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「あなたのただ中に神はいます」

2022年12月11日(日)の日曜礼拝メッセージを公開します。聖書箇所は以下の3箇所です。

旧約聖書:ゼファニヤ書3章14〜18節
新約聖書:テサロニケの信徒への手紙一5章16〜24節
福音書:ルカによる福音書1章5〜25節

・先駆者っていうのは大変です
 皆さんは先駆者、草分けと聞いてどんな人を想像するでしょうか。例えば実業界だと松下幸之助や本田宗一郎、キリスト教の世界だと羽仁もと子、賀川豊彦、矢島揖子などを想像するかもしれません。今日の主日礼拝には「先駆者」という主題が付けられており、聖書朗読に登場したゼファニヤという預言者と洗礼者ヨハネという2人の人物を先駆者と見做しているようですから、この2人はどういった点で先駆者だったのかについて思い巡らしたいと思います。まず分かりやすいのは洗礼者ヨハネです。16節のところで天使から「彼はエリヤの霊と力で主に先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に正しい人の分別を持たせて、準備のできた民を主のために用意する」と言われています。
 洗礼者ヨハネは主イエスに先立ってこの世に生を受け働きました。でも先駆者の悲しいところは草分けであるがために風当たりが非常に強く、心を病んでしまったり権力者たちによって亡き者にされてしまう危険を常に身に纏って生きているということです。洗礼者ヨハネは領主ヘロデに捕えられて殺されてしまいます。しかしヨハネという先駆者がいたからこそ後から来る主イエスが働くための良い土壌が作られました。先立って歩む人がいたおかげで後から歩む人への風当たりが少し和らいだのです。私たちプロテスタントの教会では宗教改革者としてマルティン・ルターやジャン・カルヴァンという人物のことを知っていますが、彼らが始めた宗教改革にはウィクリフやフスという先駆者がいたことはいまや周知の事実となっています。彼らは洗礼者ヨハネのように非常に風当たりが強い生涯を送り、ウィクリフは遺体を火で焼かれ、フスは捕まって火あぶりの刑で殺されてしまいました。先駆者、草分けと聞くとカッコ良い響きですけどそういう実際を聞きますとなれないなと言いますか、自分の力だけでは絶対に成し遂げられないものであることを思わされます。聖書は洗礼者ヨハネにはエリヤの霊と力を与えられていたから先駆者としての道を歩み抜くことができたと記しています。困難を経験する時には私たちを超える力、目に見えない神の力が必要なのです。

・神の言葉は必ず誰かに届き、そこから芽吹く
 洗礼者ヨハネがイエスの先駆者として働いたことは分かりました。ではゼファリヤという預言者は一体誰の先駆者として働いたのでしょうか。結論を先に言いますと私は預言者エレミヤだと考えています。エレミヤもゼファニヤもヨシヤという王さまの時代に活動をしました。ゼファニヤの方は具体的にいつから活動を開始したのか分かりませんが、エレミヤの方はエレミヤ書の最初を読むとヨシヤの治世第13年であると書かれています。ヨシヤは8歳で即位しました。ですから実際は彼が大人になるまでは別の人たちが政治を司り、宮廷ではたくさんの教育係がヨシヤに政治や歴史、礼儀作用などを教えたはずです。おそらくその頃にゼファニヤは活動を開始します。彼は裁きを告げるという活動をしました。「わたしは地の面からすべてのものを一掃する、と主は言われる。」これがゼファニヤ書の最初に記された言葉です。宮廷にいる高官たちや神殿祭司たちには到底受け入れられない言葉であり、反発が大きく風当たりが強かったことが容易に想像できます。ゼファニヤ書はわずか3章ほどの短い書物ですから、もしかしたらすぐに殺されてしまう、もしくは都から遠い場所に幽閉されるなどして活動期間がとても短かったのかもしれません。
 それでもゼファニヤ書が現にこうして存在しているということは彼を預言者と認め、彼の語る神の言葉を保存する人たちが少しはいたということを立証しています。先週の礼拝で朗読されたイザヤ書55章11節にこのような言葉がありました。「わたしの口から出るわたしの言葉も むなしくは、わたしのもとに戻らない。」神の言葉が語られる以上、たとえ99人に受け入れられなくても最低1人には必ず届き、その1人から私たちの想像もつかない素晴らしいことが始まるのだということを思わされます。ゼファニヤを預言者と認め、彼の語る言葉を保存した人たちが子ども時代のヨシヤ王の教育に携わり、また成人してから彼の側近として仕えていたのでしょう。ヨシヤの治世第13年に預言者エレミヤが登場しゼファニヤと同じように裁きの預言を語ると、ヨシヤはエレミヤに反発することなく彼の語る言葉を受け入れて神の目に良い行いをしたと記されています。先駆者ゼファニヤの働きがあったからこそエレミヤの働きが実を結んだのです。

・神は決して見放さず、あなたの中にいる
 先駆者という主題をもとにゼファニヤとヨハネについて思い巡らせました。2人とも大変風当たりが強く、報われるか報われないかで言えば報われない人生を送りました。しかしそのような働きを全うできるように神はヨハネにはエリヤの霊と力を与えました。ではゼファニヤにはどのような力、どのような言葉を与えて彼を励まし、慰め、勇気づけたのでしょう。それが今日の朗読箇所です。「イスラエルの王なる主はお前の中におられる。お前はもはや、災いを恐れない。………お前の主なる神はお前のただ中におられ勇士であって勝利を与えられる。」ゼファニヤが先駆者として神のために働く時、どんなに大きな苦難を経験したとしても神は決してゼファニヤを見放さず彼のただ中にいて、苦難を乗り越える力を与えるという神の言葉です。
 神に従って生きるために大変な苦難を経験しながらも、先駆者たちは神の言葉、神の霊、神の力に助けられてその生涯を歩み抜きました。本人としては苦労が多く徒労感に満たされるような人生であったとしても、彼らは将来の世代のために無くてはならない働きをしたのです。
 私たちも時として自分が生きているときに実を結ぶ働きではなく、環境問題のこと、働き方のこと、ジェンダーのこと政治のことなど将来の世代のためにたとえ風当たりが強くても先駆者として生きることが求められることがあります。その時には大変な困難があり、耐え難い孤独を経験することもありますが、先駆者たちを支え助けた神の言葉、神の霊、神の力が私たちにも注がれていることを思い出したいと思います。先駆者として生きる時、神さまは私たちのただ中にいてくださり助けてくださいます。「イスラエルの王なる主はお前の中におられる。お前はもはや、災いを恐れない。………お前の主なる神はお前のただ中におられ勇士であって勝利を与えられる。」(ゼファニヤ書3章15〜17節)「娘シオンよ、喜び叫べ。イスラエルよ、歓呼の声をあげよ。娘エルサレムよ、心の底から喜び躍れ。」(3章14節)感謝の祈りを捧げ、賛美に満ちた礼拝を神に捧げましょう。

祈り
 私たちのただ中にいます神、イエスに倣って生きようとする時に経験するあらゆる困難や誘惑を乗り越える霊と力を与えてくださるとの約束に感謝します。どうかその力に助けられ、私たちの霊も魂も体も何一つ欠けたところのないものとして守られますように。イエス・キリストによって祈ります。アーメン

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