育児中の妻の幸福度は低くなって当然

現代ビジネスにはリベラルのプロバガンダが目立つが、このいい加減な記事もその一つである。

この幸福度の大小関係だが、当たり前であって何ら興味深くない。

統計的な手法を用い、さまざまな個人属性の影響を除去した結果、幸福度の大小関係は以下のとおりとなった。
子どもがいない専業主婦>子どもがいない働く妻>子どもがいる専業主婦>子どもがいる働く妻
この結果には興味深い点が3つある。

ほとんどの哺乳類では母親が自活しながら子育てするが、ヒトは直立二足歩行するようになった関係で未熟な子供を長期間育てなければならないため、男(子の父親)が用心棒兼食料調達係として妻子を長期間サポートするように進化した。現代では男の役割は稼得労働に変化しているが、ヒトが男女分業で子育てする特殊な動物だという本性は変わっていない。

ヒトの子育ては負担が大きいので、その期間中は幸福度が低下して当然であり、その上、夫に任せるはずの稼得労働の一部も担えば、さらに幸福度が低下するのは必然である。逆に、子育ても稼得労働もしなくてよい専業主婦は楽なので幸福度は高くなる。

これ(⇩)もよくある主張だが、夫が働く時間を考慮しなければ意味がない。

この点に関連して、分析に用いたデータから、子どもがいる世帯の夫婦の家事・育児時間の比率(妻の家事・育児時間÷夫の家事・育児時間)を計算すると、平日では専業主婦世帯で15.7倍、働く妻の世帯では6.8倍であった。休日になるとこの比率は低下し、専業主婦世帯で2.6倍、働く妻の世帯では2.8倍となる。
これらの結果から、日本では圧倒的に女性に家事・育児負担が偏っていると言える。このような状況下では、子育ての負担感が重くなりすぎてしまい、幸福度を押し下げてしまうのも無理はないのかもしれない。
対策として求められるのは、夫婦間の家事・育児負担の格差是正等を通じた女性の子育て負担の軽減だ。これを達成することによって、子どもを持つことによる幸福度の向上を図り、それがさらなる出産に結び付くといった好循環を形成していくことが望まれる。

総務省「平成28年社会生活基本調査」では、1日の行動をこのように分類しているので、

20種類の行動を大きく3つの活動にまとめ、睡眠、食事など生理的に必要な活動を「1次活動」、仕事、 家事など社会生活を営む上で義務的な性格の強い活動を「2次活動」、これら以外の各人が自由に使え る時間における活動を「3次活動」とした。

2次活動をさらに

A:仕事、通勤・通学・学業
B:家事、育児、買い物、介護・看護

に分けて、6歳未満の子供のいる雇用されている共働き夫婦の1日24時間の行動を比較する。

記事の筆者達はこのように(⇩)イメージさせたいのだろうが、

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現実は全く異なっている。

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2次活動Bの時間は妻が夫より4時間34分長い(4.4倍)が、2次活動Aは夫が妻より4時間23分長いので、2次活動合計では11分しか差が無い。妻が家事・育児、夫が稼得労働のヒト本来の分業をしているだけで、夫が家事・育児を妻に押し付けて楽をしているかのような印象操作は不適切である。

また、妻が育児と仕事の二重の負担に耐える理由が「一流労働者であり続けるため」なら、現在の低い幸福度は将来の高収入で報われるはずなので、特に問題視することではない。もし公的支援するのであれば、将来の高収入から返済してもらうのが筋である。

しかも日本企業の人事システムでは、いったんメインストリームを外れると、再チャレンジができない仕組みになっています。一度マミートラックにのって二流労働者になってしまうと、一流に戻れないまま、組織の中で塩漬けにされるのです。

このようなリベラルの学者は「妻の家事・育児負担が重過ぎる→夫がもっと負担を引き受けよ」と主張するが、それなら同時に「夫の稼得労働負担が重過ぎる→妻はもっと負担を引き受けよ」とも主張しなければならない。さらに、育児で大変な時期は子1人当たり数年間だが、稼得労働は数十年間続けなければならないことも考慮する必要がある。

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このような連中は「諸悪の根源である家父長制を打倒しなければならない」という共産主義者的信念で活動しているので、男叩きが目的のプロバガンダを真に受けてはいけないのである。

上野 ・・・家父長制も資本制も、私が嫌いな二つの敵。それを分析したら、どこが弱点なのかがはっきり理解できた。
古市 じゃあ、初めにもう戦うべき相手があるわけですね。
上野 当たり前ですよ。だって、問いが立つというのは、そういうことだから。問いに公平も中立もありません。
上野 そう。その話を小熊英二さんに話したら、「社会運動家としては正しい選択です」と言ってくれました。

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