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流れる枝になれ(致知2023年3月号)

鼎談ていだん『心の力をいかに高めるか』より

癸卯(みずのと・う)の年を迎えて1か月。あらゆる面で私たちを取り巻く環境は厳しさを増すばかりである。こういう時代に求められるのが、様々な変化苦難に処していけるだけの心の持ち方である。『致知』連載でお馴染みの鈴木秀子氏、數土文夫氏、横田南嶺氏は長年、それぞれの立場で人間の心と向き合ってこられた。変化の激しいいまのこの時代、どのような心構えで臨んでいったらよいのか。その人間学に根ざした人生や仕事の叡智に学びたい。

https://www.chichi.co.jp/info/chichi/pickup_article/2023/202303_suzuki_sudo_yokota/


一心万変いっしんばんぺんに応ず』というテーマのもと、文学界から鈴木秀子氏、宗教界から横田南嶺なんれい氏、そして経済界から數土すど文夫氏を迎えて行われた鼎談では、それぞれの経験や知識を引き合いに様々な金言が飛び交った。

文中において、これからの日本に必要なのは「ぶれない中心軸を持つことだ」と説かれている。

私は最初それが意味するのは、さながら激流の中心に突き立った不動の杭のような軸だと思っていた、しかし続きを読み進めると、その考えは間違っていたことに気付かされたのである。

その決定打となったのは、臨済宗開祖の言葉。

『境に乗る』である。

この言葉を見た瞬間、私の脳裏では冒頭に挙げたテーマと直結されたのを確かに感じた。

『境に乗る』とは、今置かれている環境を乗りこなしなさい、という意味だという。

先の例えを用いるならば、地面に突き立っているのではなく、激流に身を任せて流されている木の枝こそが『ぶれない中心軸』足りえるのである。


何をワケのわからないことを、とお思いだろうが、まぁ、聞いてほしい。

傍から見ると、それはただ流されているだけで主体性が無いように見えるだろう。しかし、ここで枝側の視点に立ってみるとどうだろうか。

荒れ狂う環境の真只中に居ながら、その力を逆らわずに受け流し、それでいて自身の形を失うことなく存在し続けているのだ。

「流される」のか「流れに乗る」のか。それを決めるのは自分の心の有り様だ。
千変万化する環境に応じて、心は如何様にも変えられる。

曹洞宗の僧侶、良寛の言葉を借りるならば、この厳しい現代においても、その苦難・困難を楽しんで乗りこなして行くことこそがこれからの時代を生き抜く妙法なのである。


願わくば、流れの終着点にたどり着いた枝が土に根差し、いつしか素晴らしい花を咲かせることができますように。

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