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訃報■新改訳聖書翻訳者『NGO、地に平和』太田道子さん、天国に旅立つ。彼女の遺言は?

おおた・みちこ 聖書学者。1月2日、急性骨髄性白血病のため都内の病院で逝去。91歳。東京都出身。葬儀は関係者で行われた。
1932年生まれ。東京女子大学、ルーテル神学大学院(アメリカ)、ヘブライ大学(イスラエル)、教皇庁立聖書学研究所(ローマ)、超教派高等神学研究所(エルサレム)を経て、『聖書 新共同訳』の最終編集委員として刊行のために寄与した。古代オリエント史・旧約聖書学専攻。
1995年、パレスチナの女性らを支援するNGO「地に平和」を創設し、パレスチナ民生援助活動を展開した。その後、古代オリエント史と聖書の社会学的読解、核・原発反対の思想を学ぶ「人権=平和」勉強会を全国で開催した。
 著書に『ドキュメント中東救援』(岩波書店)、『新しい創造 聖書を読むために』(聖公会出版)、『聖書と現代社会 太田道子と佐藤研を囲んで』(NGO「地に平和」編、新教出版社)など。

【訃報】 太田道子さん(聖書学者) - クリプレ (christianpress.jp)

 私は、高知の江ノ口カソリック教会で、太田道子さんの講義を受けた経験がある。30年以上前の話しだ。新改訳聖書の翻訳者であり、聖書学者だとのことだった。印象的だったのは、ユダヤ教徒はイスラエル同胞や同盟者に対しての倫理観は強く持っているが、「敵を愛しなさい」というキリストの教えにまでは到達できていないという比較宗教。「敵を愛しなさい」というのは、それほど、世界をワールドシフトさせる倫理観のポイントなのだと悟らされた。

 太田道子さんは、プロテスタントの聖書学者として、カソリックの総本山である男ばかりの聖書学者のコミニティに招き入れられた経験を持つ。その開かずの門を叩いた時、その場で対応した神父は、「なぜ、あなたがここにいるのですか?」という受け止めで、それほど稀有な出来事だったのだそうだ。歴史上、最初である、女人禁制のカソリック聖書学者のコミニティの場へ招き入れられたこの経験は、聖書学者として優れた資格を持つ存在としての信頼なしには実現しない。神の計らいなしには開かれない門だったのだ。その後、帰国してすぐ、彼女は、新改訳聖書の翻訳作業へと招かれている。創造主が生きて働いているからこそ、彼女の人生の導きは、形成されて行ったのだろうと推察する。

 NGO「地に平和」のリーダーとして、パレスチナ人とイスラエル人との和解、この平和の構築の働きをしているとのことだった。彼女は、この地に平和が訪れない限り、世界に平和は決して実現しないと固く信じているようだった。それほど、人類の紛争の象徴的な歴史を学ばされる場でもあり、人類の波動を正すことができる拠点なのだ。

 そして、カソリック教徒の皆様が、彼女に、カソリック教会の停滞、低迷について、相談していた。彼女は、一般社会との交流の乏しさに問題の所在があると話していた。信者が、社会にどんどん入って行って、信仰の証しを積み重ねないと、何も神様の臨在の出来事は起こらないと信じているようだった。

 日本キリスト教団の伝道所である横浜、寿町の信者さんは、太田道子さんを講演に呼んだ経験を持つようだ。日雇い労務者の三大寄せ場、東京「山谷」大阪「釜ヶ崎」横浜「寿町」 。ここで、日曜ごとに礼拝を守り、聖書を読み直しながら、日本における「解放の神学」の可能性を模索しているとのことだ。カソリック神学から誕生した「解放の神学」は、貧困にあえぐ南米の社会に一石を投じた神父さんたちの活動として、今も受け継がれている。当然、社会体制、そのエリアで力を持っている政治や経済のリーダーとぶつかる場面が多い。そのため、神による解放を信じる神父様たちが殺されたり、拉致されたり、数々の被害が歴史に刻まれている。それほど、地に平和をもたらす平和活動は、過酷な現実と直面するのだ。南米の枢機卿だった当時のフランシスコ法皇の伝記を読むと、地域リーダーとの分離は教会組織そのものへの破壊につながるので、地域の重鎮たちを非難することもできず、かといって、不当に扱われている神父たちを守らなければならないとの葛藤の中、解放の神学を信奉する信者たちから、「なぜ、もっと積極的に被害を受けている神父たちの救済に踏み込まないのか」との非難ごうごうが、フランシスコ教皇に浴びせかけられている実態が描かれていた。どちらに着くこともできな分離のない世界は、紛争の現場の選択では非常に難しいのだと感じた。その中で、フランシス教皇は、光を見出し、できることをこつこつやっていたことも事実なのだ。ここには、有名なニーバーの平和の祈りがあったのだろう。
「神よ、変えることのできないものを静穏に受け入れる力を与えてください。
変えるべきものを変える勇気を、
そして、変えられないものと変えるべきものを区別する賢さを与えてください。

一日一日を生き、
この時をつねに喜びをもって受け入れ、
困難は平穏への道として受け入れさせてください。

これまでの私の考え方を捨て、
イエス・キリストがされたように、
この罪深い世界をそのままに受け入れさせてください。

あなたのご計画にこの身を委ねれば、あなたが全てを正しくされることを信じています。
そして、この人生が小さくとも幸福なものとなり、天国のあなたのもとで永遠の幸福を得ると知っています。

アーメン                       」

 日本に、マリアの騎士団の雑誌活動を残したコルベ神父は、第二次世界大戦当時、祖国ポーランドの収容所において、隣人のために命を捧げ、餓死刑を言い渡された妻子ある父親の身代わりとなって亡くなっている。彼が祈り続けていたのは、収容所の人々の解放であったことは間違いない。彼は、「私にはかけがえのない妻子があり、ここで殺されるわけにはいかない」と訴えた男性の声に応答して、「私には、妻子はいません。私を彼の身代わりにしてください」と一歩前に踏み出し、ドイツ兵に受け入れさせている。その後、この男性は、命を救われ、妻子の元に帰還して、この事実を語り継いでいる。「敵を愛し、隣人を愛しなさい」というイエスの言葉と教えに忠実に従った人生であった。コルベ神父は、イエスの弟子として、その人生の歴史を刻み、天国に迎え入れられ、栄光の座にいることだろう。彼の実践には、人類への光が灯されている。

 太田道子さんは、道のないところに、道を開く特技を持っていたようだ。パレスチナ難民の生活物資を運ぶことは、イスラエルの関門を潜り抜ける必要がある。何故か、それを実現している。ここでも神がお望みの事に忠実であるならば、道を開くことができるという証しが刻まれ、この特殊能力が発揮されている。対立したり、敵対しないで、支援の道を開いているのだ。魂のあり様が「地に平和」を実現するために、最も重要なカギなのだろう、敵を愛し、敵を裁かないという信仰は、闇に光の道を開くのだろう。

 放送大学の「生命倫理の源流」という課題科目で学んだのだと記憶しているが、聖書の「殺してはならない」という単語には、特殊な助動詞が使われているのだそうだ。つまり、「MUSTのねばならない、さもなくば、神が裁かれる。」という助動詞ではなく、神は、イスラエル人に対して、「君は、殺したりはしないよね」という特殊なヘブル語の助動詞が使われているのだそうだ。つまり、神がイスラエル人への信頼の元で、律法(トーラー)を渡しているということだ。これは、MARTHさんが主張している、分かたれ、分離のない世界観、共同体とし、一体としての神秘的なつながりを意味する。「敵をも愛しなさい」というイエスの律法に通じる思想なのだ。イスラエルの神とイエスの父とは、同一の存在であり、父、子、聖霊の三位一体の神が、創造主なる存在なのだとキリスト教徒が信じているように、創造主の律法(トーラー)は、聖書神学によって、正しく、伝えられる必要がある。その原書から聖書が理解されたならば、神のお望みの事が正されて行くのだと確信する。聖書解釈や神学は、あくまで、人間の解釈であるから多種多様な解釈が存在する。ちょっとした助動詞の理解を失っているがために、同法を殺した者たちには、裁きを加えても、神がお許しになると今のイスラエル政府は信じ込んでいるようだ。このため、パレスチナ問題の解決が遠のいており、同時に、イスラエルの平和が遠のいている。創造主を信じる一神教の民が、創造主が、我々に求めていることを正しく理解できたならば、和解の扉が開かれる。神がお望みの事に忠実な信者がこれを実現することができる鍵を渡されているのだと思う。
 太田道子さんの歩みは、神と共にあった。彼女が天国に召された後、「地に平和」を引き継ぐ人がいるのだろうか?今、イスラエルとパレスチナの間の紛争が長引けば、長引くほどに、地球全体にこの紛争の火種が飛び火する。その結果は、ハルマゲドンにまで至るのだろうか?それとも、新しい平和の文明へのワールドシフトをさせることができる覚醒者たちが、東経135度の地に、平和のための天にまで届く生きた人柱を建て上げることが実現するのだろうか? 歴史の本物の主役は、神であり、神と共に、神の律法(トーラー)を生き様で表す証し人なのだ。聖書の使徒行伝は、今も歴史の中で書き綴られている。歴史こそが、聖なる書物なのだ。神の言葉に忠実であった人々は、人類史に刻まれている。これらは、神の書物、アカシックレコードに書き記されているのだ。同時に、神の律法に背いた歴史も同様に刻まれており、最期の審判の時に裁かれる。
 人は、生まれながらに何らかの使命を授けられている存在だ。賜物(タラント)を授けられている。この神からの使命に忠実であるならば、飢えることはない。例え、世界情勢が恐ろしい形相を見せたとしても、神の国が我々を取り囲むのだ。これを信じている人たちは幸いだ。神が共にいてくださり、光の道を見せてくれるからだ。
 イスラエル人の人質の皆様の帰還を家族は待ち望んでいる。これを実現できるのは、「敵を愛しなさい」という律法に従った時だと思う。年老いた母親をハマスに焼き殺された男性は、この憎しみの連鎖を終わらせるために、許す道を選択した。彼のこの選択が、その後の、イスラエル人の人質の解放につながっているのだと思う。光の道とはそのように、目に見えないリアル現実の中に、僭称世界にあるのだと信じる。

 「君は殺したりしないよね」とハマスの兵士に対しても、イスラエルの兵士に対しても、神は呼びかけ続けているのだと思う。この呼びかけの声に目覚めた人々は、その生き様を変え、幸福の道を選び取っている。ハマスの女性たちが解放された時の映像を見て、なんて、悲惨な魂の状況なのでしょうと思わず、彼女たちの魂の解放のために祈った。ずっと、憎しみを秘め、その中でしか生きられない人生は、どれほど苦痛に満ちた時を刻んでいることだろうと気の毒でならない。彼女たちが、解放されてこそ、その子ども達も解放される。ハマスの生き様の解放、イスラエル政府とイスラエル兵士の解放こそ、クリスチャンが強く祈るべき課題だと思う。彼らの心は、憎しみと憎悪によって、支配されている。この心の解放なしには、イスラエルの一般市民に、平和は訪れない。
 家族を人質にとられているイスラエル人の家族の記者会見が、日本外国人特派員協会で開かれたが、イスラエル政府による戦争による紛争解決を指示する家族と平和的解決を指示する家族とに意見が割れている。神がお望みの事はひとつ。分離ではなく、隣人共同体の仲間との倫理に立ち戻ることなのだと思う。それは、多大な被害を受けた人々には、苦しみもがく選択になることだろう。しかし、神がお望みの事に立ち返る以外に、愛する家族が解放される道はない。囚われの身の大切な家族は帰ってこないのだ。神は裁かれる。神だけが、裁くことができる権威を持っているのだ。神に信頼し、ご家族の解放を実現して欲しい。

 神が共にいてくださることを信じ、神に聴いてください。インマヌエルの神は、私たちを決して見捨てない。共にいて、どうすればよいかを導いてくれているのだと思う。
 太田道子さんは、パレスチナとイスラエルの平和を、天国で祈り続けている。私は、彼女の祈りに祈りを合せます。イスラエルの人質家族が解放される時まで、共に祈りを合せます。
            イエス・キリストの聖名によって、アーメン。
#今年学びたいこと
#敵を愛する
#SDGs3

横浜の寄せ場・寿町で、地域の問題との取り組みを通して
みずからが変えられることを目ざし、
日曜ごとに礼拝を守り、聖書を読み直しながら
日本における「解放の神学」の可能性を模索しています。

旧約聖書学者「太田道子」1月2日死去91歳。4日間の集中講義に感謝!パレスチナ「現金輸送運び屋」 | イエスと釈尊と道元和尚を考え続ける。日本人と日本歴史と日本語とを学ぶ。 (ameblo.jp)

MACF礼拝説教要旨 2024年1月21日 「救いの創始者イエス」 ヘブライ人への手紙2章 10というのは、多くの子らを栄光へと導くために、彼らの救いの創始者を 数々の苦しみを通して完全な者とされたのは、万物の目標であり源である方に、 ふさわしいことであったからです。 11事実、人を聖なる者となさる方も、聖なる者とされる人たちも、 すべて一つの源から出ているのです。それで、イエスは彼らを兄弟と呼ぶことを恥としないで、 12「わたしは、あなたの名を わたしの兄弟たちに知らせ、 集会の中であなたを賛美します」と言い、 13また、「わたしは神に信頼します」と言い、更にまた、 「ここに、わたしと、 神がわたしに与えてくださった子らがいます」 と言われます。 14ところで、子らは血と肉を備えているので、イエスもまた同様に、 これらのものを備えられました。それは、死をつかさどる者、つまり悪魔を御自分の死によって 滅ぼし、 15死の恐怖のために一生涯、奴隷の状態にあった者たちを解放なさるためでした。 16確かに、イエスは天使たちを助けず、アブラハムの子孫を助けられるのです。 17それで、イエスは、神の御前において憐れみ深い、忠実な大祭司となって、 民の罪を償うために、すべての点で兄弟たちと同じようにならねばならなかったのです。 18事実、御自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることが おできになるのです。 **** ヘブライ人への手紙の著者はイエス様について1章でもいわゆる偉大な人物というより 神様から特別な使命を与えられた救い主、であり最終的な神様からのメッセンジャーという 形で紹介されていましたが、2章でもこのイエスという存在は「救いの創始者」なのだと教えています。 1)苦難を通過された救いの創始者 このお方は、人間が通過するあらゆる苦難を通過され、まさに私たちの痛みがわかる 存在として紹介されています。 18節には「事実、御自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを 助けることがおできになるのです。」とありますが、苦難を通過し試練を通過してくださった 救い主だからこそ、私たち人間に寄り添い、理解することができるということです。 2)わたしたちを兄弟と呼んでくださる救い主 11事実、人を聖なる者となさる方も、聖なる者とされる人たちも、 すべて一つの源から出ているのです。それで、イエスは彼らを兄弟と呼ぶことを恥としないで、 12「わたしは、あなたの名を わたしの兄弟たちに知らせ、 集会の中であなたを賛美します」と言い、 13また、「わたしは神に信頼します」と言い、更にまた、 「ここに、わたしと、 神がわたしに与えてくださった子らがいます」 と言われます。 イエス様は私たちの救い主なのですが、私たちのことを「弟、妹」として取り扱ってくださいます。 これは夢のような出来事ですが事実です。救い主は上から目線で偉そうに何かを命令する存在では ありません。むしろ、兄として寄り添ってくださるというのです。 3)私たちの現状:死の恐怖のために一生涯、奴隷の状態にあった者 私たちは不安と恐れの奴隷となっており、またさまざまな人間的な規則や戒めの奴隷に なっていました。自分の思い込みの奴隷になっていたかもしれません。 罪の奴隷でもありました。内側からの欲望の力には勝てず、立派になろう、正しく生きようと 思ってもなかなかそれが実行できない、むしろ奴隷のように引きづられてしまう存在でした。 4)大祭司イエス;仲保者イエス イエス様は私たちと父なる神様との間に和解を取り付け、死と罪の奴隷状態から解放し 神の家族の一員として生きられるように、私たちのための「執りなし手」となり 罪を償ってくださいました。 ヨハネ第一の手紙4章には 9神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが 生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。 10わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、 わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。 と書かれていて、私たちのための「償いの代価」あるいは「人間の悪を全て担う場所、 それ故に赦しの出来事」として十字架にかかってくださいました。 罪の支払う値である「死」をイエス様が通過し、復活されたことで「死と悪魔」を 滅ぼしたと言われるようになりました。死は悪魔の最大の武器だったからです。 イエス様を「死」の中に閉じ込めておくことができなかったので、悪魔の力は 破壊されてしまったのです。 ******* こんな詩があります 「神への告発」  関根一夫訳 神の御座の前に何万という人々が集まっていた。 その集団の前方の人々は怒りにも似た強い語調で叫び声をあげた。 「神が俺たちを裁く権利など本当にあるのか?神に俺たちの苦しみなどわかるものか。」 彼らはシャツをたくしあげ、ナチスの収容所で受けた傷と、入れ墨で書かれた囚人番号とを見せた。 「俺たちは、殴られたり、迫害されたり、虐待されたりして、死にいたる苦しみを受けてきた。」 別の集団の黒人が、襟を開いて、「これを見てくれ」と叫んだ。 黒人であるというだけでリンチにあい、縛り首にされたというロープの跡があった。 「俺たちは、奴隷として苦しみを受けてきた。愛する家族と離れ、死が安らぎをもたらすまで、 苦役に服さなければならなかった。」 広場には、地上で苦しみを味わった何百というグループが群がっていた。 そして、それぞれに神に対して「なぜ地上であんな苦しみにあわせたのか」と口々に責め立てていた。 「神なんて、楽なもんだよな。光と麗しさに満ちた天国に住んでてさ。」 「どこにも、涙も飢えも危険もありゃしない。」 「実際、神に地上の人間が受けている苦しみや痛みがわかるのだろうか。」 そこでそれらの集団は、それぞれに地上でもっとも苦しい経験をした人たちをリーダーに選んで 告発会議を開いた。そこにはユダヤ人、黒人、インドの最下層の人たち、広島、長崎の人たち、 そしてシベリヤの収容場に入れられた人などがリーダーとして選ばれてきた。彼らは告発会議を開き、 次のような結論に達した。 「決議文」 神が、我々人間に対する裁き主、主となるためには、神ご自身が人間の味わった苦しみを、 しかも最も厳しい苦しみさえも経験しなければならない。 具体的には ※神は人間として地上に住むべきだ。しかも、その全能の力を用いて自分を苦しみから守るような 事がないよう約束を取り付けるべきだ。 ※ユダヤ人として生まれるようにしよう。彼の誕生に疑いがかけられるような方法で生まれさせ、 誰が父親なのか世の人にわからないようにしよう。 ※彼を正義と真理のチャンピオンにして、世の人々のねたみや憎しみを受けさせ、 既成の宗教家たちからもののしられるようにしよう。 ※彼に人間が見たことも、聞いたこともないような事柄を教える立場を与え、神を人間に紹介する 役目を与えよう。 ※最愛の人から裏切られる経験をさせよう。 ※無実の罪で捕らえられるようにしむけ、しかも偏見に満ちた陪審員の前で臆病な裁判官によって 裁判を行わせよう。 ※ひとりぼっちで取り残され、人々にまったく、捨てられてしまうという辛さを味あわせよう。 ※拷問にかけよう。そして、殺されるように仕向けよう。しかも、最もつらく苦しい十字架刑で。 ・・・ リーダーたちの決定したこの告発決議文が読み上げられた時、そこにいた何万という人々の中から ざわめきと納得の声があがった。 しかし、ほんの数分後に沈黙が始まり、その静寂は長く続いた。 誰も声をあげず、誰も動こうともしなかった。 そこにいた、すべての人々が、はっきり気づいたのだ。 神が、すでにこの決議文を実行していたということを・・・。 ******* ペトロはこう書きました。 「この方は、罪を犯したことがなく、その口には偽りがなかった。ののしられてもののしり返さず、苦しめられても人を脅さず、正しくお裁きになる方にお任せになりました。そして、十字架にかかって、自らその身にわたしたちの罪を担ってくださいました。わたしたちが、罪に対して死んで、義によって生きるようになるためです。そのお受けになった傷によって、あなたがたはいやされました。」1ペトロ2:23-24 ******* 私たちの救いの創始者は、これら全ての苦難を通過なさいました。

#アンネの法則の山下安音です。私のライフワークは、平和学研究とピースメディア。VISGOのプロデューサーに就任により、完全成果報酬型の教育コンテンツと電子出版に、専念することになりました。udmyとVISGOへ動画教育コンテンで、世界を変える。SDGs3,4の実現に向けて一歩一歩