「炎上」という言葉のカジュアル化

〇〇さん、××の投稿がネットで炎上、ブログで謝罪。


こういったネットニュースを日々嫌になるほど目にする。


思うのだけど、こういったタイトルがついてしまった瞬間、それはもうその本来の議論を離れて、炎上とその対処が話の中心になってしまう。

謝り方の良し悪しや、言葉尻の揚げ足取りとか。

そうこうするうちに、本当に論じられるべき問題がうやむやになってしまう。


なんでそんなことを思うようになったか。

それは、大事な議論が、あまりに簡単に「炎上」してしまい、そのことでいたちごっことも言える不毛なやりとりが繰り返される現状に辟易しているからだ。


私にとっての大事な議論とは?


これには、私の性格も関係してくるのかもしれない。

私は夫から常々、怒りの沸点が低いタイプだと言われている。

だけど、沸点が低いケースには共通点がある。

それは、その悪意や不親切、ぞんざいな扱いなどが、自分の大切な人に向けられた時。

そういったテーマには、簡単に心がざわついてしまう。

だから、そんな私の心をざわつかせるテーマが簡単に炎上し、簡単に流されていくのが不満なのだ。


で、ここ数年私が気になっているテーマはこのあたり。

・働き方

・女性のライフステージの変化に振り回されない生き方

・専業主婦の生きにくさ

・バツイチシングルマザーなど、メインストリームから外れた人が幸せに生きる方法

・モラハラ

こんな風に、人にはそれぞれ大事なものがあり、だからこそ簡単に心にさざ波を与えてしまうものがあるんだと思う。


炎上。

今やSNSをろくに使っていない人ですらその言葉を使い、炎上させようとしたところでできないような人間や企業ですら炎上に怯えている。

そのわりに、不思議なもので、無名の彼らは名のある人や企業を叩き、炎上させるのだ。

強い意志もないくせに。


炎上の定義や、その防止について解決策はわからない。

ただただ、「炎上」の一言によって、本当に大事なもともとの問題が失われてしまうこの風潮、どうしたらいいのだろう。


とりあえず、「炎上」というこの言葉。

カジュアルに使うのをやめてみたらどうだろう。

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