ってきたこともない。そういうことは言わなくてもいいって、僕は思っている。
 ミーコは鳩とかスズメとかカモとか、どこにでもいるような鳥を見つけるのが好きみたいだ。僕もミーコが当たり前の鳥を見つけるとなんとなく嬉しいような気分になる。僕はわざと大きな足音を立てて鳩を散らすのが好きで、ミーコはそれを見て不機嫌になるのが好きだ。
 僕とミーコとそこらへんにいる鳥たち、それだけで成り立っているような夕焼けが近くの街路樹を影絵にして、世界の反対側に来たような気分だよ。だからもう大丈夫なんだ、僕たちは。
 ミーコとはじめて会ったのは、新宿の、ホームレスが牛耳っているあのトンネルの中だ。ミーコはホームレスに混ざって絵を売っていた。下手くそな絵だった。鳥がたくさん描かれていた。僕は(ほかの人たちがそうするように)、目もくれずにミーコとミーコの描いた鳥たちの前を通り過ぎようとしていた。
 運命だろう、偶然だろう、必然だろう、まあどうだっていいだろう。僕が通り過ぎようとした途端、新宿の、影も光もないようなトンネルがグラっと揺れた。お得意の緊急地震速報もなしに。知らない人たちの悲鳴が聞こえた。僕はパッとミーコのほうを見た。絵と、その中の鳥たちは大丈夫だろうかと心配になった。
 絵の無事を確認した後ミーコを見ると、何もない、何もない顔をしていた。きみは、どうやって、こうやって、そうやって、生きてきたんだね。絵が無事で、きみが無事で、良かったなあ、どうせただの他人だけれど。僕らはみんな鳩の群れの中の他人同士だ。誰を認識することもなく何らかの拍子に死んでしまう、そんな他人同士だ。
 だけどね、ミーコ。見つけることは僕にとって、そのとき、そしていまも、とても重要なことだったみたいだよ。もしかしたら僕は、鳩の群れの中で運命とか偶然とか必然とかじゃなくて、こんなマグレを待ってたのかもしれない。マグレで良いんだ、しあわせだよ。
 そのときからミーコは僕の隣を歩くようになった。本名はいちど聞いたことがあったと思う、覚えなくていいよって言われたから忘れちゃったんだと思う。ただ、どこにいても見つけてねって言われたから、どこにいても見つけるようにしてるだけだと思う。
 住所も良く知らない。もしかしたらまだあのトンネルの中に住んでいるのかも。好きな食べ物はカレーだって聞いた(これは絶対忘れないでねって言われたからきっとずっと憶えていると思う)。好きだとか好きじゃないとかはよく分からない。ミーコもそんなこと考えちゃあいないだろう。僕らは隣を歩いて、鳥を見つけて、散らして、不貞腐れて、絵を描いて、何にも知らないままで、それでも歩いていくだけだ。いまはそれだけがすべてでいい。これからもそれが全部だとしても、僕はそれでいい。

「やっぱり僕ら、群れん中の鳩みたいだね」
「都会の鳩って人慣れしすぎててさ、こうやってあたしたちが近寄っても全然避けないのね。なんかそれがあたしには心地良いよ」
「ミーコは変だ、こんなのの中で、喧騒の中で呑気にやってたら、気が狂っちゃっても気が付かないよ」
「でもあんたは気づいてくれるでしょ、変な色の鳩だなあって分かるんでしょ、どうせ。そういうとこあるよ、あんた」
「鳩の群れの中にミーコがいて、そんで気づいたら僕もいたら、それだったらいいなあ」
「変なの」
「変にもなるよ、僕らずっと鳩の群れの中だ」
「支離滅裂だよ」
「いいんだよ、いっしょにいるんだし」

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