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Let it be

なにかこう
もう遅すぎるのかも
しれないですけど。

でも
自分の中だけでも

ある人の
周りがおそらく気付かないであろう
一面に気付けたときに

少しだけ
嬉しくなります。

人間観察が
生まれつき習慣です

はる氏やで
🐹

例えば
ぼくの知ってる人は

人前では
とても物腰が柔らかく
ニコニコして
悪く言われてることは
聞いたことがないです

絵に描いたような
内弁慶で

広辞苑を開いて
「内弁慶」

調べたり
Googleで
「内弁慶」

打てば
◯◯さんのこと


出てきそうなぐらい

とにかく頑なで
他人の意見には
基本的には耳を傾けようとも
しない

あの物腰の柔らかさは
幻だったのか

おれは幻覚症状が出てるのか?
(・Д・)

と、思えるぐらい
頑なだったり

怠惰だったり
利己的だったり。

とにかく

未熟なのはわかってますけど
だからなに

という
向上心のかけらもないような
そして
自分の世界の中に閉じこもり
その外の全ては拒絶

という人です。

それを知らない周りの人は
その人に対して
【謙虚な人】
という印象を
持つでしょう。

それは事実です

しかしこれは厳密には
※赤の他人もしくは心を許してない人に限り
【謙虚】
という注釈がつきます

程度の差こそあれ
内弁慶な人というのは
そんなに珍しくはないのかな
とは思っていますし
全てを否定する気は
ありません

ここでは
ぼくの考えとして

謙虚

について
書きたいと思います

というか
既に書いてますが

つまり
重要なのは

誰に対して謙虚か

ということなんだろうと
考えます。

結論から書きます。

自分自身に対して謙虚であれ

というのが
ぼく自身の
モットーでもあり
今のところ
それが一番いいと思っております。

他人に対して偉そうに
或いは傲慢に
振る舞っていても

内弁慶であろうと

その人が
自分自身の中において

自分と向き合い
自分のどこが悪いか
自分のどこが良いか
受け入れて

いずれにせよ

向上したい

しなければ

そう思って
日々の努力を怠らないように
してるなら

ぼくはその人は
【謙虚】
なんだと思います。

その点で
ぼくの知っている
別のある人は

最初に書いた人と
どう違うかというと

利己的ではあるにせよ

常に新しい物事を
吸収したい

とか

自分の親しい人の親しい人は
どんな人だろう

興味を持って
色んな方法で
その人なりのアクションを
起こしたりだとか

本人や周囲の人に
自覚は無いかもしれません

ぼくから見たその人は

ぼくの考えの中では
充分に【謙虚】に当たる
と、思います。

また
その人は
おそらく本当はとても不器用で
周りに不満を与えてるレベルが

その人の精一杯なのかもしれない
と、いうのが

ぼくの観察結果(?)です

他人に対して

【謙る】
(へりくだる)

それもまた
まさに謙虚なんでしょうが
そして
一定程度は
必要なことではあるんでしょう

自分はこれでいいんだ
という
開き直りの中だけで
生きてるとしたらば

それはネガティブじゃないか

思ってしまいます。

自分はこれでいいんだ
ということも

前提としては

引き続き向上に努めてまいりますが

という中で

現状の自分
として

投げやりな
Let it go

よりも

ありのままでいこう

Let it be

の方が
ぼくは好きだし
そう在りたいと
思っています。

目に見える態度
耳に聞こえる発言
その裏に隠れた本質が
どこかにあって
いつか現れる。

それを見落とさずにいられたら
誰に対しても
フィルターの無い状態で
向き合えるんじゃない?


いう意見に

耳を傾けるかどうかも
自分次第

傾ける人が謙虚だと思うし

そういう人の方が
好感が持てるし
ぼくもそうでありたいと
思います。

偉そうに
すんまへん。

すんまへーん
(・Д・)
ハラヘッタ

それではまた

はる氏でした
🐹

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