2024/04/26 本来あるべき過去問の姿とは

はじめに

 (広義の)連続投稿26日目です。昨日は北大文系の問題を気合と根性で解きましたが、最後に予告したように、今日は僕が思う過去問(入試問題)のあるべき姿について書こうと思います。

まぁ過去問とはいっても、僕は高校数学のことしか知らないので、英語・国語・理科・地歴公民についてはこの限りではないかもしれないことをご了承ください。

数学界隈の人は正統的でない勉強の仕方に対して忌避感を持ちすぎている

 主観に過ぎませんが、予備校の数学講師の中には、かなり厳しい勉強の仕方以外はありえないと考えている方が結構な割合でいらっしゃいます。まぁ1年以上前のX(当時はまだTwitterでしたが)を見ていたときに漠然と思っただけなんですけどね。例えば

  • 自分で証明できない定理や公式を使ってはいけない。

  • 解法暗記なんて有りえない。理解できていないことを使ってはいけない。

  • 数学は正しく勉強すれば誰であっても正しく理解できるはずである。

  • 本当に理解できていればどんな問題も解けるはずである。

といったことを、さも当たり前かのように主張されるのです。実際にこのような勉強についていける生徒がどれほどいると思っているのでしょうか?勉強の仕方は人それぞれではないのでしょうか?このような勉強についていけない人は数学を諦めなければならないのでしょうか?僕にはとてもそう思えません。

 実際、そういう人たちだって、完全なる正論(正統)至上主義者ではないはずです。実際、「情緒とか文化の継承とかどうでもいいから、古典については効率的に試験を乗り切れればいいよ」「(もっと広く一般に)世の中にそんな正論をぶつけても意味ないよ」という考えになら共感できる方は多いのではないでしょうか。(世間一般的には)パワハラチックにも思える数学の学び方にこだわる方というのは、結局は「自分の好きな数学にだけは異なる価値観をぶつけてほしくない」だけであり、私には解釈違いを許さないただの厄介オタクだなぁとしか思えません。彼らにとっての古典や建前が多くの人にとっての数学であるというだけの話です。

私の思う、過去問の本来あるべき姿

 私が過去問に注目しているのは、よく出るものだけをさらってラクに逃げ切れ、と主張したいからではありません。入試問題というのは「こういうことができるようになってきてください」というメッセージの発信を主たる目的とするべきであり、むしろ「よく出るものだけをちゃんとさらった人が一定の理解を得られるような代物」でなければならない、とさえ思います。実際にはそういうきらいが多分にあることはわかっていますが、決して、難しい問題を出して大学のブランドイメージをアップさせるためのものでもなければ、明るい将来を約束するための苦行を伴う通過儀礼でもないと思っています。あるいは選抜性を高めるために、問題の難度に対して割に合わないほど厳しい試験時間を課したり、誰も解けないであろう問題を混ぜ込んで得点分布を調整したりすることもあります。こういう「雑音」の中には、大人の都合として看過できる類のものもあれば、どうみてもよろしくないと思えるケースもたびたび見受けられます。

 また、入試問題というのはおしなべて無茶苦茶だ、と言いたいわけでもありません。実際、これまで3つの大学入試問題を解説した際にも述べたように、多くのまともな大学がしっかりとメッセージを発信していることもまた事実です。しかし、その意図するところをちゃんと受け止められるのがごく限られた人だけである、ということもまた事実なのです。「無料で良質な情報をばらまけば教育格差が縮まるはずだ」と考えて活動されておられる教育系YouTuberの方に肯定的な気持ちを抱けないのは、この「情報を届ける」ことと「受け取り手がちゃんと受け止めてくれること」との間にある大きな溝への無理解を疑ってしまうからです。どうも「俺の授業を受けたら絶対に理解できるから!!」と無邪気に信じこんでいるようにしか思えないのです。

 なぜ基本的とされていることをできない人が多いのか。数学に限ってもっと具体的にいえば、手を動かして何とかしようとする姿勢が育ちにくくなっているのか。そのへんをしっかりと指摘して、私なりの考えを述べていくことができたとすれば、一定の社会的意義があるのではないか。そう思って解説記事企画をやっている次第です。

思想的な影響を受けた書籍

 数学でないのが残念ですが、似たような趣旨の書籍として次が有名ですよね。僕も受験生のときに気晴らしとして読んだ覚えがあります。雑音を含む徒に難しい問題は忌避されるべきだと思うのですが、それをも楽しんでしまおうという敬虔な数学徒とはどうしても相容れません:

 何回も読み返したのが以下の二部作です。中三の頃に書店に並んでいた本書を手に取っていなければ、僕はまったく違う人生を歩んでいたかもしれません。


終わりに

 明日の記事では、受験問題解説企画をやるにあたってのわがままを3つ聞いてもらおうと思っています。よろしくお願いします。


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