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【介護小説】俺なんてどうせ負け組だから #1

 今日も送迎から始まり、入浴の介助をした後に食事介助をする。そして、毎日変わらない日常をおじいちゃんとおばあちゃんと過ごす。

 もう、30になって送迎をし認知症のおじいちゃん、おばあちゃんをして、うんちをしたオムツ交換をしていると思うのか、『俺は何やってんだろう』と心の中で思いながら働く。

 でも、そうしなければ暮らして行けないので仕方がない。まあ、家は他の女の所に同棲しているので問題もない。
 たまたま、流行のマッチングサイトで遊んでて飲みに行く約束をして、ノリに近い感じで女性の家に行ったのがきっかけで同棲している。

 同棲しているのはいいが、彼女には子供が居るのだ。4歳の女の子だ。初めて、赤の他人の子供と住んだが男子校の時に合宿していたし、共同生活は割と好きなので、同棲する事になった。
 それよりも4歳の女の子が、見ず知らずの男と一緒に住んでくれた事が凄い。

そんな感じで30にして低収入でバツイチで子持ちの所に同棲。
家賃は半額入れて、他は何も入れていない。食費も全部彼女持ち。最初は『家賃もいいよ。』と言ってくれたが、俺みたいなクズ男でも半分は入れる契約をした。

 介護をする前は売れない役者をしていたので、実家くらしで食費も家賃も払わなかった。てか、払えなかった。
 塾講師のアルバイトをしていたが、月12〜13万くらいにしかならなかった。
 決して売れっ子ではない僕は仕事が無い日はパチンコにお金を費やした。当然、パチンコで稼ぐ事はなく。パチンコのアルバイトの人の給与等に寄付してた。

 25歳を超えて、薄々気付いていた。本当に売れる役者ならもうスカウトが来ていると。
 僕自身も東京の小さい劇場で主演をやった事があるが、台詞の入りも決して良くなく、何よりもプレッシャーに弱かった。
 そして、幕が上がると僕の心拍数が上がり、心臓の鼓動は上がっていた。台詞が飛び、あるシーンで台無しにしてしまったのだ。

 その後、何個か主役や助演の仕事を貰うが、ことごとくチャンスを逃し僕は舞台に呼んでもらえなくなってしまった。

 映画に呼ばれる事もあったが、プロじゃない人と一緒のエキストラを演じる事になった。もう、自分には役者という仕事に限界を感じていた。

 そして、気付いた時には28歳で月収13万くらいで学歴もなく、実家くらしの負け組男が完成してしまったのだ。
  バイトも塾講師の個別指導しかした事がない男に、正社員になれる訳がない。もう俺の人生は完全に落ちるところまで落ちていた。

介護を本気で変えたいので、色々な人や施設にインタビューをしていきたいので宜しくお願いします。