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延縄漁師とその家族から学ぶ、「考えて」生きる。|生きる行脚#3@山形

 僕は大学で学んでいることや「大学」という環境、自分の将来のことなど、いろんなことについてとにかくもやもやを感じていた。
 そんな中REIWA47キャラバンでの株式会社ポケットマルシェ(現:株式会社雨風太陽)のCEO、高橋博之さんとの出会いをきっかけに、大学3年生(2021年度)の1年間を休学し、日本各地で一次産業を生業とされている方の隣で一緒に作業をさせてもらう旅、「生きる行脚」をすることを決めた。
 生きる行脚とは、一次産業を生業とされている日本各地の漁師さん・農家さんのところに住み込みで1週間~1か月ほど滞在し、漁師さん・農家さんが普段やっているようなことを隣で一緒にやらせてもらう修行の旅である。
一次産業という産業のなかで物理的に命を扱ったり命と向き合ったり、一次産業を生業とされている方の生き様などを通して「生きる」とはどういうことなのかを感じたり、考えるため、2021年の3月8日(火)から2022年の3月28日(月)までのおよそ1年間、この「生きる行脚」を実施した。
 このnoteでは、この1年間で日本各地の漁師さん・農家さんのところへ行かせていただいたときに僕が見てきた景色や、僕が感じたことや思ったこと、考えたことを綴っている。

偶然


 「これから2週間、一緒に船に乗せてください。お願いします。」

玄関で奥さんの末子さんを見るなり発した第一声がこれだった。自己紹介もせずに唐突にこんなことを言ってしまった。あの時はほんとに必死だった。
末子さんはあんぐりと口を開け、ぽかんとした表情で首をかしげるとその場で一瞬、固まってしまった。

 本来であれば1ヵ月や2週間前から連絡を取って行く先を決めるのだけれど、今回は自分の至らない点もあり、秋田に来て2週間が経っても行く先が決まらないでいた。なす術もなく「どうしよう…、行く先が決まるまで安いビジネスホテルにでも泊まって様子を見ようかな…。」なんて思っていたところ、お世話になっていた秋田の漁師さんに「行った先の港にいる漁師にその場で直接お願いするのもありだと思う。俺だったらそうするかな。」と背中を押され、一か八かの賭けに出ることにした。

 また、そう言われて1人の漁師さんの顔が浮かんだ。―鈴木重作(じゅうさく)さん。高橋博之さんの「歩くラジオ」でゲストとして出演されていたのを見て、「おもしろそうな漁師さんがいるなぁ。」という印象を受けたのを覚えていた。
 すぐさまポケマルのアプリで自己紹介を見てみると、秋田の漁師さんが面白いと思うよ、と教えてくださった「延縄(はえなわ)」という方法で魚を獲られているということが分かった。「ここだ!」と思い、ポケマルの商品ページから「出品者に質問」ページへ飛び、「出品者に問い合わせる」機能をメール代わりに使い、直前ながらも連絡を取ろうとした。しかしここで、喜ばしくない気づきに直面した。それは商品ページがないと「出品者に問い合わせる」機能は使えない、ということだ。具体的には生産者さんが商品を出品していないと商品ページが存在せず「出品者に質問」ページも存在しなくなるため、「出品者に問い合わせる」機能も使えなくなる、ということだ。
 当時重作さんは商品を出品されていなかったためポケマルが使えず、連絡の取りようがなかった。でも、山形で延縄を見せていただけるかもしれないチャンスだし、重作さんっていう漁師さんにも会いたいし、といった想いが相まった結果、深く考えることもなく鶴岡へと向かう電車に乗ってしまった。

 移動中、重作さんや船の名前をGoogleで検索して、どうやら鶴岡市の小波渡という場所に船があるらしい、というところまでたどり着いた。秋田へ行ったときに「漁協」という組織の存在を知った僕は、「漁協に行って連絡先を聞けばどうにかなるんじゃないか。」と思い小波渡駅で電車を降り、山形県漁協 豊浦支所へ向かって荷物が詰められてパンパンになった75Lのリュックを背負い2kmの道のりを歩いた。

 漁協に着いたはいいものの電気が点いていないし、人がいる気配もない。扉にも鍵がかかっている。この日は土曜日で市場休みの日となっていて、漁協も休みだった。がっくりと肩を落とした。スマホでいくら重作さんや船の名前を調べても「小波渡」という場所以上に詳細な情報は出てこなかった。

 そこで、「もうこれしかない。」と腹を括って再び駅の方へと歩き出した。しかし、ただ歩くのではない。海沿いを走る幹線道路から1本内側に入った、両側に家が並んだ道路を、一軒一軒しらみ潰しに表札を見ながら歩いた。「駅から漁協までの道の途中に重作さん家があるとすれば、家の数はそう多くはないだろうから、日没までには何とか会えるんじゃないか。」と思い、こんな時代にそぐわない方法で人探しをした。
 またこの時、「仮に今日会えなかったとしても今晩一晩だけ砂浜でしのいで、明日また漁協に話を聞きに行こう。そこまでやり切ってだめだったら、残念だけどその時はご縁がなかったってことで。」と自分に言い聞かせていた。

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山から見た小波渡の景色。海と山に挟まれるようにしてたたずんでいる。


 「鈴木さんなんて見当たらないなぁ…」と思いキョロキョロしながら歩いていると、向かい側からお孫さんと思しき小さな男の子を連れた女性が歩いてきた。大きなリュックを背負った僕の姿を見て旅人とでも思ったのだろうか、「どちらまで行かれるんですか?」と優しく声をかけてくださった。僕はとっさに「あの…、鈴木重作さんという漁師さんを探しているんです…。」と言った。すると女性は「あぁ、あぁ。分かった、分かった。こっちだ、こっち。」と家まで案内して下さった。そこで玄関で顔を見た末子さんにあんなお願い(これから2週間船に乗せてください、ということ。)をしてしまった。
 その後、紆余曲折を経て2週間、住み込みで船に乗せていただけることとなった。(そして、案内してくださった女性は奥さんのお姉さんであったということが後から分かった。)

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重作さんの船、第八長寿丸。この船が重作さんと出会う手がかりとなった。


延縄と重作さん、家族。


 延縄漁とは、長さ4.2kmほどの縄に420本もの針を垂らして1匹ずつ魚を釣り上げる漁法だ。僕が行ったときにはタイを釣っていたが、その他にもマグロやサワラ、ノドグロ、フグなど年間を通して四季折々の魚を獲っている。

 朝1時、起床して近くの港へと向かう。港に着くとまず、船の上で「イイダコ」という餌にする小さなタコを切る。
 そして餌を切り終えた2時頃、港を出る。出港してから漁場へ向かう30分ほどの間は、港で切った餌を針に掛けながら移動する。この時、海中で餌が回転するなど不自然な動きをして魚の食いつきが悪くならないよう、餌の中心に正確に針を掛けるのがポイントだ。
 漁場が近づくと船を停め、お手製の道具を使って潮の流れを見る。潮の流れを読み誤ると狙った水深帯に餌が浮かず、釣れる確率が下がってしまう。
 潮を読み終えると、船をゆっくりと走らせながらスッ、スッ、とテンポよく針を落としていく。(「縄はき」と言う。) 夕食の時はビールや焼酎(芋)を飲んでほころんでいた重作さんの顔も、この時ばかりはより一層凛とした、漁師の顔になる。
 そして30~40分ほど待ったら、いよいよ縄を上げる。すべての縄を回収したら港へ戻って箱詰めをし、6~7時ぐらいに帰宅する、という流れだった。

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イイダコを切る様子。足を1本ずつ切っていく。
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移動中に餌を針に掛けている様子。餌が不自然な動きをすると魚は警戒して食べない。
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縄はきの様子。一定のリズムで針を落としていく。
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数が少ない時は、上がってきたらすぐに神経締めと血抜きを行う。この処理によって素材としての味が変わるそうだ。

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上がってきた魚をクーラーボックスに入れるのは僕がやらせてもらった。死後硬直のときに体が曲がっているとそれだけで値段は落ちてしまうという(だいぶ責任重大💦)。


 とある日の夕方に出た漁(多くは1時半出港だが、魚の活動時間を予測して18時頃に出港することもある。)で1度、水揚げが0(魚が1匹も釣れない)ということがあった。

 針は回収されると“タル”と呼ばれるタライのようなものに掛けて保管される。1タルあたり70本の針が掛けられていて、重作さんの延縄ではこれを6タル使う。(つまり、70(針) × 6(タル) = 420(針)。)
 最初と最後のタルは冷凍した餌を使っているためか食いが悪く、魚があまり掛かっていないことが多い。そのため、実際には真ん中の4タルで勝負をしているということになる。この時は5タル目まで(最初の1タル+本命の真ん中4タル)針を回収した時点で1匹も魚が掛かっておらず、最後の6タル目の針の回収に突入した。

 そして、遂に最後の1針を上げ終えた。

 結果は0匹。漁師歴50年の重作さんが魚との知恵比べに完敗した瞬間だった。

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”タル”の写真。中に入っているのが縄(糸)で、縁に70本の針がかけられている。
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重作さんが使っているタル。一番上と下のタルの針はあまり食いが良くない。タルからぶら下がっているのは針に掛けられた餌のイイダコ。


 僕はこの時、延縄って面白いなぁ、と思った。
 正直、この時まで秋田の漁師さんが「延縄は面白いと思うよ。」って教えてくれた理由が分からずにいた。作業はひたすら黙々とやるような感じだし、底引きのように魚がたくさん獲れるという訳でもなく、「何でこの延縄を秋田の漁師さんは僕に教えてくれたんだろう…?」と疑問に思って、どこか悶々としていた。

 でもきっと、この釣れなかった結果を踏まえて鈴木重作さんという漁師は潮の流れや魚の活動時間、縄を落とすポイント(場所)、水温とかありとあらゆる要素から船の下に広がる海の世界を想像し、「どうしたら釣れるか」をただひたすら考え、何らかの工夫を施す。そして、試行錯誤していく中である作戦がヒットして魚との静かな命の駆け引きに勝利すると「やった!してやったり!」みたいな達成感があるというか、喜びでいっぱいになる。
 また、他の漁法に比べて魚の獲れる量が少ないため魚1匹のありがたみや嬉しさ、“重み”といった思い入れや尊さが変わってくる。きっとこういうところが延縄の面白さなんじゃないかな、と勝手に思っているとすごくワクワクして、重作さんが腕を組んで真剣に頭を捻らせている様子を見ているのが楽しかった。

 そしてこの延縄という漁法が鈴木重作さんという人間を作り上げているのんじゃないかな、と思った。
 延縄ではとにかく考えて、海の中の様子を想像しなければならない。重作さんの話を聞いたり、普段の様子を見ているととにかく考えていることが分かる。例えば重作さんは現在、スマホを用いた直販に力を入れるべく加工品作りに多くの時間を割いているが、乾燥時間や脱水方法、味のつけ方などの様々な条件を毎回微調整し、その方法やポイントについて事細かにノートに記入している。その姿はまるで研究者のようだ。また、スマホのネットニュースや新聞などを眺めて情報収集をし、流通や消費の動向を見極めて自分の中で解釈している。
 こういう常に考えるという姿勢が崩れないのは、延縄という生業で常に考えることが求められていて、考えることが習慣化されているからなんじゃないかな、と僕は思った。

 また、この考えるということは、重作さんだけに留まらず鈴木家全体に広がっている感じがした。
 夕飯時になれば試作した加工品を食べて奥さんの末子さんや長男の重慶(しげのり)さんともっと乾燥時間を短くした方がいいとか、味を薄くした方がいい、といった会話をする。
 物産館で働く次女のさくらさんが帰ってくれば、直販する際の価格について意見を交わす。
 1人1人が「どうすればいいか」をよく考えていて、鈴木家の会話の様子は会話じゃなくて議論をしているように見えた。家族と話す時ってこんなに考えて話すもんだったっけ、と思い、僕にとって鈴木家の会話は少し違和感の感じられる光景だった。

 重作さんがとにかく考えなければならない延縄を生業としてきたことで、その姿を見てきた家族も考えることが当たり前になったんじゃないかな、延縄が鈴木家の人たちを作っているような感じがして面白いな、と思った。

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日本海に沈んでいく夕日。
この時はまだ重作さんも僕も、まさか1匹も釣れないなんて予想していなかった。


考える延縄漁師、鈴木重作さんの夢とロマン。


 今回お世話になった漁師さん、鈴木重作さん。おしゃべりとお酒が大好きで、電話をかけ始めたら20~30分はまず切れることがないし、お酒は漁から帰ってきた朝と夕飯のときで1日に2回飲む。小さなお孫ちゃんが来れば、自分も子どもみたいになって遊ぶ。とにかく話すことが好きで、しょっちゅう冗談をかましては奥さんの末子さんに「静かにしてろ~!」とか「い~いでばもぉ~!」などと言われているお調子者のおっちゃん、って感じだ。

 「“量”で漁師が飯を食っていく時代は終わりへと近づいている。あとは廃れていくだけだ。」

 普段はおちゃらけキャラの重作さんだが、漁業や魚の話となればその表情は変わる。
 昔は資源も漁場も豊富で、魚もよく獲れたし、魚を食べる人も多くいた。だから国は獲るための設備投資などに補助金を出した。これによって自給率は上がったものの、結果として潤ったのは船や漁具を作る「中間」の産業だった。
 そして、「資源や漁場は無尽蔵にある」というのは日本人の過信だった。今や排他的経済水域の設定などもあって漁場は縮小し、それに加えて乱獲などの問題も重なって魚の獲れる量も減少した。またコロナ云々に関わらず日本人の魚の消費量は減少し、食品ロスが社会的に強く問題視されるようになった。

「魚の需要が落ち込み獲れる量も減少した今、競うようにして“量”を追求する必要性は本当にあるのか。資源や漁場には限度がある。それを無視した、“量”に特化したような大規模な漁業は経費がかさむ一方で『収入あっても利益なし』という状態に陥り、やがては終わりを迎える。」

重作さんは時代の変化を敏感に察知し、冷静にその先を読んでいた。

 “質”で勝負できることを体現したい、と語る重作さんには現在挑戦していることがある。
 
 「感動を与えられる、笑顔を与えられる」食材の提供だ。日本ではここ数十年でレトルト食品やファストフードなど空腹感だけを解消し、ひたすら合理性だけを追求した食文化が発展してきた。それらの食事は便利な一方、本来食事が持っている「感動」を失ってきた。
 
そこで、みんなが笑顔になれる食材を提供したい、と重作さんは言う。具体的には、一夜干しをはじめとした干物などの加工品だ。生でもおいしいものから若干水分を抜いた、うまみが凝縮されたこだわりの一夜干しを目指す。
一般に生で食べられる食材が最も状態の良い食材とされ、嗜好として「脂があり、口に入れた瞬間においしいと感じられるもの」というのが広く好まれてきた。
 
しかし重作さんは、炙りや湯引き、しゃぶしゃぶのように熱を加えるなどのちょっとしたひと手間で同じ食材でも激変する、違った楽しみ方ができるということを提案したいのだという。そこから少し派生したアレンジ法として一夜干しがある。干物などの加工品に対しては「生で売れなかったもの」や「調味料でごまかしたもの」というあまり良くないイメージがついていて、そのイメージにより魚の価値も認められずにいる。
 
そこで、生で食べてもおいしい食材をあえて干物にし、「噛んでるうちにうまみが出てくる、おいしくなってくる」という商品を作ることでこれまでの干物に対するイメージを崩したい、そしてそれを価値の分かる人に食べてもらいその価値に見合った評価をしてもらうことで魚の価値を新たに提案していきたい、と重作さんは語ってくださった。

 漁師というと、きつい・汚い・危険の3Kのイメージ。漁業人口の減少は止まらない。
 しかし、このまま指をくわえて漁業が衰退していく様子を見ている訳にはいかない。日本人がいつまでも魚を食べ続けられるよう、産業として継続させていかなければならない。
 
だから、「量よりも質」で勝負している自分の姿を見せることで次の世代に希望や光を提示したい、という想いを重作さんは抱いている。


しかし、なぜ重作さんがそんな風に漁業の一端を背負う必要があるのか―。

「魚も仕事も、好きだから。目の前に海がある、それだけで面白い。あとは…、1人でやるから社長気分を味わえるし。」

 語尾に「なんてね(笑)。」とつけて照れくさそうにして頭を掻いた。

 夢とロマンを追い求める漁師、鈴木重作さんは今日もその背中で語る。

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出港前に餌の準備をする重作さん。魚や海のことを考えているときは真剣でありながらもやはり楽しそう。


鈴木家。


 突然現れた僕を2週間も泊めて、おいしいご飯も食べさせてくれて。空いた時間に重慶さんが魚の捌き方を教えてくれて。GWにはお孫ちゃんのお誕生日会に混ぜてもらって。旅立つ前の日には総勢16人の鈴木家のみんなが集まって送別会まで開いてくれて、餞別までいただいてしまって。僕も鈴木家の一員かと思ってしまうくらい、鈴木家は優しくて温かかった。

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集合写真を撮ったときの重慶さん。33歳とは思えないほどのおちゃらけぶりからは、しっかりと十作さんの遺伝子を受け継いでいることが伺える。
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GWのときのお孫ちゃんのお誕生日会の様子。出会ってからちょうど1週間くらいで、こんなGWは一生忘れることがないと思う。


 そして、重作さんは絶えず冗談ばかり言っているし、お孫ちゃんたちはいつの間にか僕のパンツで遊んでるし。重慶さん夫婦は僕のことを「じじぃ」だの「ハゲ」呼ばわりするし、とんでもないど下ネタのパンツを餞別にくださるし。
 でもえいしん、みぃーちゃん、じょーさん、りゅうがをはじめとするお孫ちゃんたちはサッカーとかかくれんぼをして一緒に遊んでくれたし、りゅうがとえいしんは一緒にお風呂にも入ってくれたし。
愛あるいじりと、笑いの絶えない鈴木家は、すごく面白くて楽しかった。

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えいしん(右)とみぃーちゃん(左)。写真慣れしていて、カメラを向けるとすぐにポーズをとってくれる。
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僕が重作さんと一緒に作ったイワシのフライを食べて「やば」と言っているじょーさん。なぜかうちわが好き(笑)。


 ありがとうの一言ではとても伝えきれないけれど、重作さんはじめ鈴木家のみんな、ほんとうにお世話になりました。ありがとう。

 来年の6月、マグロを上げに帰る。いや、もしかするともっと早く帰るかもしれない。いや、6月は祝日がないみたいだからもっと早く帰る。
 

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