「即」という名のアポリア 番外編 その1

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後期密教――性と死という難問


 前回で中期密教はひとまず終わりましたので、今回から数回は「番外編」ということにして、後期密教の世界をほんの少しだけのぞいてみることにします。ただし、前回の最後に少し申し上げましたが、後期密教には『理趣経』以上に過激で、現代人の常識に大きく反するような内容や、一歩間違うと「危険な」内容も含まれています。でも、現代人の常識に反するような内容だからといって、現代人の常識に抵触しないような内容へとねじ曲げたりするわけにはいきません。今さらことわるまでもないことかもしれませんが、この雑文は最初から“ココロが癒されるふわっとした話”をすることを目的としたものではありませんし、「やばい」ところをごまかすつもりもありません。一応定型句を申し上げておくと、この番外編には性的な要素や少々グロテスクな表現が含まれています。苦手な方、おどろおどろしい「アブない」話はひとまずスルーして先に進みたいという方は、番外編は飛ばしていただいてもひとまず大丈夫です。

 ともあれ始めましょう。中期密教の時代には、『大日経』や『金剛頂経』といった本格的な密教経典が登場し、密教が理論の面でも修行法の面でも高度な展開を見せ、密教の世界観を表現した曼荼羅が説かれたり、「自分」と仏が“本来的に”一体であることを体得するための修行法が開発されるようになったりしたということは既に述べたとおりです。

 しかし、話はそれでは終わりませんでした。密教者の一部は、それでもまだ不十分だと思ったのか、この世界はすべて仏のあらわれであり、「自分」と仏が“本来的に”一体であることを確証するための新たな修行法をさらに開発していったのです。そこで密教者たちは、人間であれば誰であっても避けることができない「性」と「死」という二つの領域に目をつけました。まず「性」について申し上げると、彼らは驚くべきことに、密教の究極の修行法として性行為を導入しました。これを「性的ヨーガ」と言います。密教者たちは、性のエネルギーを利用して性快感を極限まで高め、至高の快楽という形で仏の究極の智慧を体得しようとする瞑想法を開発したのです。多くの宗教においてタブーとされる領域へと入っていったわけです。

 次に「死」について申し上げると、後期密教では、「死」の瞬間をシミュレートして、死を解脱へと転化しようとする瞑想法が開発されました。例えば、『チャトゥシュピータ・タントラ』という後期密教経典では、意識が身体を離れる死の瞬間こそが解脱を得る絶好の機会だと考えて、意識の行方を操作し、輪廻を脱した「覚り」の世界へと意識をジャンプさせようとする瞑想法を説いています。『チャトゥシュピータ・タントラ』では、この瞑想法を「ウトクラーンティ」(utkrānti)と呼んでいます。このような死をシミュレートする瞑想法の流れは、その後チベット仏教にも受け継がれました。チベット密教では、死をシミュレートする瞑想法の一つに、「ポワ」というものがあります。チベットでは、密教僧が死を迎えようとしている者に対して行う臨終の儀礼や、信者が死に備えて行う修行なども、「ポワ」と呼ばれるようになりました。

 ここでギョッとした方もおられるかもしれません。そうです。数々の凄惨な事件を起こし、罪のない人々を殺めたオウム真理教の「ポワ」というのはここからきています。オウム真理教の教義は、ヒンドゥー教や後期密教やサーンキヤ哲学や神智学などの教理を、いわば「闇鍋」にすることで出来上がっているため、こういうことも起きてくるわけです。ただし、大急ぎでつけ加えておきますが、オウム真理教の言う「ポワ」は、元々のポワを恣意的にねじ曲げたものです。オウム真理教は、「将来悪業を積む可能性のある人間を殺し、高い次元の世界に転生させること」をポワと呼んで正当化していましたが、元々の後期密教のウトクラーンティやポワにはそういう意味は全くありません。ウトクラーンティもポワも、人を殺そうとする瞑想法などではありませんし、人を殺害する意図を含んだものでは決してありません。この点は強調しておきたいと思います。ただし一方で密教には、呪殺法をめぐるおどろおどろしくて暗い側面があることもまた事実です。この点についてはまた後ほど述べます。

タントラの分類

 さて、後期密教の経典は、父タントラ・母タントラ・双入不二タントラの3種類に分類されています。主な経典としては、それぞれ次のようなものがあります。

父タントラ     『秘密集会タントラ』
母タントラ     『サマーヨーガ・タントラ』『ヘーヴァジュラ・タントラ』『サンヴァラ・タントラ』『チャトゥシュピータ・タントラ』
双入不二タントラ  『カーラチャクラ・タントラ』

 このなかでは『秘密集会タントラ』が最も早く、8世紀の後半頃に成立したと言われています。『秘密集会タントラ』は大きな権威を持った経典となり、その後のインドでは、『秘密集会タントラ』を解釈する学派たちが成立していくことになります。代表的な学派として、「聖者流」と「ジュニャーナパーダ流」があげられます。かくして『秘密集会タントラ』は、その後のインドやチベットの仏教に大きな影響を与えていくことになります。

 父タントラと母タントラはそれぞれ別の流れをたどって成立しているようで、その内容も結構異なっていたりします。傾向としては、父タントラ系統では主に、死を解脱へと転化しようとする瞑想法が発展していきました。このことを指して、父タントラは「空」を中心とすると言われています。一方、母タントラ系統では主に、性快感を極限まで高めて、至高の快楽という形で仏の究極の智慧を体得しようとする瞑想法が発展していきます。そのため、母タントラは「楽」を中心とすると言われています。

 この「空」と「楽」という二つの流れはやがて接近し、両者が統合される傾向を見せるようになり、父タントラと母タントラを統合しようとした双入不二タントラが成立します。双入不二タントラにあたる『カーラチャクラ・タントラ』は、10世紀から11世紀ごろに成立したと言われており、それまでのインド密教を集大成しようとした、インド仏教最後の経典の一つです。

 ちなみに、さっきから「タントラ」ということばが何度も出てきていますが、これは後期密教の経典のことです。それまでの仏教経典は「スートラ」と呼ばれていましたが、後期密教経典は「タントラ」と呼ばれています。

 ただし、チベット仏教では後期密教経典に限らず、密教経典であればすべてタントラと呼んでいます。ことばの範囲を勝手に拡張していいんだろうかと思う方もおられるかもしれませんが、必ずしも変だとは言い切れない面もあります。というのも、例えば『蕤哂耶経』という初期密教経典があるんですが、この経典はサンスクリット語で言うとsarvamaṇḍalasāmānyavidhi-guhyatantraです。『グヒヤ・タントラ』と呼ばれていたわけです。また、インドで書かれた『大日経』の註釈は、「タントラ」と呼ばれていたりします。つまりインドにおいて、初期~中期の密教文献も「タントラ」と呼ばれていたことが確認できるわけです。ですので、密教経典をすべて「タントラ」と呼ぶのも理由のないことではないわけです。

『秘密集会タントラ』

象徴の論理――般若(母)と方便(父)の合一

 さて、実際にタントラの中身を少し見てみましょう。後期密教経典のなかでは成立が早い『秘密集会タントラ』を見ると、しょっぱなにこんなフレーズが出てきます。

 以下のように私は聞いた。ある時、世尊は一切如来の身語心の心髄である諸々の金剛妃の女陰に住しておられた。

松長有慶『秘密集会タントラ和訳』法蔵館

 平たく言ってしまえば、これから『秘密集会タントラ』の教えを説く世尊は、パートナーである女性修行者と性行為をしていたということです。この衝撃的なフレーズは、『秘密集会タントラ』以降に成立していったタントラにも登場し続ける定型句になりました。タントラを書いたり編集したりした人々にとっては、このフレーズは欠くべからざるものだったのでしょう。『秘密集会タントラ』の第七分には、性的ヨーガに関するこんな一節もあります(『秘密集会タントラ』は全部で18のパタラ(章)から構成されていて、漢訳ではパタラは「分」と訳されています。よって、「分」というのは章のことです)。

 みめ美しい十六歳になる、女を得て、
 加持の三句をもって、秘密裡に供養を始めるべし。
 如来の大いなる妃である、ローチャナー等として観想すべし。
 二根交会によって、仏[となる]悉地を得ることになろう。

同前

 なんとも生々しい話ですが、性的ヨーガを通じて仏の境地を得るということであります。ここに出てくるローチャナというのは、仏母です。仏母というのは、密教で立てられる尊格の一種で、仏や菩薩を生み出す母だとされます。この仏母というのが何なのかを考えるために、いったん時計の針を初期大乗の時代まで戻しましょう。第26回で触れた初期大乗経典の『八千頌般若』には、こんな一節があります。

 カウシカよ、この供養されるべき、完全にさとった如来の全知者性というものは、知恵の完成の所産である。そして、カウシカよ、如来が具体的存在としての身体を得ているということは、知恵の完成の巧みな手だて(善巧方便)として生じているのであり、全知者の知の容器となっているのである。というのは、カウシカよ、この容器によって全知者の知識は顕現し、仏陀が顕現し、(経典などの)教え(法)(としての)身体が顕現し、(不退転の菩薩の集合である)僧団(僧伽)の具体的存在が顕現するのである。

梶山雄一訳『八千頌般若経Ⅰ』中公文庫

 ここに出てくる「知恵の完成」は、サンスクリット語のプラジュニャー・パーラミター(prajñāpāramitā)を訳したもので、般若波羅蜜のことです。『八千頌般若』をはじめとする般若経では、釈迦をはじめとする仏たちは、この般若という智慧を完全に覚ることで仏になったのだとされています。

 そしてこの一節では、如来(=仏)は般若波羅蜜を容器として生じたのだと説かれています。釈迦をはじめとする仏たちは、般若という智慧を完全に覚ることで仏になった。般若波羅蜜という目に見えない智慧が基盤になって、我々一般人にも見える色身をそなえた仏が生じる。ゆえに、般若波羅蜜というのは仏を生み出す母親のようなものである。ここで言われているのはそういうことです。

 また、第13回で紹介した初期大乗経典の『維摩経』には、こんな一節があります。

 友よ、菩薩たちにとって、智慧の完成(般若波羅蜜)が母であり、巧みなる方便が父である。その[母と父]から、指導者[である菩薩]たちは生まれるのだ。

植木雅俊訳『梵漢和対照・現代語訳 維摩経』岩波書店、太字引用者

 サンスクリット語では、般若波羅蜜(prajñāpāramitā)は女性名詞で、方便(upāya)は男性名詞なので、このように説かれたのです。以上のような初期大乗の頃から存在した思想は密教の時代に発展し、仏を生み出す母親である般若波羅蜜が尊格化されるようになりました。例のごとく「擬人化」を行ったわけです。このような流れで、マーマキーやローチャナーのような仏母が生まれたのです。

 以上のような思想は、後期密教においてさらなる展開を見せることになります。後期密教は、『維摩経』にも説かれていた「般若は母であり、方便は父である」というテーゼを、男女の合一によって般若と方便が合一し、「覚り」が生まれるという方向で解釈したのです。よって、男女の性的ヨーガによって般若と方便が合一した「覚り」が体得されるという話になったのです。ここにも、象徴と象徴されるものが相似の関係にあることが、イコールの関係へと飛躍するという、何度も申し上げてきた密教の論理がはたらいています(この場合、男女の性的ヨーガが象徴で、般若と方便が結合した「覚り」の世界が象徴されるものです)。

 先ほど述べたように、『秘密集会タントラ』の冒頭には「世尊は一切如来の身語心の心髄である諸々の金剛妃の女陰に住しておられた」と書いてありました。これは、世尊は性的ヨーガを通じて般若と方便が合一して「覚り」を実現している状態にあり、これからその立場で『秘密集会タントラ』の教えを説くのだという話だったわけです。

 中期密教の時代に登場した『理趣経』には、性愛を大胆に肯定する思想が語られていることは前回見たとおりです。でも、『理趣経』は性的ヨーガを説いてはいません。前回述べたことの繰り返しになるようですが、『理趣経』が説いたのはあくまでも、「机」も「椅子」も「りんご」も「みかん」も「きれい」も「きたない」も「性行為」も空である、この世のすべては仏のあらわれである、この世のすべては(性行為も含めて)“本来的に”清らかである、ということです。性行為を用いた修行法を説いているわけではないのです。しかし、後期密教はそこからさらに一歩踏み出して、性行為を修行法のなかに組みこむに至りました。後期密教はこの点で、それまでの密教とは区別されるわけです。

 後期密教が、どういう経緯で性的ヨーガを修行法の核心に組みこむようになっていったのかはよくわかっていないようです。ヒンドゥー教に勢力を奪われていった当時の仏教が、新たな信者を獲得するために、多くの宗教でタブーとされる領域にあえて踏み込んでいったのか。当時の仏教は、既存の教義や修行法や儀式だけではどうにもならないような閉塞状況に陥っていたのか。こんな指摘もあります。

 元来、インドにおいては、女神への信仰、あるいはまた男性器や女性器をかたどった石などの礼拝物に見られるように、性的な力への信仰が古くから存在していた。そこに性行為における恍惚忘我の心的状態を絶対的存在との合一の境地とアナロジーする発想が現れ、性行為を伴う民間土着的な宗教形態へと展開したものと想像される。

野口圭也「後期密教の思想と実践」、立川武蔵・頼富本宏編『インド密教』春秋社

 農耕によって生きる人々は昔から、多くの子宝に恵まれることを願ったり、豊作を願ったりしてきました。そうした願いは地域を問わず、男女の性交渉によって象徴化されることが少なくありませんでした。これは何もインドに限った話ではありません。男女の生殖器を神聖視し、生殖器により象徴される多産や豊作をもたらす力を信仰する、生殖器崇拝と呼ばれる文化現象は世界各地で見られるものです。日本でも、例えば陰陽石というものが全国各地に見られます。男女の性器をかたどった石を信仰し、子孫繁栄や豊作を願う文化が現在まで伝わっているのです。

 男女が性行為をすることで母胎のなかに胎児が宿り、生まれて成長していくということは、ジンルイにとってずっと不可思議極まる事態であり続けてきました。「精子と卵子に両親の染色体が半分ずつ配分され、それらが受精して遺伝情報が親から子供へと伝わって云々」という科学的な説明をニンゲンが手にしてから、まだ100年もたっていないのです。「性」によって「生」がもたらされることは、ニンゲンにとって「聖」なる領域に連なる事象だったわけです。後期密教がなぜ性的ヨーガを修行に組みこむようになっていったのかはよくわかっていませんが、背景としてこのようなことも考えられるのかもしれません。

煩悩即菩提・生死即涅槃

 ともあれ後期密教は、人間の欲望を“本来的には”清らかなものとして積極的に肯定してみせた『理趣経』の立場からさらに一歩を踏み出して、人間の欲望を「覚り」に至るエネルギーへと変換する修行法を開発しようとしたのです。そこには、この雑文でずっと扱ってきた空の思想が絡んでいます。ここで思い出していただきたいのは、『中論』第25章に出てくる次の一節です。

(第19偈)輪廻を涅槃から区別するものは何もない。涅槃を輪廻から区別するものも何もない。
(第20偈)涅槃の極みは輪廻の極みである。その二つの極みの間にはわずかな隙間も決して知られない。
  【別訳】涅槃の極みと輪廻の極み、この二つの極みの間にはわずかな隙間も決して知られない。

桂紹隆・五島清隆『龍樹『根本中頌』を読む』春秋社

 これは「煩悩即菩提」とか「生死即涅槃」と呼ばれる思想です。すべてが空であり、此岸(迷いの世界)にも、彼岸(「覚り」の世界)にも、迷いの世界から解脱する人にも実体はないという以上は、必然的に迷いと「覚り」は不二であるということになります。何度も申し上げているように、インドでは「煩悩即菩提」とか「生死即涅槃」と言っても、それはあくまでも究極的な仏の境地から見た話であって、我々に見えている世界が“即”仏の世界だというわけではないのですが、それでも究極的には俗なる世界と「覚り」の世界は別なものではないということになります。

 一方、第26回以降述べてきたように、このような「すべては空である」という初期大乗の空の思想は、やがて「空はすべてである」という思想に横滑りして、この世のすべては空という法則によって貫かれ、空という基盤によって成り立っているという話になっていきました。その結果、空という法則に貫かれたこの世界すべてをポジティヴに捉える方向性が生まれ、密教では、この世のすべては仏のあらわれであると言われるようになりました。そして、俗なる世界と「覚り」の世界は究極的には別なものではなく、この世のすべては仏のあらわれであるという思想は、『理趣経』のように人間の欲望を積極的に肯定してみせる思想を生み出すことになりました。

 後期密教はそこからさらに一歩を踏み出して、煩悩を捨てずに解脱へと至る道を模索し、人間がさまよっている俗なる世界を、“そのまま”「覚り」の世界へと転換することを目指したのです。性愛は、人間の欲望のなかでも根源的なものの一つであり、誰しも避けてはとおれないものであるにもかかわらず、否、それゆえにこそ多くの宗教によって排除され、俗なるものの極みだとみなされてきた領域です。後期密教が提出してみせたのは、俗なる世界の極みは「覚り」の世界の極みであり、「覚り」の世界は俗なるものの極みである性の快楽によって体得されるというテーゼでした。

 ただし、急いでつけ加えておくと、後期密教は性行為をしさえすれば覚れるなどという安直な主張を行ったわけではありません。あくまでも、人間に避けがたくつきまとう性という領域を利用して、仏の究極の智慧を体得しようとする方向性を切り開いたわけです。

 かくして後期密教は、俗なる世界も“本来的に”仏の世界であるという思想に基づいて、人間の欲望を“本来的に”清らかなものとして積極的に肯定し、人間の欲望が持つエネルギーをあえて抑制することなく、修行の実践へと転化するという方向性を提示したのです。実際、『秘密集会タントラ』の第十七分にはこうあります。

 一切の欲を享受し、望むがままに[それに]身をゆだねつつ、
 まさにこのような瑜伽によって、すみやかに仏位を得ることになろう。

(中略)
 きびしい苦行や制戒に頼っていては、悉地を得ることができない。
 その逆に、一切の欲の享受に身をゆだねるならば、すみやかに悉地を得ることができる。
 施物を生活の糧として念誦してはならない。施物に執着してもいけない。
 一切の欲を享受しつつ、身体を衰えさせずに真言を念誦すべし。
 身語心を安楽になしてはじめて、菩提を得ることができるであろう。
 さもなければ、かならず不時の死に見舞われ、地獄で煮られるであろう。

同前、太字引用者

 ここでは、俗なる世界と「覚り」の世界との距離が非常に近いものとして捉えられているわけです。その結果、次のように明言されることになります。

 どのような菩薩であろうと、ガンジス河の砂粒にも匹敵する劫の間、努め、励んだとしても、菩提を得ることはできない。だが秘密集会に専心する菩薩は、今生において、一切如来の中で、仏の数に入ることができる。

同前、太字引用者

 密教以前の大乗では、仏になるには、生まれ変わり死に変わりを繰り返して、気の遠くなるような膨大な時間をかけて修行する必要があると言われていました。しかし後期密教は、そのような膨大な時間の修行は不要であり、ほかならぬあなたはこの現世で仏になることが可能だと断言するに至ったのです。そして、そう断言するだけでなく、この現世で覚るための具体的な修行法も提示しようとしたわけです。

解脱至上主義

 また、「机」も「椅子」も「りんご」も「みかん」も「きれい」も「きたない」も「性行為」も空である、いかなる「分別」にもとらわれてはならないという思想が徹底された結果、“常識的な”道徳や倫理に中指をたてるような過激なことばが散見されるようになるのも、後期密教経典に見られる特徴です。『秘密集会タントラ』では、解脱に至る道として、糞尿や精液や経血や人肉などを食べることを勧めることばも登場します。

 大肉の勝三昧耶によって、無上の三金剛を成就するであろう。
 糞尿の勝三昧耶によって、持明の主となるであろう。

同前

『秘密集会タントラ』の注釈の『灯作明』を見ると、「大肉」というのは人肉のことだと書いてあります。この箇所のすぐ後には、「牛肉の勝三昧耶によって、無上の金剛鉤召を[成就するであろう]」とあります。インドでは牛は神聖な動物だとされているのは有名ですが、そういった「この動物は神聖だ」とか「この動物は汚れている」といったような恣意的な「分別」にとらわれてはならぬというわけです。殺生を肯定してのけるようなことばすらも登場します。

糞尿と経血を食べ、つねに酒などを飲み、
金剛荼吉尼との瑜伽に入り、住位の特徴によって殺生をなすべし。

同前

 後期密教における「殺生」に関する問題については、ここではいったんスルーして後ほど扱うことにします。また、『秘密集会タントラ』の第五分にはこうあります。

 無分別なるものと利益あるもの[との不二より]生じた、貪、瞋、痴に満ちた[行者]は、
 無上なる最高の乗において、最勝の悉地を成就するであろう。
 旃陀羅とか笛作り等や、殺生の利益をひたすら考えている者たちは、
 無上なる大乗の中でも、まさにこの最上の乗において成就をなしとげる。
 無間[地獄に堕す悪]業をはじめとする、大罪を犯した者さえもまた、
 大乗の大海の中でも[すぐれた]、この仏乗において成就する。
 [しかし]阿闍梨を誹謗するのに熱中する人たちは、[どんなに]修行しても成就することはない。
 殺生を生業とする人たち、好んで嘘をいう人たち、
 他人の財物に執着する人たち、常に愛欲に溺れる人たち、
 糞尿を食物とする人たち、これらの人たちは本当のところ、成就するにふさわしい人たちである。
 行者が母、妹、娘に愛欲をおこすならば、
 大乗の中でも最上なる法の中で、広大な悉地を得るであろう。
 仏、尊者の母に愛欲をおこすけれども、[それらに]執着しない、
 そのような分別を離れた賢者に、仏の位が成就する。

同前、太字引用者

 この第五分では菩薩たちが、このようなことばこそが仏の「覚り」の核心を述べたものであると知らされて卒倒してしまいます(その後菩薩たちは起き上がってこの教えを讃えるのですが)。貪・瞋・痴(むさぼり・怒り・無知)の煩悩や、生き物を殺すことや、嘘をつくことや、糞尿を食べることや、近親相姦を求め愛欲に溺れる者たちこそが、修行を成就するのにふさわしいと言ってのけているのです。

 ともあれ、以上のような思想の背景にあるのは空の思想です。「机」も「椅子」も「牛」も「きれい」も「きたない」も「精液」も「経血」も「人肉」も「殺生」も「ウンコ」も「オシッコ」も空である。それらを世間的な“常識”や道徳に基づいて「きれい」とか「きたない」とか「善い」とか「悪い」とか言ったところで、そんなものは恣意的な「分別」にすぎない。そういった実体のない“常識”や道徳や倫理にとらわれてはならない。そのような思想が読みとれます。「仏、尊者の母に愛欲をおこすけれども、[それらに]執着しない、そのような分別を離れた賢者に、仏の位が成就する」とあるのは、そういうことです。後期密教のタントラで、性的ヨーガや道徳に中指を立てるような行為が勧められているのは、「分別」を離れ、世間的な“常識”や道徳を超越して解脱に至る道を説いたものです。古今東西、宗教が世俗的な倫理と鋭く対立するということは珍しいことではありませんが、後期密教のタントラでは、「解脱至上主義」とでも言うべき立場から、解脱のための実践であるならば、いかなる行為も容認されるという思想が提示されているのです。

 真言行者は究竟次第の瑜伽によって、瑜伽を決定して、
 あらゆる[事物が]清浄であると信解し、あらゆる恐怖を捨てるべし。
 真言行者は疑いのない心でもって、獅子のように行動すべきである。
 そこでは為してはならぬものはなにもない。また食べてはならぬものもない。
 語ってならぬものはなにもない。いつも思ってはならぬものはなにもない。

同前

 ちなみに先ほど、「旃陀羅とか笛作り等や、殺生の利益をひたすら考えている者たちは、無上なる大乗の中でも、まさにこの最上の乗において成就をなしとげる」という箇所がありましたが、この旃陀羅というのは、古代インドにおいて穢れた存在として差別されていた人々のことです。インドのカースト制度で最も身分の低いとされた人々こそが、解脱するのに最もふさわしいと主張しているのです。「分別」を離れ、世間的な“常識”や道徳を超越して解脱に至ろうとする「解脱至上主義」の立場からすれば、インドの“常識的な”身分制度も否定されることになるわけです。

 一方、先ほどの箇所には、「[しかし]阿闍梨を誹謗するのに熱中する人たちは、[どんなに]修行しても成就することはない」ともありました。阿闍梨というのは、弟子の模範となる師匠のことです。後期密教のタントラは、世間的な“常識”や道徳をことごとくドブに叩き込みながらも、師匠に背くことや、師匠から授けられた秘密の教えを外部に漏らすことだけは厳しく禁止しています。

 既に申し上げたように、密教は「仏の究極の教えは難解で奥が深いものであるから、すべての人に仏の究極の教えを公開するわけにはいかない。密教は選ばれた特別な者にしか説き明かされない」という立場をとります。よって、密教の究極の教えとされるものは秘匿されており、我々一般人はその内容を知りえません。それを知っているのは師匠だけであり、師匠だけが仏の究極の教えを体得した者であり、師の存在は解脱に至るために不可欠だということになるわけです。そこに疑念を抱いたら、密教の修行の実践は成立しなくなってしまいます。ですので、良いか悪いかはともかく、師匠に背いたり、秘密を漏らしたりすることは厳しく禁じられているのです。

 そういうわけで、後期密教には次のような要素が見られることになります。

①象徴と象徴されるものが相似の関係にあることがイコールの関係へと飛躍する論理
②此岸と彼岸の距離が圧縮される傾向
③空の思想を背景にして、性愛を含めた欲望を肯定する
④師に背いたり秘密を漏らしたりすることが厳禁される

 これらの要素は、後期密教特有のものではなく、中期密教の時点で既に見られたものではあります。ただし後期密教では、これらの要素が徹底的に突きつめられて極端な形で提示されていると言えます。かくして、『理趣経』も説かなかった性的ヨーガを修行法として組み込むに至ったのです。

本初仏の問題

 後期密教に見られる新たな要素をもう一つあげておくと、「本初仏」(ādibuddha)があります。例えば『秘密集会タントラ』には、「持金剛」という仏が登場し、第十二分や第十三分ではこの持金剛が「能生者」(śraṣṭṛ)とか「造作者」(kartṛ)と呼ばれています。仏たちを生み出す創造主のような地位を与えられているわけです。中期密教経典の『金剛頂経』では大日如来は、ほかの四仏を統括する仏ではありますが、四仏を創造する主体とまでは見なされていませんでした。ところが後期密教では、仏たちを生成する基盤となる本源的な仏が立てられるようになったので、それを指して「本初仏」と言うわけです(ただし、『秘密集会タントラ』にはādibuddhaという語はまだ登場していません)。

 ここで思い出していただきたいのは、第29回で少しだけ触れた金剛薩埵(金剛手菩薩)です。密教経典ではこの菩薩は、仏と衆生を結ぶ接点として非常に重要な役割を果たしていました。金剛薩埵は、後期密教の時代になるとさらに出世して本初仏とされるようになり、大日如来などよりもさらに上位に置かれるようになります。後世のチベットでは流派によって、普賢菩薩や金剛薩埵や持金剛などを、本初仏として特別に信仰するということが行われるようになりました。

 仏教は、キリスト教やイスラム教のように全知全能の唯一の神を立てたりはしません。いわゆる「初期仏教」では、全知全能の神を立てて現象世界を説明するのではなく、現象世界は原因と結果の連鎖によって動いているという縁起説を説いています。この縁起説は後世には、縁起と空はイコールだと説く『中論』のような立場や、唯識思想の阿頼耶識縁起や、如来蔵思想の系統を汲んだ如来蔵縁起や、華厳教学の法界縁起など、様々に再解釈されたり換骨奪胎されたりしていきます。

 ただ、全知全能の神を立てないとはいっても、大乗では『法華経』の久遠実成の釈迦牟尼仏や『華厳経』の毘廬遮那仏や密教の大日如来のように、救済神に近い性格を帯びた超人的な仏も登場するようになります。とはいえ、これらの仏たちも世界創造や最後の審判は行わないし、啓典宗教の唯一の神とは性格が異なっています。しかし、後期密教の本初仏までくると、もはや創造神に近い性格を帯びているんじゃなかろうかという話になってきそうです。

 しかし、本初仏はそれでもまだ啓典宗教の神とは異なっているところがあります。というのも、本初仏は啓典宗教の神のように、現象世界を超越したところにいる存在ではないからです。この雑文でも何度か触れたように、キリスト教では神と人間は完全に隔絶しており、神と人間が合一するなどと言うと異端扱いされたりします。でも密教では、この世のすべては仏のあらわれであり、両者は“本来的に”同一であるとされます。たとえ後期密教の本初仏のように限りなく創造神に近い仏であっても、我々が住む世界の外側にいるわけではないし、啓典宗教の神のような、人間と断絶した絶対的な「他者」ではありえないわけです(この点は、たとえ浄土教の阿弥陀仏であっても同じことです)。仏教は時代や地域に応じて様々に変容し、実に多種多様な仏教思想を生み出しましたが、啓典宗教の神のような絶対的な「他者」を生み出すことは最後までありませんでした。

 また本初仏は、ヒンドゥー教の影響を受けて成立したものだと言われています。確かにヒンドゥー教の一部には、宇宙の生成と消滅は最高神の「遊戯」によって行われるという思想が見られます(現代の我々が「ヒンドゥー教」と総称している複雑な文化現象には、実に多種多様な流れがありますから、他にもいろんな解釈があるのですが)。

 しかしその場合、宇宙を生み出したり滅ぼしたりする最高神は因果律を超越しています。因果律よりも上位に置かれているのです。それに対して本初仏は、確かに創造主のごとき役割を与えられてはいますが、この雑文で第26回以降追いかけてきた仏の法身(アルティメットまどかの円環の理)の延長線上にあるものです。ヒンドゥー教の因果律を超越した最高神や創造者とは異なり、この世のすべてを貫くアルティメットまどかの円環の理=縁起の理法を、仏たちを生み出す基盤として仏格化したのが本初仏だと言えます。ですので、難しいところではありますが、本初仏はこの世のすべてを貫く縁起の理法を仏格化したものであり、因果律を超越したヒンドゥー教の最高神とはやや異なっているという見方も可能なように思われます。

性的ヨーガと律の相克

 さて、今回見てきたように『秘密集会タントラ』をはじめとする後期密教経典には、殺生や盗みや飲酒を勧める文言が出てくるし、「分別」を空じて解脱を得るためには(師匠に背いたり秘密を漏らしたりすること以外は)すべてが許されているという思想も説かれています。これらの行為は当然のことながら、第8回で紹介したサンガ(僧団)の運営規則である律にパーフェクトに違反します。律では、性行為や殺人は波羅夷罪と呼ばれる最も重い罪であり、波羅夷罪を犯した出家者は僧団から追放されることになっています。性行為は波羅夷罪にあたる以上、在野の密教の修行者はともかく、出家者が性的ヨーガを行うことは原則として許されません。後期密教は、戒や律すらも放り捨てて超越してしまうことで空は体得されるというテーゼを提出しました。ですのでその後のインドやチベットの密教者たちは、性的ヨーガと律の矛盾という問題を抱えることになったのです。

 原則としては、性行為が律に反する以上、出家者が性的ヨーガを実践したいと思ったら還俗する必要があります。しかし、その後のインド密教とチベット密教の歴史を眺めると、出家者が性的ヨーガを実践する余地が全くなかったわけでもありませんでした。例えば、ヴァーギーシュヴァラキールティという、10世紀後半から11世紀前半頃の密教僧がいます。この人は、インド最大の仏教僧院の一つだったヴィクラマシーラ僧院の重鎮として活躍した人で、『要略灌頂次第』という書物で、出家者が性的ヨーガを実践することを肯定しました。彼は唯識思想に基づいて、性的ヨーガのパートナーは識のはたらきによって存在しているように見える実体のない「もの」に過ぎず、性的ヨーガを実践しても律に反したことにはならないと主張しました。

 もう一例あげましょう。アティーシャという、10世紀の終わり頃から11世紀にかけて生きた密教僧がいます。この人は元々は在野で性的ヨーガを実践する密教の修行者として出発しましたが、その後29歳で出家し(当時の人間の寿命を考えるとこれはかなり遅い出家です)、仏教の修行と学問研究を重ね、ヴィクラマシーラ僧院の学頭になったと伝えられています。その後チベットに赴いて、10年以上に渡って布教や翻訳などに力を尽くし、その後のチベット仏教に大きな影響を与えました。

 このアティーシャの著作に、『菩提道燈論』というものがあります。アティーシャはこの書で、「顕教」と密教の両方の価値を認めつつも、後期密教を最も優れたものだとする立場を示しています。ただし、この書では出家や戒の重要性も説かれており、性的な要素を含んだ後期密教の儀礼を出家者には禁じています。実際、アティーシャは自分の弟子に対して、ある者には出家させずに在家として密教を学ばせ、別の者には出家・受戒させるかわりに密教を学ぶことを禁じたと伝えられています。つまり弟子の適性を見極めて、「顕教」か密教を選んだということになります。これでいくと、「顕教」と密教の両方に価値が認められているとはいえ、両者はトレードオフの関係にあってどちらかを選ぶしかなく、両方を実践することはできないということになります。

 ただし、この問題は少し錯綜しています。『菩提道燈論』にアティーシャが自ら注釈した『自註』という書では、たとえ出家者であっても、条件によっては性的ヨーガの実践が過失にならない場合があるとされ、その具体例があれこれとあげられているのです。一体なぜこんなことになっているのかは私にはよくわからないので、ここではそういう事実もあると言うにとどめておきます。

 いずれにせよインド仏教には、出家者にも性的ヨーガの実践を認める見解や、律を重視して出家者には性的ヨーガを禁じる見解など、性的ヨーガと律の矛盾をめぐっては様々な立場が存在していました。この問題は結局インド仏教では最後まで解決されずに終わり、チベット仏教に引き継がれて、いろんなすったもんだが繰り広げられることになります。ここでは深入りはしませんが、ごく簡単にかいつまんで言うと、チベットではサキャ・パンディタプトゥンといったいろんな人々によってこの問題に決着をつけようとする努力がなされ、14世紀の後半から15世紀にかけて生きたツォンカパという人によって、最終的に「顕教」と密教の両方の実践を可能にする道が開かれました。ツォンカパは、チベット仏教最大の宗派であるゲルク派の開祖です。彼は性的ヨーガの意義を認めつつも、その実践を“事実上”否定し、瞑想としてのみ行うべきだとしました。つまり、パートナーを用いる修行に入ることを許されない者は、代わりにパートナーを観想によって出現させて相手とすべしと言ったのです(もっとも、ツォンカパが禁止したにもかかわらず、その後ゲルク派の内部からも性的ヨーガを実践する者も出現したのですが)。

 ともあれ、ツォンカパの時代になると、生身のパートナーを用いて性的ヨーガを文字通りに行うということはほとんどなくなります。律に抵触しないように、瞑想のなかでのみ性的ヨーガを利用するという方向へと変容していったのです。この点については、例えば密教には、信徒を密教へと引き入れる灌頂と呼ばれる儀式があります。後期密教の場合、瓶灌頂・秘密灌頂・般若智灌頂・第四灌頂という灌頂があって、四灌頂と呼ばれています。この後期密教の灌頂には性的な要素も含まれているのですが、仏教学者の田中公明は後期密教系の灌頂について次のように指摘しています。

 後期密教系の灌頂は、インドや欧米に亡命したチベット仏教各宗派により、現在もなお行われており、実際に灌頂を受けた研究者もいる。
 そのおりは、灌頂の次第を説いたテキストが、頒布されることもある。この種の印刷物は、受者以外には非公開が原則なのだが、限定販売版を横流しするものもあるようで、著者も数種手に入れている。
 これらを見ると、問題の反社会的とされる部分は、実際には行われず観想に止められるとか、社会的に無害な内容に置き換えられる等の措置がとられていることがわかる。例えば、精液と経血を飲ませるというくだりは、赤と白に着色した小量の酒で代用するといった具合である。
 後期密教の聖典「タントラ」には、ことさらに卑猥な内容を説いた部分が含まれている。しかしながら、これらの教説を語義通りに解釈し、実践することは、古来よりタブーとされてきた。

田中公明『超密教 時輪タントラ』東方出版、太字引用者

 そういうわけで、チベットには後期密教が伝わりましたが、現在のチベット密教では、後期密教のタントラで説かれているような性的ヨーガや反社会的行為を文字通りに実践しているわけではもちろんありません。「チベットでは、後期密教経典に書いてあることを文字通りに実行するとんでもない邪教が行われているらしい」などと誤解する方がいるといけないので、念のため申し上げておきます(ちなみに、チベット仏教のゲルク派は律に厳格で、出家者は肉食も妻帯も禁じられています。卑猥な行為が許されているなどということはありません)。

 今回はこれくらいにします。

番外編第2回はこちら


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