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一切の苦しみを超越するためのスートラ

観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄
慈悲の菩薩が、深い瞑想を行じていた時、あらゆるものは空であると見抜き、一切の苦しみを超越したのだった

般若心経の冒頭部分である。

終わりの方にも、

能除一切苦 真実不虚
一切の苦しみを取り除くことがでる、これは真実であって、虚なるものではないのだ、
とある。

般若心経は、苦を乗り越えるための智慧を説いているスートラ(経文)であることが、強調されている。

不二般若道場の老師(故人)は、かつてこんなことを語っておられた、
「苦を抜く、苦を抜くと、一度言えば済むものを、二度も出てくるのは少々くどいですな」と。
実際のところ、般若心経のインド原典(Prajñā paramita hṛdaya)においては、最後の「能除一切苦」に当たる部分は確かにあるのだが、最初の「度一切苦厄」は存在していないのだと言う。
これは訳経僧・玄奘三蔵(602-664)が、漢語に翻訳した時、敢えてここに書き加えたものであるようなのだ。
このことを初めて知った時、私は、くどいということではなく、むしろここに玄奘の想いが熱く伝わってくるように感じたのである。般若道場の老師は、古い世代の素朴なお方であり、現代人の置かれている苦悩を必ずしも解さないのではないかとも思ったものである。
玄奘はどうしても、冒頭からこの句を入れなければならなかった。おそらくそこには苦悩を経て来た自身の実体験があり、そしてここに苦を乗り越える道があるぞという、苦しみに喘ぐ同胞、そして未来の人々への熱烈な呼びかけがあるように思われる。
般若心経は、玄奘三蔵によって、画竜点睛、真のスートラとして完成したのではないかとさえ思われる。
般若心経は、哲学でも思想でもなく、人が苦を超越するための方法論・実学であり、実践の書としてあるのだと、私は受け取りたい。

観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄
慈悲に目覚めたあなたが、瞑想に深く入るならば、すべては「無限空」の中へと融解し、創造的働きのなかで、一切の苦しみは超越されるのである


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