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提言-現代日本人の“心の礎”を!

社会の新たな『心の礎』造りにチャレンジ!

※この記事は2021年6月にコロナ後
 について書いたものです。
 マスクを外すこれからの社会にも
 大切であると思い投稿します。
******************【提   言】************************** 
🔴自国第一主義拡大と世界が一つになる意識への警告❓
🔴I.T.環境・物・情報の進歩発展人間力と日本独自の和の心
  詰り、モノや情報過多社会の急激な発展成長に
  「心の育成」が追い付けないことへの警告❓
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▶家庭や幼児教育の場で子供たちへ罪と罰の知育、
▶公の場でマナー違反やモラル欠如のルールと罰則作り、
▶それを支える国政・行政機関の規律・規則の法令・条例化、
▶ジェンダー意識への取組み、
 地球温暖化対策、少子高齢化社会対策、
▶日本社会に必要不可欠な取組みは急務!
******************************************************************

男女に関係なく、人と人の間で生きる【人間】

二十一世紀に入って以降、若年層
(中・高校生)が起こす殺人事件、
いじめの増加、引きこもり、
無差別殺人、自分の子供の虐待殺害
と言った、今迄の規制通念では
考えられない事件が多発しています。

見方を変えて考えてみると、
個人重視思考の社会と成り人や
物事を個人中心の一人称で
捉える社会と成りました。

他人=二人称に対する考え方
も利己的で保身意識になり、
また、我欲の自制や己の心を自制
コントロールが出来ずに、
人として決して為してはならない
モラル欠如のハラスメント、マナー
の違反の行為、様々事件や犯罪の増加、
目を覆いたくなるような凶悪な犯罪が
年々増加する傾向になっています。

此の侭では、このような自制心欠如で
自分の心が柱となる事件や犯罪が
益々増加するのではないか、
と思われ今後の社会がとても不安です。

時に、
人は社会で生きるために我欲が強く表れ
利己的な自分一人の利益・満足だけを
求める強い気持ちになります。

人間は、
皆んな自分をとても大事にします。
私も悲しいかな人生の後半まで
自分中心に生きてしまいました。

私も“思いやり”の心を学び知る迄は、
自分の我欲の満足、自己の利益だけを
追求する生き様をして来てしまいました。

人間の「心」には煩悩と言う、
自我や欲望が自然発生します。

総て物事を、自分中心に判断する
心に育ってしまうことを人間の「我」
それを自我が強い人と言います。

さて、
その起因や要素と考えられるのは、
性別に関係なく人間の「心の礎」
とも言える「道徳教育」を受けない
人達の「道徳・倫理心の欠如」に
原因があるのではないかと思います。

また、
国民の代表である政治家としての
自覚の欠如と思える言動や態度、
様々なハラスメント行為を黙認する
自己中心的(利己的)な意識の拡がり
によるのでは?とも考えられます。

総てとは申しませんが、
個人優先社会と成り子を持つ大人が
子供を中心に生活する意識が弱まり、
親としてではなく一個人として
生活を楽しむような風潮が多くなって
いるからではないかとも考えられます。

一方、
日本を牽引している一部の上級国民や
知識層の人達は自分の都合を優先し、
他者に「不安」を与えるなどと言った、
自らを主体と捉えるI.MY.Me.の
一人称で捉え、自分さえ良ければ主義
生き方に変わりつつあると思います。

このような状況から脱皮し、
平和・自立・調和の日本を築き直し、
日本の優れた文化・伝統を復興させ
二十世紀を通じ、日本人が失いつつある、
天皇家の御心「先ず人を思う心」、
即ち、人を思い遣り繋がりを
創出する「和の心」=調和の心
取り戻すことが二十一世紀に
生きる私達日本人の課題だと思います。

それは、
失われつつある尊き日本国精神の
涵養であり心の絆の再発見、詰り
日本文化の再生であると思われます。

【どこに行ってしまったの?世界に誇れる日本人の心】

日本人の心

コロナ禍で大切な命の危機が迫る中、
国民の大半は国や行政の自粛依頼に
従い自分や周りの人を想い我慢を
強いられてきた中、一部の人達の
路上飲みや公園内での飲食、
行政からの自粛要請に従わない、
危機感がないなどの行為は、
何故起きるのでしょうか❓

それは、個々人の利己的な自制心欠如
に因るとコロナ禍前から意識していました。

「和」の国、日本の祭の危機⇔“日本人の心と行動”

21世紀に入り急激に成長したI.T.関連事業、
巷には溢れるばかりの物や生活環境、
ビジネス関連情報過多、それに比べ、
日本人として一人の人として育むべき
心(人間力)の育成に関するもの
微々たる量ではないかと思われます。

また、一昨年NHKの調べでこの2年間で
約「50」ほどの祭りや花火大会がマナー違反
モラル欠如などが原因(要因)で開催中止や
日程の変更をしなければならない事実が
起きていると知りました。

「近所で祭りが開催されるたびに
 ポイ捨てのゴミで道が汚れる。
 地元民からするといい迷惑」

「他人の家の敷地内にゴミを捨てる人いる」

「くわえタバコで歩くのは危ないからやめて」

「めっちゃ混雑してるのにペットを
 連れてくるのはどうかと思う」
などのネット上でマナーやモラルに関する
様々な書き込みや意見もあるそうです。

自分自身が楽しむだけのために、
 こう言ったマナーやモラル違反の行為
 は許されるのでしょうか?


海外からの観光客や訪問者が
 日本の文化や芸術を楽しみに
 来日される方が増加する近年、
 おもてなしの日本の国民として、
 コロナで落ち込んだ経済回復に
 このままの状態で良いのでしょうか?


また、学生の通学時間帯の電車内(=路線/バス)
などでショルダーバックや手荷物の取扱い方で
周りの人々を思いやる活動=マナーと言えない
自己中心で利己的な次のような行為も見受けます。

・老人や障害者がいてもスマホを
 見ているふりをして席を譲らない
・二人掛けの席を独占する
・背負ったショルダーバッグで人にぶつかる
・大きな声で談笑する
・足を出して通路を狭くする、

・・・などの行為も見受けられます。

同時に、社会をけん引する中高年層の人も
歩きスマホや交通機関内で見てるふり、
歩道を横一列で歩く、自転車の危険運転、
通路を足や物で狭くする、大声で会話する
など、マナー(モラル)の欠如を多く目にします。

あくまでも私見ですが、
古からの日本の歴史の中で最も重要な言語
を選ぶとすれば「心」ではないでしょうか。

また、
聖徳太子の言葉「和を以って尊しと成す」
にあるように他者との繋がり、即ち
「和合と享受の精神」、「武士道」では、
感情を抑える美学、日本の象徴である
皇室では「直き心」一方歴史を遡ると、
「古事記」「日本書紀」での「清き明き心」、
仏教では、最澄が「道心」と唱えている
「道を求める心」と言った人としての
「心」の教えに取上げています。

本来日本人は、
優しく、正直、誠実、謙虚、繊細である
と言われ、人との繋がりと和を重んじて、
尊き日本精神の涵養である心の絆、
より良いものを作り出そうとする向上心、
伝統的技術や文化を継承して行く
と言った世界中から注目を浴びる
独自の文化、国民性を備えています。

二十世紀に至る迄、
古より日本人が大切に培い育んで来た、
助け合いの文化、譲り合いの文化、
調和の心の活動、労わりの心、
自然への畏敬と感謝の心が薄れ、
「プライベート優先の個人の生活中心社会」
で保身・安心・安全、プライバシーを
重んじる社会に変化した21世紀の現在、
人々の心から徐々に薄れていると思われます。

私達は、他人を思いやる「おもてなし」
の日本の心に原点回帰し日本人としての
「心」を再認識する必要に迫られていると思います。

その為にも、
東日本大震災後に見られた人との繋がり、
豊かな生活環境の見直し、人の文字の如く、
他者に支えられ生かされていることの自覚、
象徴天皇の御心「先ず、人を思いやる心
の育成、世界に類のない日本独自の
調和の和の独自の文化と言ったことに
真剣に向き合うことが今後の少子高齢化社会
を担う日本人として急務と思われます。

東日本大震災直後に世界中の人々が
賞賛した日本人の様々な対処対応、
規律の素晴らしさは間違いなく日本の調和
「和の文化」に裏打ちされていると思います。

私達は、
2011年の東日本大震災や自然災害を経て、
当たり前の大切さ、古より現在まで大切に
育んできた助け合いや譲り合いの文化、
労わりの心、人間同士の共働・共生、
自然への畏敬と感謝の心、日本文化の心の
見直しの大切さを自覚認識すると共に、
貴重な気付きを沢山得ることが出来ました。

このような日本文化を改めて省み、
その素晴らしさを再認識するためにも
日本人としての「心の軸と礎」
目を向ける時期に来ていると思います。

ひとり一人国民、自らがそう言った活動を
推進することで様々な格差や孤立などから
生まれるむ「心の闇」の怖さに気付き、
日本人の「心の軸」と言える「和の文化」
の認識が出来、日本人ならでは道徳心「心の礎」
を育むことに繋がると思います。


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