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心を豊か育む「十の徳目」

豊かに生きる-十の徳目

十徳

古より日本に伝わる仏教の教えには、
現在の生活上でも学ぶことが沢山あります。

そして、その教えは、日本人としての
心おもてなしの原点「思い遣る心」です。

また、この「十の徳目」と共に
和を以って尊しと成す」の
言葉は連動していると解します。

この「十の徳目」を実践するには
和の心」が不可欠である思います。

※徳の文字は「悳」(とく)とも書きます。
 =「直き心」
 即ち、素直で実直なことを語彙とし、
 行人偏は人が活動する意を持っています。

以下、
人の心の礎となる十の徳目
簡単にまとめてみました。

十の徳目解説

十の徳目

仁⇔愛

  人を思いやる心。慈しみ。最高の徳
  身近な家族➜親戚➜社会へ、一人称から三人称で行う、
  即ち身近な所から遠くへと秩序立てて広める。

 ⇔正義を貫く心。善悪、正邪、真偽。
  人道に従うこと、道理にかなうこと。
  仁を広める形。
  親への孝、兄や年長者への悌、
  君主への忠、社会には礼。
  これが道義・正義。

 ⇔敬意を表す心。
  社会秩序を保つための生活規範、
  儀式、礼儀、作法、礼節。
  礼を学ぶことが、学。
  礼儀を身につけた人を学のある人と言う。
  仁を実行して社会から信頼される人、
  そんな人が、学のある人

 ⇔正しい判断を下せる能力。
  正しく豊富な知識と経験、
  洞察力が加わったものが智慧。

 ⇔心の中に偽りがないこと、
  主君に専心尽くそうとする真心。

 ⇔信頼する心。言葉で嘘を言わないこと。
  相手の言葉を真と受けて疑わないこと。

 ⇔親や先祖を大切にする心。
  想いはかること、工夫を廻らすこと。
  親孝行すること。

 ⇔兄弟の仲がいいこと。

 ⇔これは二種に分けられる。
  一つは、他者からの迫害や侮辱
  或は自然災害や病気などによって
  齎される苦難に対して堪え忍んで
  怒らず、動揺しないこと。
  これは布施などとともに、
  福徳としての重要な善行と考えられている。

  もう一つは、「無常・無我・空・縁起」
  などで表現される仏教の真理において
  心が堪え忍ぶこと。
  即ち真理に対して不動で安定している。
  智慧としての忍によってこそ、
  あらゆる苦難を忍ぶことができる。

畏(オソレ)

⇔死に向かっての日常生活の中で
  現れてくる不安、畏れです。
  この畏れを
  仏教では五怖畏(ゴフイ)と言います。

  それは不活畏、悪名(アクミョウ)畏、
  悪道畏、死畏、大衆威徳(ダイシュウイトク)
  の五つの畏れで、人間が生きていく中
  で人の心に生まれる意識です。

  私達は健康で長生きしたいと言う、
  生を肯定した日々の生活ですが、
  同時にその生の肯定には生の不確かさ
  不安を抱えていると言うことを表しています。

五怖畏(ゴフイ)

一、不活畏
 このままで生きていけるだろうか、
 と言う畏れです。
 馘(かく)首や老後の不安等々により、
 現在も未来も不安なのです。
 毎年三万人ほどの自殺者がある
 ことがこれを表しています。

二、悪名畏
 関係性の中で生きている人間は、
 自分の名、評判が気になる、
 自分がどう思われているかという畏れです。
 特に面子に拘わる人にとっては大問題です。

三、悪道畏
 例えば、不治の病いに罹(かか)ったり、
 不慮の事故に遭うことです。
 なぜ私だけが、
 こういうことに遭わなければ
 ならないのかと言う畏れです。
 しかし、これは日常性の中に埋没して
 忘れており当事者になって
 はじめて分かるものです。

四、死畏
 死への畏れです。
 人は皆にある不安ですが、
 不治の病にかかったり、
 高齢化しないと実感が湧きません。

五、大衆威徳畏
 一人毅然(きぜん)として生きて行こう
 としても周りが気になる。
 人が自分のことをどう思っているのか
 と周囲が気になる、そういう畏れの中
 で日々生活していると言うこと。

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