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『プラータナー』公演終了報告――岡田利規と12人の俳優・演出助手の言葉

国際交流基金アジアセンター主催「響きあうアジア2019」プログラムのひとつとして東京芸術劇場で開催された『プラータナー:憑依のポートレート』東京公演が、7月7日に閉幕しました。

バンコク初演、パリでの公演を経て、パフォーマンスを成熟させつづけた俳優たちが、閉幕直後に語った言葉をお届けします。

※以下の言葉は、閉幕直後にインタビューした「今の感想」「東京の観客と彼らのリアクションの印象」「自分の変化」についてのコメントを、一部抜粋したものです。また、名前のあとに続く()内は、彼らの愛称です。プロフィール一覧はこちら

俳優・演出助手より

▶︎ジャールナン・パンタチャート(ジャー)

無事終わって、ホッとしました。疲れました……。

観客の皆さんは、舞台上で何が起きているかを興味深く、ずっと観てくれていたと思います。物語を遠ざけるのではなく、引き込まれている感じがしました。まだ、それがいいリアクションだったのかはわからないのですが。

今回の東京公演でもう一度台本を読み直したことで、新たな発見があったり、変化した部分があります。岡田さんの(演出の)テクニックによっても、新しいイマジネーションが生まれました。東京公演中はほぼ毎日、新しい解釈や新しい可能性を見つけていました。

▶︎ケーマチャット・スームスックチャルーンチャイ(タック)

今回の話は普遍的なテーマを扱っていて、タイだけのものではないと思っています。若い頃の夢や希望が大人になるにつれ消えていくことなど、日本の皆さんにも繋がりを感じられるものだったと思います。

タイの観客へは、国の事情や経験を共有しているためより強く共感を生むことができると思います。一方で、日本でも、クーデターがあったりするわけではないけれど、個人対支配する側(政府など)という関係はある。すべての人が幸せでないという観点は、共感できる問題だったのではと思います。日本ならではの反応、といったものは感じなかったです。

普段から社会の問題について考えている方は深く共感したでしょうし、無関心な方にはわからないこともあったでしょう。

▶︎クワンケーオ・コンニサイ(ルッケオ)

バンコク、パリとみんなで歩んできた1つのミッションを終えた、という気持ちです。

物語の内容そのものや、テーマにあった芸術・性愛はどこの国でも同じです。政治も、どの国のものであれ見方によっては自分事になる、共通のことだと思います。

観劇文化については、(東京公演では)休憩が終わり第2幕が始まっても観客の方が座席にいて4時間一緒に物語を観てくれた様子を見て、この作品を「もっと知りたい」「もっと得たい」と感じているのかなと思いました。
観客のみなさんが字幕からどれだけ読み取れたのかはわからないのですが、舞台上で起きるアクションを楽しんでくれているのではと感じました。

▶︎パーウィニー・サマッカブット(エー)

今回の公演は、これまでより進化を感じました。俳優同士からも、観客からも、新しい刺激をもらったと思います。

物語で扱うトピック自体は異国のことで共有していなくても、観客は観客自身と物語のつながりを感じてもらえたと感じています。具体的には説明しづらいですが……観客の雰囲気、エネルギーを肌で感じました。
(日本の観客には)タイの出来事でわからないこともあると思いますが、人間と人間の話として考えれば、この話に共感してくれたと思います。主人公カオシンの人生の中で、若い頃からさまざな経験をして、歳を重ねて疲れ諦めていく感じは、タイでも日本でもわかってもらえたと思います。

▶︎ササピン・シリワーニット(プーペ)

東京公演を経て、この物語をより深く理解できました。またチームとして、俳優・テクニカルが一つになったと感じました。先程舞台上でも話していたのですが……この公演や自分の気持ちがまだ終わっていない、まだ続きがあるような気持ちがしています。

岡田さんのファンが多いからかもしれませんが、東京公演のリアクションやフィードバックは、反響は思っていた以上でした。タイの物語、難しい内容、繊細な話に、観客が共感していることが嬉しいです。回を重ねるごとに増えてゆく客席を埋める人たちを見て、関心の高まりを感じました。パリ公演では反応がわかりにくかったのですが、同じアジアだからなのかな、と思いました。観客と話せる機会があればぜひお話ししてみたいです。

▶︎タップアナン・タナードゥンヤワット(ノート)

ひと仕事終えた気持ちです。

日本の観客には感動しました。観劇の日本の習慣でしょうか、みな物語に集中していることを感じました。わかるかどうかは別として、岡田さんの演出がタイの物語を観客自身の物語に導いたのだと思います。

パリ公演後、変化はたくさんあったと思います。うまく説明できないのですが……公演を(パリから半年を経て)繰り返したことで、その間に培った舞台外での体験や人生経験が生きたのかもしれません。自分にとって新しい演技の仕方が、東京公演で自分の中に落とし込めたのかなと。
難しいメッセージでしたが、言語の異なる観客に身体を使って伝える演じ方ができたことは、自分の新しい可能性に気づき、新しい道具を得たような気持ちです。

▶︎ティーラワット・ムンウィライ(カゲ)

終わってみて、気持ちが良いです。自分の過去、思い出をもう一度見るような気持ちでした。作品も進化し、大胆に演じられるようになった感覚です。観客から多くの嬉しいコメントをもらいましたが、彼らになにか影響があれば嬉しいです。

日本の文化として聞いてはいましたが、日本の観客は笑わずにじっと座って、冷静に見ている感じでしたね。(7月3日の)ポストトークで挙がった、物語の背景に込められている意味を知ろうと探る質問が興味深かったです。こういった意欲の高い観客がタイにもいてくれたらと思いました。
こんなに難しい話を観てくれて、芸術に理解があると感じました。タイに比べて、演劇全般を観ている人口が多いのですね。このプロジェクトの一員になれて嬉しいです。

▶︎タナポン・アッカワタンユー(ファースト)

1公演で11回上演は初めての経験で……疲れました。1回4時間ですしね。

観客については、パリと似た印象を受けました。観客は自分の知らない物語を知ることになるので、いつも以上に頑張って、彼らを物語をひきつけるように努めました。
日本の観客には、作品を見るときのフィルターがある感じがします。作品を見て、分析・理解しようとしていることを強く感じました。意味を考え咀嚼しようという姿勢に感心しました。SNSやコメントの中でも、いろいろと考えてくれていることが分かりましたし。僕の気のせいかもしれませんが……舞台上で、そう思わせてくれる視線を感じていました。

▶︎トンチャイ・ピマーパンシー(マック)

長かったです……10回公演は体験したことはありましたが、はじめての11回公演、そのうち1日は昼夜2回(※追加公演が入ったため)でしたし。疲れましたが、楽しんで演じることができました。

パリとは(観劇の)文化が全く違うと感じました。タイでは寝てしまう方がいたり、面白いところや好きなところで笑ったりする反応がありましたが……日本はずっと静かに集中してしっかり観劇された印象です。

(バンコク・パリ公演と比べて)こんなに長い拍手は初めてでした。タイでは段取りで決めておかないと、一回で終わってしまいますから。パリでもあったことなので、マナーなのかなと思い聞いてみたら、「好きな作品じゃなかったらこうはならない」と言われました。

▶︎ウェーウィリー・イッティアナンクン(ウェイ)

さっき終わったばかりで、ぼーっとしています。11公演はあっという間でした。全回満席だったことにも、積極的に見てくれたことにも驚いています。

「チャレンジ」した点は、4時間という長さ。その時間を自分が演じることも、観客が集中して見られるか、というところも。もう一つは話の内容について。タイ語のわかる自分が読んでも理解に時間がかかりました。難しい内容を、日本でどのくらい理解されるかは挑戦でしたが、反響をいただけて感動しました。

最初の稽古から約1年を経て、自分なりの理解ができたと思います。正しいかはわかりませんが……岡田さんの演出・コンセプトへの理解も同様です。最初、岡田さんへ「わからない……」と伝えていると、岡田さんも工夫をしてくれ、時間をかけて理解していきました。普段はこういった演じ方はしないし、他の人の演技もこんなに繊細に見ていくことはなかったので、新しい演技に繋がりそうな気がします。

▶︎ウィットウィシット・ヒランウォンクン(ピッチ)

このパフォーマンスをもう一歩先に進めたいです。岡田さん、塚原さんやスタッフ、他の俳優とともに作るのはとても良い経験でした。物語を理解することで、この経験が体の一部になったように思えます。

初めて台本を読んだ時は他人の話のように感じていたのが、稽古や公演を重ねるうちに、自分の話のように思えてきました。観客も、観劇前と後で雰囲気が違った気がしました。子供のように無邪気に客席についたけれど、物語の重さが観客の中に入り働きかけていることを感じました。まだ消化しきれない人も、いつかは「これはあなたの物語」になると思います。

バンコク公演では、観客は耳で聞きながら他に興味が行ってしまうという印象でしたが、日本では真剣に聞いてくれたと感じました。「見つめる人間と、見つめられる人間」という言葉が劇中にあります。バンコクやパリでは自分が見つめる側と感じがちだったのが、東京では見つめられている、と感じました。

▶︎ウィチャヤ・アータマート(べスト) ※演出助手

東京公演が終わり、嬉しい気持ちです。フィードバックを聞いて、とてもドキドキしました。パフォーマンス自体も進化したと思います。(作品が)俳優の一部になったように感じました。この先、次回があったらどうなるか、を考えてしまいます。
東京の観客はみな礼儀正しいと思います。はじめは共感してくれるか、作品の話と観客の中の話につながりを持ってもらえるか、疑問がありましたが。反響やコメントを見て、思った以上に理解してくれていると感じました。距離のある、違うコンテクストの中でも働くものがあるのですね。そこに感動しました。

閉幕コメントを受けて、脚本・演出の岡田利規より(全文)

『プラータナー』の俳優はみな素晴らしいアーティストでした。

ジャーの俳優としてのテクニックの幹は、とても太くて揺るぎなく、頼もしいことこの上ありませんでした。ひとつの単純な動きの中に、あるいはその動きをしようとしている状態の中においてさえすでに、豊かな情報を含ませることのできる役者です。

タックはすぐれて繊細でした。舞台における繊細さは、単に繊細であることによっては実現しません。その都度新たに繊細であり続けないといけない。それを行える技術の持ち主です。

ルッケオは自らの華やかさをシニカルに用いることが惜しみなくできる人で、これはとても稀有なことだと思います。

エーは東京公演でぐんと素晴らしくなってくれて感動しました。彼女が舞台上で持つ想像がかなりくっきりと具体的なものになったおかげで、『プラータナー』東京公演そのものが非常に情感豊かなものになりました。

プーペは俳優として行う水面下での作業を分かってもらおうという下心がまるでないとてもかっこいい役者で、アクションを惜しみなく大盤振る舞いしていく彼女のパフォーマンスが作品に爽快さ自由さを与えてくれました。

ノートは役をしっかりと請け負うことのできるセンスの持ち主で、本作の主人公であるカオシンを劇の中盤において彼がしっかり担ってくれたおかげで、上演が物語を伝える力をきちんと持ち続けることができました。

カゲは座組の年長で、頼もしい存在でありながらユーモラスでもあり、プロダクションの支柱になってくれました。作品の中でも下ネタを熱演してくれもすれば、中年の悲哀も体現してくれて、原作の舞台化にさまざまな意味で説得力を与えてくれました。

ファーストはクレイジーかつクレバーな天才です。彼が生み出す狂気はすでに至芸の域にあると思います。すごい。

マックは演じるその都度になにか新しいことを持ち込む野心的な役者です。性的衝動に突き動かされる若いカオシンを軽やかに演じてくれたおかげで作品が変にベタベタしたものにならずに済みました。

ウェイのパフォーマンスは自由で弾けていて、挑発的なシーンも切ないシーンでも、多彩な局面とニュアンスで活躍してくれました。彼女含め『プラータナー』の二十代の出演者は若いけど頼もしかった。

そしてピッチはセンスの塊でした。生々しさの感覚を演劇という繰り返しが運命づけられている形式で実現するというのはかなりの難題なんだけど、彼はプロ意識と実力でそれを完全にクリアしていました。打ち上げのときにこの芝居のミュージカル仕立てにしたパロディーを、ピッチが一人で全役やって見せていて、それがすごくおもしろかった。とんでもなく芸のある人です。

そして演出助手のベストのことはどれだけ頼りにしたことか。クリエーションの日々、リハーサルが終わると毎日フィードバックのためのミーティングをしました。少しでも不安に思ったことがあればなんでもベストに訊きました。彼が同じタイ人だからという理由ではなく人としてアーティストとして出演者たちにものすごく信頼されていたことがこのプロダクションをものすごく助けてくれました。

みんなありがとう。

岡田利規


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写真(集合写真)=加藤甫
写真(俳優)=松見拓也
テキスト(俳優・演出助手コメント)=藤末萌


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