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人間力の基礎=心の礎-感謝

社会人と企業人の「心の礎」

人の心を支える土台石=礎は、
一体どんなものなのでしょうか?


この「」は、一般的に土台石。
物事の基礎となる大切なもの。
また、その人。のことを言います。

それは、思いやる心に溢れ心豊かな人、
個性的で魅力的な人間力を育む土台石です。
そして、これからの少子高齢化社会の日本に
なくてはならない大切な心=ものです。

その「心の礎」は、日本人としての
大和魂、武士道、道徳、モラル、
人として正しい判断、認める、筋を通す、
感謝、受け入れる、素直、謙虚さ、
立場転換、誠実、敬意などと言った
様々な土台石(要素)によって作られます。
(下図参照)

では、そのような土台石(要素)は、
どんなこと=語彙・意味で、
具体的にどんな活動を言うのでしょうか?

人間&企業人の「心の礎」図

体験を元に組立ててみました。
自分と向き合うことに取組みましょう。

心の礎

その取組みをする際に心掛けるべきことは、
自分の当たり前や常識を総て捨てることです。

一例を挙げれば「感謝」、
それはどんなことで、どういった気持で
具体的に表わし伝えるべきことなのか?

それには、先ず、
「感謝」がどんなことを言うのかを知識として
確りと心に理解し植え付けることから始めます。

この「感謝」は、
一般的に相手に伝えるだけものと
考えがちですがその気持ちだけでは
心の篭った感謝は伝えられないと言うこと
を確り心に刻み込むことが肝要です。

私心のない遜った謙虚な心「嬉しい」
「有り難い・お陰様で」と念じてこそ、
自然に何気なく相手の心(気持ち)に通じ、
心に響く感謝の表現伝達が出来るのです。

この感謝には、「無欲の私心無き感謝」と
見返りを望む感謝」があると考えられます。

「私心無き感謝」のひとつの例は、
2011年の東日本大震災後、
今でも忘れられない被災者の方々が
話していた感謝(拝謝・深謝)を表し、
伝える「お陰さまで有難いです
心の感じるこの二つの言葉です。

被災された人々が、
心の底から感謝を感じているから
こそ自然にとても重みのある言葉で
表現しているのだろう、と感じました。


人は心の底から
本当に感謝を表し伝える時は、
「有難いです」、
「お陰さまでありがとう御座います」

と自然と口に出るんだなぁと感じた、
と同時に、
この感謝の言葉の重さ、大切さ
改めて思い知らされました。

日常生活やおもてなし、接客・接遇の
サービス業の仕事の場で耳にする
「ありがとう御座います」の言葉に、
こんな重さがあっただろうか、
見返りを望まず、私心無く伝えていた
だろうかとも考えさせられました。

この「見返りを望む #感謝 」は、
ある意味、感謝は人を引き寄せる、
自分から感謝の心身の活動をしない人が、
一方的に他の方から感謝の言葉や心を
受け取る事は出来ないと言ったことも
同時に、当て嵌まると考えられます。

また、見返りを望む利己的な自分の損得、
個人的な好き嫌いの感情、親交の度合い、
年齢や上下関係、社会的地位などで
感謝の表現伝達の要不要を判断する人がいます。

私心無く他人に感謝することと、
その人への感情や想い、損得勘定は
全く別なものであると思います。

大人になって善し悪しに関わらず
「見返り」と言う言葉の持つ意味を知り、
子供の頃に見かけた親達が何らかの
お世話になった人に忘れずに何かの形で
お返しをしていたことを思い出しました。

日本では、何かをして頂いたり、
物品や文書などを頂いたりするなど、
こちらから感謝を表す行為をする時、
何らかり形でその心を込めたお返しを
する風習(お中元・お歳暮)があります。

一般の人間は、
他人の出来ないお世話をしたり、
何らかの物などを差上げたりした時、
人は無意識の内に感謝と言う見返り
を求めてしまうものと体験しました。

私達凡人は折角他人に親切にしたのに、
何も感謝の言葉や態度を示されなければ、
がっかりした気持ちを味わいます。

時に、何の感謝の言葉や態度が示されず、
その人を許せなくなってしまい結果として
御縁が途切れてしまうこともあります。

但し、
人として当然「」として為さなければ
ならない感謝が示されない時に限り
疎遠になっても仕方ないと思います。

我欲の一つとされる「見返り」を望み、
求め期待する気持ちを持たないように
心掛けることは実際、頭で判っても中々出来ません。

人は、
「自分が先に親切にしたのだ」
と思う意識が生まれるから何らかの
感謝の見返りを期待してしまうのです。

では、
どうすれば、見返りを求めずに他人に
感謝することが出来るのでしょうか❓

他者への感謝、愛情、善意、情け、奉仕、
敬意表現の活動は、いつか何らかの形で
必ず自分に返るもの、と体験からも思います。

その相手から直に感謝されなくても
巡り巡って関係のない他の誰かが
必ず返してくれるものと思います。

行為そのものが返ってくると
言うよりもそういう態度や心掛けが
人や幸せを引き寄せ呼び込むのです。

折角他人に親切やお世話をしても、
感謝されなければ、やはり損だ親切が
無駄になるのは馬鹿馬鹿しいなどと
見返りを考えて尻込みしてしまう
のも無理はないと思います。

しかし、自分のした親切を
感謝の見返りを求めて、
 親切やお世話をする
」のではなく
過去に受けた親切や
 お世話に恩返しをする

と意識すれば良いではないか、と考えます。

感謝の活動(言行)は、
見返りを望まず求めず、無私の心で
表し伝えるように心掛けたいものです。


感謝と別な道理や筋を通したり、
他人の苦難を知り、心配や不安を
与えない心身の活動も心の礎の一つです。

このような「先心」即ち、
先に日本人や人としての心の知識を知ると
共に、「後技」で「語先後礼」の表すための
礼の形や言葉、仕草を身に着けることで
心に通い、響く感謝の表現が出来ると思います。

このようなプロセスを前記した
日本人としての大和魂、武士道、道徳、
感謝、認める、誠実などの夫々に当て嵌め、
学び知りそれを日々積み重ねることで
己の素晴らしい人間力を育むことが出来ると
今まで生きて来て実感しました。

そして、確りとした「心の軸」を支える
「心の礎」を作ること言い換えれば、
個々人に合わせた魅力的な人間力を身に
着けるには、先ず「心の軸」の土台となる
様々な「心の礎」の要素を学び知り理解し、
その一つひとつ創り上げて行くようにする
ことではないでしょうか。





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