日本とロシアの経済構造改革の類似と相違

これ👇の前半は大筋では当たっている。

👇も同様の主張。

「植民地化」される前の日本型経済システムではメインバンクの株式保有が重要な構成要素の一つだったが、1990年代後半から、債務超過の危機に陥った銀行や生保に保有株式を売却させる→外人投資家が安値で買うことで株式分布が劇的に変化した。「植民地化」は金融ビッグバン・金融再生の裏面だったと言える。

JPX「株式分布状況調査」|市場価格ベース
JPX「株式分布状況調査」|市場価格ベース
信託銀行は実質株主の投資ファンドを含む
内閣府「国民経済計算」より作成
内閣府「国民経済計算」より作成

このプロセスはソ連解体後のロシア連邦によく似ている。

吉川顯麿「市場経済移行と今日のロシア資本主義 ─ 特異な「民営化」とその軌道修正を通じたロシア型資本主義市場経済への移行 ─」(PDF)

市場経済に移行したロシアでは、経済構造改革の柱として国営企業の民営化と国民への株式交換券(バウチャー)の配布が行われたが、国民の多くは株式やバウチャーの意味を理解できず、猛インフレで生活が苦しかったこともあって、本来の企業価値に比べると激安価格で後にオリガルヒになる面々に売却してしまった。結果、株式買い集めによってロシアの豊富な天然資源を手に入れたオリガルヒは途轍もない資金力を持つようになり、政治にも介入するようになった。なお、当初の7大オリガルヒのうち6人はユダヤ人だった(←金融リテラシー)。

日本はロシアの後を追ったようなものだが、その後の展開は対照的である。日本は安倍のニューヨーク証券取引所における「もはや国境や国籍にこだわる時代は過ぎ去りました」に象徴されるように、グローバル金融資本主義路線に邁進したが、ロシアは2000年に大統領に就任したプーチンがオリガルヒを抑え込んで国家方針に従わせると共にケインズ的国家的自給路線に転換した。その成果があったことは、西側による2年以上の経済制裁を受けながら継戦能力が衰えていないことが示している。

日本がこうなったのは国民が構造改革を圧倒的に支持した結果でもあるので、もはやどうしようもないと思われる。補足すると、日本政府はグローバル投資家の利益最大化を優先するので、増税するのはドメスティックな消費税と社会保険料になるわけである。

1996年11月11日、時の総理橋本龍太郎は官邸に三塚博大蔵大臣と松浦功法務大臣を呼び、日本の金融システム改革(いわゆる日本版ビッグバン)を2001年までに実施するように指示したのでした。実はこの金融システム改革を仕掛けたのは、当時国際金融局長だった筆者と証券局長だった長野厖士でした。官邸での会合には筆者も長野も同席しました。

榊原英資の成熟戦略』p.128

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