まあ私もよく知らないんですけど。
どうでもよくないですか、ゆたぼん。
アンチもアンチなんですけど、そのアンチに対しての反論の結びが「クソダサい」とか。
ほら、こうやって騒げば騒ぐほど、目立ちたい人が出てきて、自分の運営するスクールの生徒さんから集めたお金を提供する。「成長とチャレンジを楽しみ」にしてるのに、他人のお金で支援するとか、ちょっと私には意味がわかりません。
こういうのを昔から「思う壺」って言うんじゃなかったでしたっけ?
いくらアンチから中傷にあたる言葉を投げつけられてもですね、「アンチは本当に日本語が不自由」とか、「ここまで会話が成立しないと確かに動物としか思えませんね。逆にお手のできる動物の方が利口かもしれません」とか、逆にアンチに対する中傷にあたる言葉を投げつけ返すのって、アンチと同じレベルに降りて戦ってしまっているわけですね。私なんかは「どっちもどっち」という感想しか抱かないですし、そういう人は多いんじゃないですか?
これは昨年の4月という古い記事なのですけれど。このシバターさん、めちゃくちゃ素晴らしいことを言っておられるように、私には思います。
素晴らしいというか、実に的確に核心を突いておられると思う。外野の人間は無責任でいられるから、ゆたぼんに甘い言葉をかけられる。だからゆたぼんが大成しなかったら、「期待外れ」で済ませられるし、「自業自得だよね」と振り返るだけで終わってしまう。
アンチと呼ばれる人たちは、ゆたぼんに関心があるから、苦言を呈するわけで、まだ「普通の13歳」に戻れる余地があると思うから耳障りなことを言うのですね。普通の13歳なら身につけているべきことを身につけていないと思うから、「ほら見たことか」と批判するわけです。
ゆたぼんにとって、最も恐ろしいことは、誰からも関心を持たれなくなることなのですね。ただの人になってしまえば、そこに身につけるべき教養を身につけていない子供(ただし年齢だけは重ねている)だけが残るわけです。学校行っておけばよかったなと思っても既に手遅れになっている子供が。
アンチの存在は、ゆたぼんに話題性を持たせているわけですね。バトルが発生すればネットニュースになる。ところがアンチが手を引けば、話題にのぼらず、いつの間にか存在が薄れ、消えてしまう。
そして、必ず「コイツにはもう何を言っても無駄だわ」とゆたぼんのことを諦める人が出てくると、そう思います。そのときどうするか、まあゆたぼんとそのお父さんは考えておいたほうがいいんじゃないですかね。
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