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「小説 名娼明月」 第6話:時節ついに到来

 そのうちに伏岡金吾とお秋との縁談は立派に整うて、結納の取交しも滞りなく済んだ。けれども、女十六歳と男二十一歳の婚姻は、伏岡家にいささか忌所(いみどころ)あればとて、結婚の式は、来る元亀3年の正月ということに極まった。たとえいまだお秋の輿入れはなくとも、もう伏岡家と窪屋家とは立派な親族である。両家の間は、日に増し親密の度を加えてくる。
 それと同時に、この吉事は両家出入の者の口から自然と洩れて、村じゅうの大評判となり、この美しいお嫁さんに勇ましいお聟(むこ)さんもって、またとなき好いご夫婦じゃと褒めちぎった。しかも、この噂、この評判は、聞くまいとはすれど矢倉監物の耳に入ってくるのである。

 「うぬッ! どうしてくれるか見ていろ!」

 とばかり、監物は金吾に対する復讐の時と方法について心を砕いた。
 いつのまにか元亀2年の秋も逝きて、野に山に凩(こがらし)吹きすさぶ冬となった。
 今日は十一月の十五日である。夜来の雪に天地ま白き上に綿をちぎって抛(な)げるような綿雪は、風なき空を待って、音もなく降り積もる。この雪降りの中を所用あって、伏岡金吾が羽崎村の庄屋の家に行くという評判が、監物の耳に入ったのは、その日の昼過ぎであった。
 久しく機会を𥆩(ねら)って機会を得ざりし監物、今日こそは正しく時節到来と喜んだ。半年余りが間、夢床(つか)の間も忘れなかった恨み、今日晴らさずば、またいずれの時か機会が来よう。金吾の帰りは必定夜となろう。この大雪には他に往来(ゆきき)の人もありはすまい。大市の森か自分の片島の林に身を潜めて金吾の帰りを待ち受け、ただ一撃に撃って果たさば、誰あってか自分の所為であることを知る者があろう、と、ここに準備(したく)もそこそこと、家来才之進へは庭瀬まで往ってくると言い置いて、昼過ぎの4時ごろから帯江の自宅(うち)を出た。
 それとはなしに容子(ようす)を探ろうと河入村のある茶店に寄ってみると、百姓三四人が雪のため骨休めしている。監物が注意するともなく、その百姓らの話に耳を傾けると、今日羽崎の庄屋殿のところに玉島から伏岡様が参られたと語っている。さては、いよいよ行ったのに相違なしと窃かに喜び、わざと時刻を移して茶店を立ち出ずれば、短き冬の日は次第に暮れて、暮れを告ぐる寺の鐘の音が雪野原に滲みるように響く。
 片島の林は喬木(きょうぼく)鬱蒼(うっそう)と茂って天暗く、加うるに道辺に密生篠笹は、いやが上に重なり合って道を没するばかり。こここそ屈竟(くっきょう)の隠れ場所と、監物は適当の足場計りて林の中に身を潜め、呼吸(いき)を殺して金吾の帰り来たるを待てば、牡丹雪はなおも激しく降り続いて、日はまったく暮れてしまった。
 耳を澄ませば羽崎の方から、微かな音が響いてくる。足音らしい、イヤ確かに木履(ぼくり)の音だ。金吾が来たッ、と監物は胸を躍らして雪明かりに遥か向こうを透かし見れば二人である。さては金吾主従かと監物は窃かに刀の目釘を濡らした。ただ時々木々の梢より落つる雪崩の音が響くのみで、天地はいまや恐ろしいばかりに静まりかえった。
 雪は降る。ことに待ち受くる人ありとも知らぬ二人は、雪のために重くなった傘を翳(かざ)して間近に現れた。

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