日本経済を相対的に衰退させた「自滅行為」とは

日本経済の相対的衰退について、この👇ようなもっともらしい説明をよく見かけるが、事実とはかなりの相違がある。

日本の過去を振り返ると、こんな疑問がわいてくるだろう。
なぜ日本の製造業者はもっと早くにVCRなどの製品を見限らなかったのか? なぜ政府はそれを促さなかったのか? なぜ最先端技術の分野にすぐに参入しなかったのか?
その理由のひとつに、まちがいなく経路依存性(制度や仕組みが過去の例に縛られること)がある。特定の技術や知識に精通した企業は、新たな分野に移行するよりも、同じ領域の技術をさらに発展させるほうが利益につながると判断しがちだ。
心理的な要因もあるだろう。企業を含む日本社会は自国の技術力に誇りを持っており、その比類なき価値が失われていくことを受け入れられなかった。同じことが官僚たちにも言える。たとえば通商産業省(現・経済産業省)が戦後、自国の経済を飛躍的に成長させた手腕は神話化されている。
日本の政財界の指導者は、自国の優れた技術力が無用の長物になったと認めるより、経済の衰退を選択したのだ。

The big question is why Japanese producers did not abandon – and were not urged by the government to abandon – products like VCRs sooner or attempt to lead on the cutting-edge technologies that were replacing them. Path dependency is undoubtedly part of the answer: when firms have acquired know-how in a particular area, they often find it more profitable to further improve their skills in that area, rather than moving into a new field.
But psychological factors probably also played a role. The top Japanese firms – and, indeed, Japanese society at large – were proud of their engineering prowess, so they found it difficult to accept that these admirable capabilities were losing value. The same was true of government bureaucrats, including those in the Ministry of International Trade and Industry, an institution that had gained an almost mythical reputation for its success in piloting Japan’s growth. Japanese leaders and producers effectively chose economic decline over admitting that their key technical competence had become worthless.

このような個人や組織の判断ミス(過去の成功体験に囚われた)に原因があるとする説明が見落としているのは、バブル崩壊から約10年間の日本経済のマクロ環境である。

まず重要なのが、1990~91年のバブル崩壊に続いて、1993年から円高に襲われたことである。日本と同じく、1990年代初頭に不動産バブルが崩壊して不況に陥った北欧諸国では、為替レートの大幅減価→輸出促進によって内需の縮小が緩和されたが、日本ではアメリカからの政治的圧力のために、この不況を緩和するメカニズムが働かないどころか、逆方向に作用した。

BISより作成|Narrow indices

もう一つの北欧諸国との大きな違いは、北欧は不良債権問題を早期の公的資金投入で解決したのに対して、日本は大蔵省が先送り・自然回復を選んだことが裏目に出て、1997~98年に金融危機が起こったことである。金融危機は実体経済にも大打撃となり、企業は生き残りのための緊急避難的行動を余儀なくされた(一例が1999年3月の日産自動車のルノーとの資本提携)。1998~2002年頃には雇用・設備・債務の「三つの過剰」解消や、合併・資本提携・経営統合といった企業の構造改革が急速に進んだ。

つまり、日本企業は「過去の栄光」に囚われて変われなかったのではなく、マクロ環境が厳しすぎたためにそれどころではなかったのである。日本にとって不運だったのは、金融危機とリストラ期がICT革命が本格化した時期と重なってしまったことで、ここでのスタートダッシュの出遅れが、デジタル先進国になれなかった大きな理由となっている。

日本企業が「変わらなかった」というのも完全な事実誤認である。👇はちょっと大げさではあるが、日本企業は収益力を著しく高めることに成功している。株価が史上最高値となったのも巨額の利益の裏付けがあるためである。

日本の産業界は長期にわたる危機と再編成の時期を経て、世界でもっとも高い競争力を取り戻した。日本の産業界は、至極当然のやり方で、再び勝利者の座に就いたのである。特に、大企業をはじめとした企業の各経営者は、彼らにとってのグローバル化の重要性をすばやく理解した。すなわち、中国、アメリカ、そして現在はヨーロッパにおいて、直接投資が増加したということである。世界第二位の経済大国である日本は、市場を求めて、あるいは、自国に欠けている製品やテクノロジーを求めて、経済の開放という切り札を用いたのである。

世界を壊す金融資本主義』ⅵ
日本語版への序文(2007年1月)
財務省「法人企業統計調査」|資本金十億円以上
財務省「法人企業統計調査」|資本金十億円以上

日本経済が相対的に衰退しているのは事実だが、その原因となった「自滅行為」とは、政財界の指導者が変わろうとしなかったことではなく、マクロ経済には逆効果に働く「企業の収益力を高める改革」だったわけである。

内閣府より作成

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