サトクリフに花束を

葬式に行くのは人生で二度目だった。多分五歳くらいの頃に行った、ひいおばあちゃんの葬式の時以来である。初めて行ったその葬式がどんなものだったのか、果たして全然思い出せない。幸いにも、若い内に他人の葬式なんて行く必要のない人生を送っていたから。確かに人間はいつか亡くなるものだが、そんなもの、一度も行かないに越したことはない。静かで厳かなピアノ・クラシックの音が流れる葬儀場で、俺はただ何もできずに立ち尽くしていた。ロビーの高い天井が一層不安を強め、周りに群れ集う人たちに話しかけられずにいた。ここに来て分かる。自分に何が出来るのか、何をすればいいのか、全く分からなかった。
だってさ、まだ二十だもん。俺。お焼香の上げ方とか、受付で深刻な顔をして「この度は……」とか言って俯きながらお金を包む詳しいやり方も知らないし。高校卒業を機に彼女に買って貰った紺のネクタイも大学の入学式の時に一度だけ結んだきりだったし、この神聖かつ大真面目な場所で一体どんな表情を浮かべてればいいのかも分からない。「葬式 マナー」とか「身内の不幸 振舞い」とかを携帯でとりあえず調べて、分からないことはGoogleに一通り教えてもらった。でも、いざとなると多分ぜんぜん上手く立ち回れないんだろうな。社会的なマナー不足を二十歳になって初めて痛感した。冠婚葬祭でのマナーって学校で教えられないのが問題だ———俺は自分の無知を社会全体のせいであるように責任転嫁をした。でも、人として未熟って、こんな事を言うんだろうな。
高校の時の友達が亡くなった。あまりに早すぎた。享年二十一。棺の向こう側には、物凄い量の花束が置かれてて。その中心にぽつりと飾られた遺影には、屈託の無い笑顔で笑うそいつがいた。
高校生の時、ビートルズがとにかく好きだった俺は大学に入ったら外国のフォークロックとかの演奏を中心としたバンドを組みたいと考えていた。全ては世界的大スター・ビートルズのジョン・レノンに憧れて、学生にとっては少し値の張るギターを親に無理言って買ってもらって、ジョン・レノンのような————天才的なリズムギターに近付けるようにストロークやカッティングの練習に明け暮れた。周りは当然ながら邦楽好きな奴らが殆どで、洋楽、ましていくら有名なビートルズだとしても四十年以上前のフォークロックなんかにハマってた酔狂な奴はいなかったから、大学に入ればどこかにプログレ好きな奴や洋楽ロックに傾倒した奴がいるだろうと考えて、俺は密かにいつかバンドを組むという野望を一人でカッティングの練習をしながらずっと持っていた。そんな中、高校三年生の時の文化祭で野外ステージに出てみようという何とはなしの友達の誘いを受けて、俺たちは思いがけず即興でバンドを組むことになった。残念ながらやっぱり洋楽は知らない人も多いから、当時高校生の中で流行っていた曲をやるってことになって、俺はそのままリードギターを担当することになった。で、文化祭でやろうとしてた曲のアーティストは四人組だったから、どうせやるなら四人で演奏しようってなって、俺達は集まった時は三人しかいなかったからもう一人、誰か乗り気になってくれる奴を誘わなきゃいけなかった。俺は特に二つ返事で臨時バンド結成を受け入れてくれるような奴を知らなかったから、クラスの隅でひたすら絵を描いてる、美大志望の男の子に声をかけた。
「俺達、文化祭でバンドやろうと思ってるんだけど、一緒にどう?」そいつはかなり物静かな奴で、あんまり他人と迎合することもなかった奴なんだけど、そいつが一度駅前にある古いレコードショップに出入りしているのを見ていた俺は思い切ってそいつに話し掛けることにした。ダメ元で、断られるのを承知の上で。 勿論、そいつは小さな声でペンを握ったまま丁重に俺の誘いを断った。楽器が弾けないから、皆の迷惑になるという理由らしかった。バンドを断られた理由が「嫌だから」ではないことに安堵した俺は、丸三日ほどかけてずっとそいつを口説き続けた。楽器は弾けなくてもいい、俺達は迷惑じゃなくて参加してくれるだけで嬉しい、文化祭までに何とか完成させよう、お前音楽好きだろうと俺はそいつにひたすら付きまとった。今になると、何故あんなに熱心にお前を誘ったのかは分からない。 別に他にも頼み込めばやってくれた友達は居ただろうし、きっとお前も初めは嫌だったに違いない。でも、付きまとった甲斐があって、お前はついに首を縦に振ってくれた。俺の友達も喜んで、そこから放課後俺達は四人で曲を決め、練習を始めた。そいつは絵を描くのがマジで上手くて、美術の成績はずっと「5」だった。 デッサンかクロッキーか、あるいは水彩画か俺は絵には精通してないから詳しくは全然分からなかったけど、どこに出しても恥ずかしくないような絵を静かに、ずっと描いていた。だからっていうのもあるかもしれない、「芸術家」ってやっぱりセンスいいよなって、俺はずっと考えてたし、だから多分お前の事を逃したくなくて、バンドやろうぜって誘い込んだのかもしれない。「『ビートルズ』って、ジョン・レノンとスチュアート・サトクリフっていうメンバーが考えたバンド名なんだぜ。で、サトクリフは絵がめっちゃ上手くて、美大に進学してビートルズから抜けたんだぜ」 俺はそいつに、事あるごとにそう何回も言った。そいつは「へー」と俺に言って、「ビートルズ、めっちゃ好きじゃん」と言いながら笑った。でも俺は本当にジョン・レノンに憧れてたし、お前はサトクリフだった。 そいつは楽器が弾けない割にまあまあセンスはあったようで、三週間ほどした時には一応譜面を覚えてキーボードを人並みに演奏できるようになっていた。祖父の家に古いキーボードがあるらしく、休日はそこで絵を描きながらたまにキーボードを弾いて練習していたらしい。根っからの芸術家志向に俺はますます惹かれて、どんどん俺達は仲良くなっていった。
文化祭が終わってからも俺達は高校を卒業するまでの間付き合いを続け、そいつは地元から遠く離れた美大に現役で合格し、旅立っていった。俺はこれからも音楽は続けたかったから地元の大学の経済学部に何とか入り、近くの音楽スタジオを拠点としている軽音サークルに入った。今まであれだけ好きだったビートルズも、洋楽全般もいつの間にかあんまり聴かなくなってしまって、周りの大学生がみんな聴いているような重ための薄っぺらい恋愛ソングばっかり聴くようになった。人並みに失恋しては、酒を煽って講義をサボって昼まで寝た。バカみたいに騒いだ。湘南乃風を、カラオケで歌うようになった。ずっと俺がひそかに持っていた野望はいつの間にか儚く風化して、気付けばバンドは趣味で少しだけやる程度になった。酒飲んで、川で遊んで、酒飲んで、だっさいキャップを被って、クラブ行って、酒飲んだ。ボウリングで、ゲラゲラ笑いながら二十ゲーム投げた。腕が上がらなくなるまではしゃいで、そんな退廃した、でも充実な世界を生きていた中で、高校の時の担任からお前が亡くなったって聞いた。電話を握ったまま現実を受け止めきれなくて、言葉が出なかった。だって、俺まだ二十だぜ。そんな突然の友人の訃報に耐えられるような器も、はいそうですかってすぐに受け入れるような冷徹さも俺が持っているわけ無かった。電話で教えられた葬式の会場の行き方も分からなかった。Googleで場所を調べて、バイト代を貯めて買った中古の原付で、本当にいつ振りに出したかも分からないスーツを着て会場に行った。懐かしい顔ぶれがそこには多く居たけど、再会を喜ぶような空気ではなくて。文化祭の後から、そいつは少し性格も明るくなり、前みたいにクラスの隅で黙って誰とも喋らないようなタイプでは無くなっていた。それが故にクラスが同じだった奴等、文化祭の後から仲良くなっていったクラスの奴等もいっぱいいて、あまりに突然な報せに皆驚きを隠せないでいた。
お前の棺を覗いてさ、お前の棺の中に打ち捨てられたように使い込まれたペンと新品のスケッチブックが入ってるのを見てさ。思い出したんだよな。サトクリフも、ビートルズを脱退してから、ハンブルクに戻って芸術の道に進んで、美大に在籍してたけど、とても若く、二十一歳で亡くなったんだ。ジョン・レノンと共に世界にとどろく「ビートルズ」の名を生み出した偉大な画家。ポール・マッカートニーやリンゴ・スター、ジョージ・ハリソンらと並んで「五人目のビートルズ」と称されたスチュアート・サトクリフは、まるで、まるでお前のような存在だったのかもしれない。サトクリフも、お前も、全く楽器が弾けないのにビートルズに入って。俺達と一緒にバンドをやってくれて。絵が上手くて、二十一というその才能を発揮するにはあまりに早すぎる死を迎えて。お前はさ、サトクリフにあまりにもそっくりじゃないか。そんな偶然あってたまるかよって思ったけど、そうとしか俺は思えなかったんだよな。
笑われるかもしれないけど、お前には言っとくわ。あの時、しょっちゅう、俺もさ、ビートルズ、めっちゃ好きだったって言ったけどさ。俺、ジョン・レノンになりたかったんだ。お前もそうかな。いや、お前は別にサトクリフにはなりたいわけじゃなかったか。それって俺の押し付けだよな。何回も何回も言うけれど、ビートルズって天才なんだ。古臭いって言われても、時代を分かった風に先取ったような口先だけの愛をさざめく、薄っぺらいリリックを奏でるだけのバンドよりも、ずっとずっと重たく、歴史を越えて語り継がれていくような、人の心や骨の髄に直接響いて感動を呼び起こすようなぶ厚く重たいメロディを奏でる存在に俺はなりたかった。でも、高校を卒業して、大学で、お前が絵の事、いろんなこと、頑張っている間、俺はただただ酒を飲んで、漫然とバイトして、講義をサボって、あまつさえには音楽も熱心にやらなかった。とりもなおさず、俺は何者にもなれなかった。クリーニングにも出していないスーツの裾もほつれたままで。俺は何もしていないし、できないままだ。
ジョン・レノンは、盟友サトクリフの葬式には行かなかったんだ。献花もしなかった。それが何故なのかは分からないけど。俺は何も成し遂げてはいないのに、葬式にのこのことマナーも殆ど分からずやってきて。お前に何も語りかけることもできず、胸を張って会うこともできない。惨めで惨めでしょうがない。お前は多分サトクリフだったというのに、俺はジョン・レノンにはなれなかった。というか、なろうともしなかったんだよ。ごめん。でもさ、俺は俺だから、花束、供えさせてもらうよ。
また暇だったら、お前の描いた絵、見せてくれよ。一緒に燃やすなんてあまりにも勿体無いからさ。お前のお母さんからさ、息子が大学に入ってからはビートルズよく聴いてるって言ってたって、さっき教えてもらったんだ。
————あのさ、 俺。ビートルズ、もっかい聴いてみるわ。で、音楽、もう一回頑張ってみるわ。 何者にもなれないかもしれないけれど、何者にも成れないのは怖いけど、何者にも成れないままなのはもっと怖いからさ。サトクリフに花束を捧げて、俺ももう一回、頑張って生きてみるよ。見といてくれよ。
じゃあ、元気でな。 どうもありがとう。 お焼香のやり方も、多分どっかでまた役立つと思うよ。な。教えてくれてありがとな。
 
『サトクリフに花束を』

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?