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映画Gレコ

今日は鬼滅の無限列車がTV初放送ということで言っておきます。

炭治郎よ、お前の自己犠牲、1mmも正しいとは思わないからな!!

…いきなりの脱線で申し訳ない。タイトルのGレコに戻します。3編目を少し前に映画で見たのですが、ある意味鬼滅とは対極だなあと思いだらだらと感想を書きます。

出てくるキャラクターの全員が自分のために全力。自己犠牲の精神などカケラも感じられないのが清々しくて。目指すものが皆バラバラで思惑が入り乱れるので、ひたすら無秩序・カオス。キャラクターが自分勝手すぎて全体がどこに向かってるのかすぐにわからなくなります。でもそれが御大の作品の良いとこなので自分は好きですが、絶対に合わない人も多いだろうなとは思います。

すごくわかりにくい例えかも知れませんが、「だだっ広い川の真ん中に放り出された人々が皆思い思いの方向に向かって全力で泳いでるのだが、結局気づいたら皆海に流されていた」というイメージの世界観が御大の作品にはあって、そのときに、全力で泳いだのに結局流されて無駄骨だったと思うか、結局流されたけど全力で泳いだから満足、輝いていたと思えるかが作品の感想を分けるなと思います。というかその考え方の差は人生を分けるなと。

ただ、このGレコの3編目はちょっと見てて辛かったです。ひたすら猿山のボスザル争いを見させられてるようで…。Gレコの1編目であんなに誇り高く凛としていた人達がここまで堕ちるかと。

世が乱れると狡猾な奴らが暗躍して人を狂わせるんだぜ、怖えーだろ!と言いたいのだったらまだ良いのだが、「強く賢く正しく」生きるのが幻想の世の中で、「浅はかだが大胆で強く」生きるか「思慮深く臆病で弱く」生きるかしか無い2択なら前者だろうよと言いたいのだったら嫌だ。その2択しかないなんていささか悲観的すぎるし馬鹿にしてる。

だから続きがどうなるのかは楽しみでもあるし怖くもありますね。

宮崎駿の映画などはその点、強く賢く正しく生きることを絶対的に良しとするところが分かりやすいし安心できる。そりゃ世界でも評価されますよ。

空いた時間でだらだらーと書きました。それではまた。

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