Y医師のストックホルムの街角から~特別編 一生の宝物
今回はどの枠で記事を書こうかさんざん悩んだのですが、結局この枠で記事にすることにしました。その代わり、自分語りばかりなので「特別編」ということにしました。北欧文化に触れたかった皆様には申し訳ないのですが……。
舞い込んだ宝物
この間、この記事で私が気象予報士試験に合格したことを報告しました。
これを読んだY医師=Yちゃんから、一通のメールが届きました。
ハッとさせられました。
何の変哲もない日常の風景を、夢を叶えた自分が見ると、まるで違って見える。
何の変哲もないいつものことが、夢を叶えた自分が振り返ると、幸運だったと思える。
「同じ事象でも幸せに見える、自ら幸せを感じにいく」などというのは、この何年、十何年の自分には考えられないことでした。
それをYちゃんは気づかせてくれた。目の前がパッと明るくなるのを感じるようでした。
本気で泣きました。
28年もの間、離れ離れになっていて、連絡も取りあっていなかったのに、私の言葉に真摯に耳を傾けてくれ、私の身に起きた──しかもそれは私自身に原因がある──ことをこれまた真摯に受け止めてくれました。
そのうえで。
「過去の呪縛からは解放されていいと思う」と。
おそらく過去の呪縛とは私が私自身に課した縛めであり、呪縛からの解放とは私が私自身を赦すことなのだと。赦せる自分になったではないかと。そう解釈したのでした。
本気で泣きながら、この人がいてくれてよかった、と思いました。そして時差に感謝しました。こんなメールを昼休みの職員休憩室で読んでいたら、軽い騒ぎになっていたはずです。サスペンダー姿の中年男性がテーブルに突っ伏して泣きじゃくっている、と。
そして自ら「Yちゃん」と署名してくるこの茶目っ気(本当に原文ママです)。
思わず惚れてまうやろーという古いギャグが口をついて出そうになりました。
皆さんも、友人は大切にしてください。Yちゃんは世界に一人しかいなくても、あなたにとってのYちゃんが意外なところにいるかもしれませんよ。
努力と報われ
今回二つ目のテーマは、以前よく題材とさせてもらっていた“白饅頭日誌”からです。先日、こんな記事が掲載されました。
きっかけは、「努力は必ず報われる。報われない努力は努力とは言わない。←この無敵論法辞めてほしい」(原文ママ)というポストです。こういう無敵論法がある(広まっている)ということ自体知りませんでした。
白饅頭氏は、
と、報われない努力などない、という方向から反対します。
かくいう私は、努力が報われないという経験をしたことがあまりないのもあって、少しモヤモヤしたものを感じていたので、思い切ってYちゃんにこのことをぶつけてみることにしました。
ときっぱりでした。
きっぱりなのですが、言われていることは納得がいきます。「結果でなくても、それで得られたのとで報われたと捉えることはできるから捉え方でなんとでもなるとも言える」と、白饅頭氏の意見を追認しているかのように見えるところもあれば、「報われの定義によるんだろうけど そんな話しなら
もう理論こねくりまわしてるだけだからあまり好きじゃない」と嫌悪感を示される部分もありました。
私はというと、「それが目標であるのか夢であるのかで話は違ってくる」というのが出発点であるように感じます。目標を掲げて努力をするけれど報われないことはあります。ただ、それというのは「目標設定を誤っていたから」というところに帰することができるわけで、「報われるように努力をする」ことが可能であると思われます。
一方で「夢」というのは大きく設定することがほとんどです。そこに手が届かないことをわかっていて「夢を語る」ことは多いかと思います。例えば「甲子園で優勝する」という夢を掲げて野球に打ち込む高校球児は多く、しかもそのほとんどが夢を叶えることができずに引退していきます。
夢が叶わなかったからといって、努力が報われなかったことを悔やむ球児ばかりでしょうか? もちろん、強豪校で優勝の近くにいる球児は、相当悔しい思いをするでしょうが、ほとんどの球児は夢が叶うことがないことを知っていて野球に打ち込みます。それは、夢に向かって努力することで得られるものがあるからではないか、と思います。
そして実際、夢を叶えられなかった球児が何代も重なっても、次の世代の球児に「そんな叶わない夢を追うのなんかやめて、現実を見ろ」と言わないのは、夢に向かって努力をする過程こそが尊いと感じるからではないでしょうか?
ですから、「報われはしなくても得られるものがある。だから努力する」という答えが見出せそうです。「それが報われである」と言ってしまうのがよければ、そう言い換えてもいいでしょう。
そしてもう一つ、私たちは失敗を繰り返して成長するものだと思っています。失敗したそのときは努力は報われていません。しかし、ただ漫然と失敗し続けるのではなく、失敗と改善を繰り返して、目標にたどり着くことがある、というかそれが成功への常道であると思います。報われるかどうかわからない努力を積み重ねられる人こそ、成功にたどり着けるのではないか、と思います。
そして、努力が報われないかもしれないからという理由で努力をしないという選択こそ、何も生まないのではないか、そう思います。前に進もうと思ったらまず努力をすべきなのです。
最後にスウェーデンの社会について触れておきましょう。
これは実際に日本とスウェーデンの両方の社会で働いたことがある医師の実感です。
日本も、努力次第で何とでもなる社会になっていけばいいと思いますし、高齢化と人手不足が深刻さを増しているこれからの社会では、失敗・挫折した人を安直に切り捨ててしまうのではなくて、上手に拾える人が、成功を収められるのではないかと思っています。失敗を恐れず、まず努力して前に進める、それができる人には、これからチャンスがたくさんあると言えるのではないかと思っています。
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