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読書感想 カムイ伝一部

深海からこんばんは、うつぼでございます。

配信のお知らせ

こちらから、配信はご覧になれます。
2023年の9月13日に配信です。
アーカイブも残します。気になる方は是非ご視聴くださいね。


以下は、うつぼさんの読書感想文です。

本文

古今東西、色んな作品を読み漁っては感想を配信するなんて事をやっているわけです。誰かに調べてもらうとか、誰かの意見を拝借するとか、まとめサイトとかはどうも苦手なので、コツコツ読んではアウトプットするという地道な感じでやっています。

今回は、珍しく先にnoteが来るパターンです。今まで、朱子学や陽明学の話、「リヴァイアサン」、「大学と中庸」、「君主論」、「孟子」、現代だと「冒険の書」と思いつくままに読書して来ました。

カムイ伝も、友人のマサヤに勧められて読み始めたもので漫画?劇画?なんですが、中々に重たくて考えさせられる事が沢山ある内容でした。正に昭和の漫画と言う感じで現代のデジタルな作画やポップな感じはどこにもなく、常に闇夜を彷徨っているようなそんな錯覚すら覚える大傑作でした。

読んでみて自分の人生で見聞きした事や肌で感じた事から湧き出る様々な感想を得たので、それを書いてみようと思います。

身分制度があるということは、統治においてとても都合が良い

士農工商、百姓、そして、その下に置かれた非人という立場があることの意味。これをすごく考えさせられました。近代でもカースト制度がそれに似てるんでしょう。お互いに未だに色濃く文化に刻み込まれている楔ですよね……。

本来的に職業に貴賎はないはずなんだけど、忌避される職業が存在するのは事実です。それに対して平等だ自由だみたいな事を叫ぶつもりは毛頭ありません。そういうのはやりたい人にやっていただきましょう。

血塗れになるもの、倫理的にキツいもの、汚物処理をする、ゴミを始末する、拷問する、処刑する。想像するだけでシンドイような仕事は必要悪です。その必要性がゆえ己の手を汚さぬように位だとか、地位だとか、職業的な上下が自然と出来てしまったのだと考えます。逆にそういう押し込め方をしないと自分の手からは離れないし、そこを被差別的にすることで、どうしようもない層を創り出し、そこから切り離された生活を保証したかったのだと考えます。

 時代背景的にも、人を間引くということを公然とやっていました。姥捨山や、水子供養も中々にパンチの効いた部分ですよね。それは本質的に飢餓と闘うための防衛装置で人間が人間を間引くという行為自体は今も変わらず続いています。ただ、それが見えにくくなっただけです。直接手を下さないだけで、機械やら、薬やらで健康体から病巣を切り離すために人類は躍起になっているようにも見えますし、リバイアサン=国家とは、そのように動くものなのでしょう。詳しくは分かってないけどね……。

そして、身分制度はとても都合が良い。武士は本来的に支配する層ではなかったはずですが、何だかんだで支配する層として君臨していました。ノブレスオブリージュってのが貴族の中にあります。尊き人の嗜みみたいなものです。それを日本流にいうと「武士道」だと思っています。深い精神性みたいなものが、「武士道」にはあるので単純に比較は出来ませんが……。武士を愚弄すると暗黙的にぶった斬られるリスクというのが、武士を武士たらしめていたのでしょう。勿論、精緻な統治システムがあるので、詳細は専門家に解説をお任せしますけど、何だかんだで分かりやすく支配する人なんだと理解しています。

そうなるとやはり自分を守りたい

ランクがあると上に行きたい

上に行くためには出し抜きたい

出し抜くためには脱法、違法も問わない

という構造になっていき腐敗が進むんだろうなと考えます。

そこを正すには、まさに正論が必要なんです。だがしかし、正論が正論でありすぎると誰もそこまでやるのは「いい塩梅」、「良い加減」ではないので、歪を求めるのが日本人的な解釈の仕方なんだなと思います。

かくいう、僕も日本人なので理不尽に耐えるということを学校で教え込まれて今に至るわけです。ただ、僕がラッキーなのは国外に出るタイミングが沢山あったので、理不尽は起こりうるけど、基本、理不尽には「闘うべき」で「抗うべきではない」という持論を持つ人に少なくとも話ができた事です。

理不尽に耐えることは日本社会においての必須スキルなのは今も昔も変わらないのでしょう。大企業づとめしているサラリーマン諸氏には100%の必修スキルでしょう。

でも、彼らは皆、歪さに気付いている。

その濁流に「抗いながら生きている」わけではなく、少しでも飛び火しないようにそっとそっと「寄り添って」いるだけなのかもしれませんね。

正論は強い、でも利用されやすい

真っ直ぐな人たちを説得するのに、正論はとても向いています。だって、正論なわけなので。しかしながら、多くの場合正論には痛みを伴います。それが正論の「通じない」理由であって、裏を返せば既存のシステムから得られる既得権益への反駁に聞こえるのでしょう。だから、「目の上のたんこぶ」やら何やら言われ都合が良くないので潰しにかかります。その理由はあまりにも明白で、「保身」です。誰しも自分は可愛いので、可愛い自分を傷つけたり家族に影響があるものをかなぐり捨てて何か新しいことをしたいとは思わないものなんでしょう。

ある種、ここが哲学的では無いのだと思っていたりします。

哲学が何たるかは僕もよくわかっていません。色んな思想を読み耽って日々、自分の練度を上げていこうと試みてはいますが、「哲学は何か?」という問いに答えられるほど、哲学が何かは分かっていません。ただ、今のレベルの僕で言えることは、「真実に近づこうと一心不乱に考えた結果の言葉たち」なのだと思います。この定義を正とするならば、ここでの哲学的では無いというのは、真実から目を背ける事なのでしょう。

なんせ、そういう話がたくさん出てきます。貧困から抜け出すために、飢饉への備えをする。そのために綿を作り、堤防を作り、必死にやっていくわけなんですが、その中で幾多の無理難題に対峙していく中、この終わりそうにもない禅問答的命題が顔を出しては登場人物たちを苦しめます。

その度に正論で乗り切ろうとするもの
漁夫の利を得ようとするもの
搾取しようとするもの

いつの時代も変わらないこの構造で溢れ倒しています。

個人的には正論が報われる世界であってほしいとは思いますが、世論は正論よりも「より分かりやすくて、意味のないもの」をチヤホヤします。一見、良さそうに見えるけどよく考えると自分の得にはならないものたちです。

正論でぶつかって、どえらい目に遭うというのがあ第一部の結末ではありますが、どうしてもそれと現代社会を照らし合わせてしまい、何とも言えない複雑な気持ちになってしまいます。

現実問題として、どこまでが事実で、どこまでが嘘かの線引きはとても難しくなってきています。妄信的に信じていると、どえらいしっぺ返しを食う世の中なのかもしれません。世知辛いです。そして、残念なことに全ての真実を知ったから幸せであるとは言えません。真理の先には絶望しかないのかもしれません。が、しかし、やはり探究する中で自分の立ち位置をしっかり定めるというのはとても大事なんだと思いました。

現代社会において、自分がどの立ち位置にいるかは不動ではありません。それは、とても流動的で明日は違う立ち位置にもなり得ます。

搾取する側の理屈
搾取される側の理屈
達観した人の理屈
無理矢理そこをこじ開けようとする人の理屈

まだまだあるとは思いますが、この全てを凌駕したところに「自分」というものは存在していると考えています。ここでいう、「自分」は「人間」と言い換えても良いかもしれません。だからこそ、正論に触れ学ぶことの大事さは確かにあるんだなと感じています。一つの尺度になりますからね。

どう使えるか?そこから何を生み出すべきか?は捉え手の自由です。自由を謳歌したいと思っているならば、知らない世界の事情を少しでも理解しようと努めることが、自由の獲得への近道なのではないか?そう思っています。

自由は狂気

自由であることは、狂気に近い何かかもしれません。自然とそれが出来る人もいますが、多くの人は「自由とは何か?」というのが、「自覚している枠の中で、束縛されていないように思う瞬間」だけを指していることが多いからなのかもしれませんね。

それで自由を感じて、当人が幸せならそれで良いんだと思います。それは諦めでも何もなくて「求めたものがそれ」なので、という至極簡単な理屈です。

しかしながら、本質的な自由は狂気だと思っています。カムイ伝の中では終始、狂人が出てきます。文字通り狂ってしまった人で、許容出来る悲しさを超えてしまい、狂人と化しました。彼の存在は暗喩的に、「自由が狂気であること」を示しているような気がしてなりませんでした。

束縛がないということは、選択を放棄することも、選択することも無いわけなので、自然の中に身を任せているだけということに他なりません。

本来は、それが一番人間らしく、正しい姿なんだと思います。自分の定義を迫られる現代社会では誰しも悩み、誰しもその支配構造から飛び出そうと気持ちでは思っています。実際は逆で、殆どの人がそうできずに悶々と生きているからなのかもしれませんね。

ストレスが無いというのは、「選択しない」ということでもあります。自然と選択をしながら生きているのが僕たちではあるのでそれを放棄してしまう事が本質的な自由で、そしてそれを体現するには気が触れたフリをするしかない。そして、「自由」を得たフリをしながら虎視眈々と「自由でない理想郷」すなわち、望むべき「枠」を求めているのでしょう。

最後に

こういう話の配信を作ろうと友人と画策中です。笹塚BASE様とのコラボ配信になります。放談するだけなので、興味ない人は全くかもしれませんが……。それでも、一人でも多くの方の耳に触れる企画になれば良いのになぁと思っています。この放談の模様は最初のリンクから見て頂けます。ご視聴賜れば幸いです。

フォローお待ちしております。また、お堅い話でお目にかかります!

よくぞ、取り止めもない話をここまでお付き合いくださいました。感謝申し上げます!



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