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【友情結婚】「期待しない」結婚生活

私たちの友情結婚について時系列順にまとめた記事が現状に追いついたので、ここからは雑記的な文章が主になります。興味を持っていただける方は、引き続きお付き合いください。


先日、友情結婚という家族の在り方を研究されている学生さんのインタビューを受けてきました。そんな学問の分野があるのか、そして自分たちが当事者として話をする場面がくるとは…、更にそれが論文にまとめられるとは……!と二重三重の驚きがありつつ、普段は結婚生活のことを人に話す機会がほとんどなかったので、ありがたく思いのままに喋らせてもらいました。思いのまますぎてまとめにくいだろうなぁ…。


話を掘り下げてもらっていく中で、キーワードとして「相手に期待しないこと」というフレーズが何度も登場しました。ずっと意識して生活しているわけではありませんが、確かにこの結婚生活の根底にあるお互いの考え方はこれです。


私たちの場合は特に、「自身の生活を相手に良くしてもらおう」という点においては何の期待もしていません。せっかく結婚するのに?!と思われるかもしれませんが、それは恐らく結婚に対する価値観の違いだろうと思います。



世間一般的な結婚の定義は、大好きな人と生きていくから嬉しいことは2倍、悲しいことは半分に!病める時、苦しい時は愛情で支え合って乗り越えよう!ということかな?と思いますが(実際にそう誓う儀式があることだし)、私たちの定義での友情結婚においては「異性として好ましく気持ち」が特にないので、好きな人と生活できて幸せ、という概念がありません。あくまで自分の幸せに対しては自分で面倒みてください…、というスタンスです。


どういうことか分かりやすく家事で例えると、カイト氏は食事にそこまでこだわりがないので、究極毎日同じメニューでも基本飽きない(らしい)ですが、私は確実に飽きます。なので私の幸せを優先させてもらって私が食事を担当します。
しかし、体調とか気分の関係で今日は料理する元気ないわ~と思ったら、お互いの幸せのためにカイト氏に任せます。その場合は冷蔵庫の中身で適当に作ってくれても、面倒だからレトルトやカップ麺を出されても特に文句はないです。なんなら自分の分だけ作ってくれれば、私は私でお茶漬け食べるのでそれでOK。期待しなければ失望もしないので、変に悲しくなったり遺恨を残したりすることもありません。


片方、もしくは両方があんまりこだわりのない人間だから家事でもなんでも上手くいっている気がしていて、仮にどうしても譲れない部分がぶつかりまくった場合は別居生活していたかもしれません。どちらかが潔癖レベルの綺麗好きとか、無添加食品しか食べられないとか。まぁそもそもそういう人と結婚しようとは考えないか…。


「期待しない」ことと同時に、「極力迷惑をかけない」こともお互いに意識しているかなと思います。共用スペースに私物をあんまり散らかさないとか、自分が汚したものは自分で洗うとか。


世の中には同棲や結婚した途端、相手に丸投げして面倒見てもらうタイプの人がいるらしいですね。逆に、とことん尽くすことが愛!と思ってなんでもやってあげる人も。それはそれで、両者が幸せなら外野が何か言う必要はないかなと思います。それがその人の結婚の定義だったというだけのこと。相手に許容されるかはまた別の話として。


友情結婚でも、それぞれのパートナーシップごとに関係性が違うことを別にわざわざひとつの言葉で縛る必要はないかな、と感じます。友情、とかつくから逆にややこしいし。夫婦間でも結婚の定義が違うことは大いにあり得るはず。それで上手くいっているならわざわざ確認することは滅多にないし、時間の経過によって考え方が変わっていくことも当然あるでしょう。


私たちのように「期待してないんで…」とまでは口にしなくても、相手とのフラットな関係を望むならお互いに「自分ができることは自分で分かる=自立している」という大前提は要るのかな、と思います。上手下手は置いておいて、可能か不可能かすら分からなければ、協力しようもないのでは。逆にお互いが自分の暮らし方、こだわりを分かっていれば、どこまで相手に合わせて譲れるのかも分かるだろうし。


話が逸れましたが、まとめると私たちには「期待しない結婚生活」が合っていて、なかなか快適です。今回、インタビューを受けなければここまで深掘りして言語化しなかっただろうから、いい機会をいただけたなと思います。
いずれは他の友情結婚経験者の方とも意見交換してみたいなー、とぼんやり想像が広がりました。ありがとうございました。

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