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「小説 名娼明月」 第5話:復讐の決心

 酔いどれて我から喧嘩吹っ掛けし為とはいえ、人出の中で手玉のごとく抛(な)げられ、赤恥かいたる矢倉監物、歯を食いしばって、よろよろと立ち上がれば、もう伏岡金吾主従の姿は見えぬ。打ち落とされし地上の刀を拾い上げ、恥と恨みのために酔いも一時に醒めはてし思いして裏道伝いに帯江に帰った。
 思えば憎き二人である。この恥晴らさでどうしておこう。それにしても、あの二人は、いったいどこの何者だろう、と家来の柳島才之進を翌日吉備津宮付近にやって、それとなく探ってみると、玉島の伏岡金吾主従と知れた。おのれ憎っくき小忰(こせがれ)め、これからすぐにと思ったが、待てしばし、泥酔の上でこちらから仕掛けし喧嘩であれば、そもそも曲は当方にある。仕返しは容易(やす)いことながら、かくと知れたら世の中の譏(そし)りが如何あろう、と思えば、いますぐに金吾を襲う元気も出ぬ。よしさらば他日の機会を待つとしょう、と恨みに燃ゆる胸をさすって時節到来の日を待ちかねた。
 幸か不幸か、監物はちょうどそのとき、美人お秋を見染めて結婚を申込んだのである。
 家来才之進を窪屋与次郎一秋方にやって、お秋貰受けについての、いよいよの決答を求めた日のことである。矢倉監物は、事のいよいよ成就するに相違ないとは思うものの、さて万が一の場合もないものとは断言はできぬ。げに待たるるは才之進の帰りである。椽端(えんばた)に伸び上がりもし、門口に出て立ってもみたが、音するものは草を渡る風ばかりである。はては路にて急用起こりしか、また不首尾の返事か、いやいや嬉しい返事なればこそ、かくも暇がかかるであろう。そうである。きっとそうに相違ないと思えば、また立っても坐ってもいられぬように嬉しい。
 それにしても、吉報齎(もたら)す才之進を何として迎えよう。何を褒美に取らそうか。何はともあれ、一杯燗(つ)けて才之進の労をねぎらおう。というので、主人監物自ら台所に下り立ち、お吸物よ下物(さかな)よと、下婢を指図する。
 ところに、すごすごと精気抜けて玄関に帰り着いたのは才之進である。足音聞くより早く監物は台所より玄関に飛んで出たが、一目才之進の悄然たる姿を見て、びっくりしてしまった。さては凶かと覚えず口に出かかったのを無理に抑えて居間に通り、力無く口を開き才之進が語るを聞けば、自分より一足先に縁談を持込んでいた者があって、すでに結納の段になっているとのことである。
 このときの監物の落胆は察するに余りがある。続け様に吐(つ)く吐息を才之進怨めしげに眺めて、

 「これご主人先約ありという相手の男を誰と思わるる?
過ぎし吉備津宮の祭礼の日に衆人の前にて赤恥かかせし伏岡金吾こそ、その男でござります!」

 というのを、監物、皆まで聞かず、

 「何ッ! あの金吾がッ!」

 と一時に顔に漲(みなぎ)る血の色、眉毛がギクリと動いて、眼は恐ろしく血走った。

 復讐!

 監物は、ここにおぞましくも、金吾に対する復讐を決心したのである。
 

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