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朱子学的か?陽明学的か?

最近、勉強する手が止まらない。
深海からこんばんは、Yas: うつぼでございます。

儒教や儒学なるものは、日常生活の隅々にその片鱗を見る事ができるんだなぁと思ってきています。

殊更、日本人だと自負するのであればその影響からは抜けでることは無理に近いのでしょう。

親を大事にしなさい、しっかりと勉強しなさい。己を律しなさい。公に尽くしなさい。私心を捨てなさい。

太古の昔は、春秋戦国時代から語り継がれ、育まれてきた思想であり、学問です。

僕は、僕でびっくりするぐらいの無神論者で、社会の仕組みにも変に懐疑的な部分もあり、取りつく島のない自他ともに認める変人なんですが……。

40を超えて、やっと学問の楽しさなるものを少しだけ分かってきた気がします。学問を修めることが楽しいわけではなく、ただ、知らないことを知れる興味に改めて気付いたと言うべきかもしれないです。

タイトルにもある朱子学と陽明学は、名前こそ聞いたことはあれ。受験勉強において、運が良ければ数点稼げるだけの代物でしか無かったわけですが、何を思ったのかその地獄の釜の若き深き沼に飛びこもうと最近しています。

正直、俄で勝てるような分量ではなく。考えれば考えるだけ難しく、知らないことが次から次へと噴き出してくるパンドラの箱感ハンパない分野ではあります。

先だって研究されている方が沢山いらっしゃる分野でもあります。

この分野に飛び込もうと思ったきっかけは、素朴な疑問でした。ん?僕は何も儒学の事を知らないな、偉そうに論語の一説や、孟子の一説なんかを引用して実しやかに喋るわりには原典を日本語訳されているものですら読んだ事ないな……。と。

これは、僕の言葉では無いなと。
これは、ある意味、詐欺だなと……。

そう、自分を激しく糾弾するところがモチベーションになってたりします。

知った上での発話には重みがあります。理解した上での言説には含蓄があります。

僕はオタクや、マニアといった人に最大限の敬意を払っています。所詮、学者もオタクやマニアの集合体でお金になるかどうかだけで序列がついているだけだと思っているからです。

そして、僕は儒学に対しては素人も素人。ど素人であると自覚したので、のんびりと学び始めました。

朱子学と陽明学というのはセットで考えると、とても都合が良く正当化できます。知らない事を知ったので、とりあえず学び始めよう。この行動に重きを置く部分は陽明学を規範に、そして、古典そのものに敬意を払いながら体系立てて理解していく作業は朱子学を規範に。そうしていくことで、たどり着く境地、狂気かもしれないを見にいく。

これは、今後の人生における行動の規範にしておくのにはとても有意義であると思ったからです。

torchという活動自体にも同じような側面があります。やってみないと分からない事を、ドンドンやってみて知見や経験を得る。そして、それを新たな賛同者に還元していく。

ある種、オタクやマニアの集合体が、新たな知的好奇心を得るために邁進していく。

その結果、社会に対する最大の還元をしていく。子どもたちに何かを遺し、伝えていく。

そうあれば良いのにと思ってたりします。まだまだ、大成には程遠いです。

でも、この一歩一歩の積み重ねがきっと、未来を紡ぐんだと信じているから、torchというコミニティを育てていきたいんだと感じています。

性即理、心即理。どちらも必要な事です。この2つを心により古典に関する研究をしながら、複雑な現代社会を最新技術で紐解くようにありたいものです。

今回は、特に心情の吐露というよりかは、個人の決意としてのtorchの在り方のお話でした。

一緒にオタク街道爆進する仲間を募集しています。

貴方のその知見や経験や、頑張りはきっと将来も役に立ちます。

さぁ、一緒にワイワイ言いながら遊べる仲間と未来を作ろうじゃありませんか。そんな世界で育つ子どもたちが沢山いると、ちょっとはマシな世の中になるんじゃないかな🤔と思ってたりします。

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