「ペン回しが上手いとは何か?」と、いま文化の転換点に立っているかもしれない話。
はじめに
こんにちは。はじめましての方は初めまして。肄'teza(イテザ)と申します。
軽く自己紹介させていただきますと、2017年から2020年まで日本ペン回し連盟という組織の代表をやってました。
現在この組織は活動を休止していて事実上の解散となっているので、今となってはただの年を取ったペン回しおじさんといったところです。
ペン回しからはこの1年離れていたのですが、最近また色んな思いを巡らせることが多く、メモがてらというか、これまでやってきたことや考えていたこと・これからのこととかを書き留めておこうと思ったので筆を取っている次第です。
議題は「ペン回しが上手いとは何か?」。
実力が物をいう「ペン回し」という文化・コミュニティにおいては、それをどう納得感のある形で評価・評定するかというのは、ペン回しコミュニティのトップを歩んでいた自分にとっては、自分なりに答えを出すべき課題だと思って取り組んでいた時期がありました。
その中で導き出した仮説と実践を、当時を振り返りながら書き記しつつ、今後のペン回しコミュニティの在り様に触れていきたいと思います。
ちょっと長いし難しいかもしれませんがなるべく分かりやすく書こうと思うので、せっかくなので最後まで読んでくれたらうれしいです。
本文に入る前に……。
「ペン回し」の専門用語やそれにまつわる文化・コミュニティの成り立ちの前提については省略します。基本的に既存ペンスピナー向けの記事です。
文章を読むのが難しい人は太字とその周辺だけ読んでみてください。
ご意見を符したい方はきちんと最後まで読んでくださいね。
「ペン回しが上手いとは何か?」を考えるにあたって
「ペン回しが上手いとは何か?」
ペン回しがインターネットの普及と同時に文化が花開き、成熟し、その後このコミュニティに属しているなら誰しも考えたことがある議題かな思います。(それは言い過ぎか?)
まあこの議題を抜きにしても、いつの時代も主観や感性で「あれが良いんだ」「これが素晴らしい」と語り合ってきたのはみなさんも身に覚えがあるんじゃないでしょうか。
その中で、CVや大会においては明確にペンスピナーの演技(FS)に優劣をつけ、時には点数化する必要を求められるシーンもありますよね。
じゃあ、その優劣を判断している「上手い」という指標を、主観や感性を極限まで排除して、論理的に判断し、評定するにはどうしたら良いのだろう?という問いが、この議題を考えるスタートになっています。
「何かを得る」ということ
まず自分が着目したのがペン回しは「技芸を身につける」物であるという点。
もっとざっくり言うと「力を得る」ともいえるでしょうか。
そして「得る」という行為には、能動的に「得る」場合と受動的に「得る」場合の2種類があって、能動的に「得る」場合には、たぶんほとんど何らかの対価を支払う必要があります。
ペン回しの「力」は「能動的に得る」ものですよね。
受動的に得る(=与えられる、もっと言うと突然インストールされてできるようになる)ものではないですから。
なので私は、我々ペンスピナーはみな、何らかの対価・リソースを用いてペン回しの技術を得ているのではないだろうか?という仮説を立てることにしました。
平等に有するリソースはなんだろう?
最終的に「ペン回しの上手さ」という評価をフラットに紐解く今回の目的のために、出発点には万人に共通する軸を設定する必要があります。
共通する何かを基準にして、それを元に評価の方法を考えよう、という流れですね。
ここではリソース(資源)にフォーカスしたいと思います。
では、「全てのペンスピナーが平等に有するリソース」。
これをペン回しの能力の源として、スタートに考えてみましょう。
みなさんは、何だと思いますか?
私は、この答えを時間と置くことにしました。
言い換えると、「我々は時間を対価にペン回しの力を得ている。」
あながち間違ってなさそう。
つまり、ただ何でもない「練習」とか「努力」とかってやつですかね。
まあその内のペン回しに充てられる可処分時間は部活動とか家庭環境とかに依るだろって声もありそうですが、そうじゃなくて、ここでは1日24時間という時間の尺度は平等に存在するもので万人に共通する指標だよね、という前提のもと進めていくことにします。
そして、この「時間」を使ってペン回しを練習し技術を磨く中で、どの方向性の練習に多く時間を費やしたかによって個々のスタイルにバラつきが発生していきます。
極端な例をあげると、大技ばかりを練習すれば迫力のあるパワースタイルになっていくし、RSVPばかりを回していれば芸術的なオールドスタイルになっていく……、みたいな話です。
この「バラつき」をどう均一に評価すればあらゆるペンスピナーが画一的な結論を出せるのか、というのがずっと難しいと思われていた訳ですが、単純にどういう割合・配分で個々が時間(努力)を割いてきたかに焦点を当てれば何となく客観的で納得感のある評定を行うことができそうです。
評価項目の均整化
「時間」を基準に、ペン回しの評価項目(審査項目)を考えていきましょう。
みなさんは、ペン回しの評価項目ってどんなものが思いつきますか?
例えば「難易度」とか、「滑らかさ」とか、「構成力」とか、「完成度」とか……、まあ割とたくさんあるような気がします。
しかしある時から、私はこれらの審査項目に違和感を覚えるようになりました。
それが、「なんか全部、尺度バラバラだよな」というもの。
例えば「構成力」は「構成の力」なので、見ている尺度は「力量」にあたりそうですね。
「難易度」とか「完成度」とかだと「度」だから「度合い」とか?
「滑らかさ」に関しては……、なんでしょう。もはや見た目の問題でしょうか?
という訳で、結局平等な基準として「時間」をスタートに考えはじめたのに、現状多く採用されている評価項目では見るべき要素の基準が揃っていないという問題がありました。
これに対するフラストレーションが爆発した私は「やってられるか!俺は尺度が同一の評価項目を定義させてもらう!!」となり、ある尺度に沿って評価項目を置くことにした訳です。
私はこの尺度に「性質」を用いることにしました。
性質というのはちょっと漠然としていて分かりにくいような気がしますが、逆を言えば多くの項目を包括する上位レイヤーの項目とも言えます。
そして、「時間」を用いて鍛錬し、それによって形成されたそのペンスピナーの「性質」を見るというのは理にかなっていそうです。
では次にこの「性質」を細分化していきます。
先程の通り「多くの項目を包括する上位レイヤー」に位置するので、見るべき性質の数は多くないです。
私はトッププレイヤーのFSの傾向や特徴を分析し、この性質を、「独自性」「独創性」「個性」の3つに分類することにしました。
独自性 - 時間を「トリック(技単体)の最大化」に充てており、結果それが強みとなっている。
独創性 - 時間を「コンボ(技の組み合わせ)の生産」に充てており、結果それが強みとなっている。
個性 - 時間を「基礎の反復」に充てており、結果それが強みとなっている。
(いやそれ全日本ペン回し選手権大会の審査項目やんけ~~~!とツッコミがありそうですが、詳細は後述。)
また注意事項として、現時点ではペン回しの主流である「改造ペンを用いた1P1Hスタイル」においてのみ成り立つと言えます。
それは他のスタイル(1P2Hや未改造ペン、スタンディングスタイルなど)においては分析するだけの十分なサンプルが存在しないからです。(これらにはこれらに適した評価方法があるかもしれません。)
加えて、1P1Hスタイルの人と他のスタイルの人を同じ基準で審査するには、それが公平に成り立つためのルール上の工夫が必要であることも言えます。
上で先に挙がっていたような項目はそれぞれの性質に内包されるような形になります。
私的には、これまでの審査項目は細分化しすぎていて、細かいところまで見ようとしすぎだったんじゃないか?という見立てになっています。
「ペン回しが上手いとは何か?」の回答"D理論"
では上記の3つ「性質」を用いた指標を基に、「ペン回しが上手いとは何か?」を定義していきます。
ひとまず「FSの評価」みたいな例は置いておき、それぞれの性質を持つ技に焦点を当ててみていくことにします。
時間経過と習得・反復する技の特徴から、以下のように「時間」を横軸に、「技の難しさ」を縦軸に置いたグラフを用意します。
また反復練習における技の熟練度の表記として、熟練度が高まるにつれて白から黒へのグラデーションで示すことも付け加えます。
ではこのグラフに、「技を習得した際に白い点を打つ」「技と技の組み合わせたら線で結ぶ」「反復を重ねる度に黒に近づく」ことを条件とし、それぞれの性質の特徴を説明していきます。
まずは「独自性」。
「独自性」においてはトリック単体が優れているかという性質になります。
雑な言い方をすれば、どれだけ難しい単体技ができるか、みたいな感じです。
なのでトリックひとつを取り出し、グラフに点を打ちます。
「優れた(難しい)トリックができる」という意味で、グラフの上の方に白い丸が現れます。
「独自性」の性質の特徴としては、このように「点」であることが分かります。
次に「独創性」。
「独創性」は優れたコンボを生み出すことができるかという性質になります。
なので、コンボを生み出した瞬間のトリック同士の2点を結んであげる形になります。
「独創性」の性質の特徴としては、このように「時間に対して垂直な線」であることが分かります。
最後に「個性」。
「個性」はその反復練習の積み重ねによって卓越した熟練度を持っているという性質になります。
これまた雑な言い方をすれば、何回同じ技を繰り返したか、みたいな感じです。
ここでもトリックひとつを取り出し、グラフに点を打っていきます。
「基礎技の反復」という意味で、低い位置に横に並んだ点が現れます。
「個性」の性質の特徴としては、このように「時間に対して平行な線」であることが分かります。
※またこの3つはあくまで「性質」を示しているのに過ぎず、これらそのものには優劣がないというのは注意しなければいけません。
そしてこれらはペンスピナーのそれぞれの人生の中で過ごした時間により様々な分布になり、時間経過と共にどんどん右へ右へ増えていきます。
大事なのは、ペンスピナーは時間に対して「点」「垂直」「平行」の3つの性質のどれかを色濃く好み、全て併せ持つということです。
そして、この「点」「垂直」「平行」の量と割合によってFSのスタイルと強度が決まり、これらの要素が「上手い」ことを裏打ちしていると言えます。
よって「ペン回しが上手い」の正体は「(特に高い位置の)点」「時間に対して垂直な線」「時間に対して平行な線」の数と割合となります。
以上です!みなさん読んでくれてありがとうございました!!!!
……という訳で答えは出せたのですが、「いや全然現実味なくて納得できないんだけど!?」という皆さんの今の気持ち、めちゃ分かります。
なぜなら上記理論はペン回しを評価する際に必ず発生する条件を完全に見逃しているからです。
では次に現実に我々ペン回しコミュニティの競争において、どういう事象が起こっているかを見ていきましょう。
また、上記の「時間と性質を元に上手さを評価する」ための理論を、ここでは人物的な「性質」を表す「disposition」という単語から取って"D理論"と置くことにします。
ペン回しの評価は相対性の中に存在する
Aさんの「ペン回しの能力」あるいは「そこからアウトプットされたFS」を、Xさんが評価するとします。
前提として、ペン回しの技にはそれぞれ固有の点数がついていたりしないので、絶対的に評価を行うことができないという暗黙の共通ルールがあります。
その上で、例えば、Aさんの演技の他にBさんの演技が存在するとします。
この際Xさんは、AさんとBさんの演技に順位をつけるにはどうしたらよいでしょうか?
簡単ですね。単純に両者の演技を比較すれば良いです。
(またここでは結論が出れば一旦OKとして、その比較の過程はひとまず考慮しないものとします。)
つまりここではAさんを評価するための別の基準としてBさんを利用しました。
では次に、AさんとBさんの他、Cさんも存在するとします。
この場合はどのように順位をつければ良いでしょうか?
これも同じように、三者の演技を比較し、優れている順に上から並べれば良いです。
では四者の場合は?五者の場合は?
どれだけ比較の母数が増えようと、全員を比較すればXさんはゴリ押しで順位をつけることができ、Aさんの評価を行うことが可能です。
つまりペン回しの評価は相対的に比較することで判断できるということが言えそうです。
だから前項の"D理論"で上手さの正体を定義してもピンと来なかった訳です。
自分と同時に、他の誰かも存在していないとあの3つの性質は指標として扱えないんですね。
では話を戻します。
Aさんひとりを評価する時、Xさんは何を「別の基準」にし、「相対的」に比較すればその演技の良し悪しを判断することができるでしょうか?
その答えは、Xさんの知識や経験、言わば彼がこれまで見てきたペン回し全て、になります。
それらと見比べて、「Aさんの演技は優れているか?」を判断します。
評価者Xさんが演技者Aさんを評価する時、それはあくまでXさんの知っているペン回しの情報を参照し、相対的にXさんなりの答えを導き出しているに過ぎません。
次にこの状況の中で、Xさんの視点に立ってみます。
XさんはAさんの演技を見て、Xさんなりに評価を行いました。
評価基準はXさんの内側にしかなく、完全に主観で、Xさん視点では絶対的な評価を行ったと言うことができます。
つまりこの時、漠然と他者のFSを評価する際には、評価者の視点(主観)による絶対的な評価と、評価者の持ち合わせている情報を参照した相対的な評価が混在している、と言える訳です。
こう考えると、ペン回しに対する絶対的な評価と、相対的な評価というのは結構複雑に関わりあっていそうな予感がします。
なので、ペン回しの大会にフォーカスしてもう少し深掘っていってみることにしましょう。
絶対的な指標として「審査項目」が存在する
では例えば、オンラインでペン回しの大会を実施し、300人のペンスピナーがエントリーしました。
この300人のFSをそれぞれ評価行い、順位をつけるとします。
前項の例で言えば、300人のペンスピナーを全員比較すれば順位をつけることが可能ですが、全パターンの比較検討をいちいち全て行っていたらとんでもない労力が掛かってしまいます。
実力に差があるならまだしも、仮に全員拮抗していたら大変です。
そこで揺るがない絶対的な指標として「審査項目」を置き、これに基づいて点数化を行うことで「結果的に順位をつけることができる」仕組みを多くの場合で利用しています。
これは、比較のプロセスを過程ではなく結果に置くことによってかなりの労力を削減できる手法、と言えます。
これだけ聞くとなんだか合理的な評価方法に見えますが、評定を下す上で最も重要な「比較」のタイミングが一番最後に来るため問題もあります。
そしてその問題は、主に以下の2つだと私は考えました。
①ペン回しを評定する上で、審査項目が適したものになっているか
評定の過程は全てこの審査項目に委ねられることになります。
(審査は絶対だし如何なる結果も受け入れるのスポーツマンシップであるものの)大会の質を担保するにはこの「審査項目」がどのような物であれば本当に適しているかということを考え抜く必要があります。
逆に、審査項目がトンチンカンだと評定結果の説得力もなくなってしまう……、と言えます。
②点数化の過程はルール化されていない
説明の為、またAさんとXさんに登場してもらいましょう。
XさんはAさんのFSを見て、審査項目Nについて点数化を行います。
この際、前項の例に従い2パターンの点数化プロセスを考えることができます。
Xさんの主観で絶対的に点数化を行う。
Aさんと他の参加者のFSを比較し、そこでの優劣のもとに相対的に点数化を行う。
では、Xさんは1.と2.はどちらを用いて点数化を行うでしょうか?
その答えは分かりません。
なぜなら多くの場合それはルール化されておらず、評価者(審査員)に過程を委ねられており、目的は点数化することのみとなっているからです。
では、これの何が問題なのか?
それは、多くの大会では審査員が複数人存在することです。
つまり、どのように点数化を行うかは審査員によって違うという訳です。
極端な話をすると、場合によっては、Xさんは点数の優劣に破綻がないように参加者同士のFSを入念に比較しながら評定を行っていた傍らで、Yさんはパッと見の印象だけで乱雑に評定を行っていたかもしれません。
要するに、今の大会の審査は属人性があまりにも高く、総合結果に差が生じる可能性も上がり、現行多くの場合においてこれは「良いシステム」とは言えないということです。
"D理論"における個々人のあのグラフにおいて算出されるバロメーターとそこからアウトプットしているFSが同一にも関わらず、審査員によって結果が左右されるのはおかしいのでは?というのが私の主張になります。(それが面白いんじゃないか!と言う人も居るかもしれない。まあ気持ちは分かる。)
ペン回しの評定方法は実は4種類に分けられる
ここまでの話を整理しながら、属人的じゃない評定の仕組みづくりを考えていきます。
実は地味にここまで「評価」と「評定」を使い分けてきていたのですが、「評定」というのは点数化したり順位付けしたり定量的な指標でジャッジすることを指しています。
つまり大会における審査と言っても良いでしょう。
逆に「評価」は漠然と優劣をつけたり良いと思ったり、定性的なジャッジのことです。
で、ここでは評定方法について語りたいので、つまり大会審査のシステムの話をするよ、という感じです。
まずこれまでに「絶対的」「相対的」というワードが度々登場して、ちょっと話が複雑になってきました。
もしかしたら理解しにくかったかもしれないですが、それもそのはずで、この「絶対的」「相対的」という言葉は以下の2つの要素に係っていました。
過程における、情報の参照元
結果における、順位の確定方法
「つまりどういうことやねん」って感じかもしれませんが、重要なのは複数人のFSを評価し評定する際には、過程と結果の二段階において「絶対的」「相対的」な手段がそれぞれ存在するということです。
つまり、過程で2種類、結果で2種類、その組み合わせでペン回しには計4種類の評定方法が存在することが分かります。
それぞれの特性を簡単に紹介します。
①絶対絶対評定 - 審査員の中にある情報を参照し、点数化を行いその結果によって順位を確定する
現行のほとんどの大会がこれに当たる。
課題点は前項で述べたように、属人性が高く、過程・結果それぞれに審査員個人による影響が色濃く反映されること。
属人性が高くなっても問題がない・逆に高くしたいなどそういう趣旨の大会であれば問題ない。
ただし大規模な公式大会では結果の再現性が求められるので採用すべきではない。
また属人性が高くなった結果として、出場者が審査員の思想や好みに合わせてFSを組むという逆転現象が起こり、大会の主体が出場者ではなく審査員になってしまう可能性がある。
②絶対相対評定 - 審査員の中にある情報を参照し、点数化せず演技同士の比較によって順位を確定する
審査員の主観を交えながら、演技同士を比較し順位のみを決めることを目的とした方法。
比較の際に優劣の理由を深く検討するフェーズが入るため、結果の説得力が強くなりやすい上に審査員の主観があまり濃くならない。
難点としては比較の数が多いととんでもない労力が必要なこと。
少人数のグループ戦やトーナメント形式の大会に向いている。
別のシチュエーションではCVの審査が概ねこの方式と言える。
③相対絶対評定 - 審査員の中にある情報を参照せず、範囲の限定された情報を参照し、点数化を行いその結果によって順位を確定する
大人数を審査する際に、審査員による属人性を落としシステム化を図る際に扱える方法。
比較対象を参加者間や直近1年間のFSなど範囲を限定的に指定することで実現が可能だが、参照データベースを予め用意する必要がある。
正直、新概念の評定方法だと思うが真にペン回しの能力を計るなら審査員に頼り切りの現行整備は脱却したい。
大規模な公式大会をはじめ評定結果の再現性が重要な場合に適している。
④相対相対評定 - 審査員の中にある情報を参照せず、参加者間など範囲の限定された情報を参照し、点数化せず演技同士の比較によって順位を確定する
審査員の主観も交えず、指定の条件を元に完全に相互比較によって決める。
比較時に言語化する際、全てデータを参照できるため最もロジカルに評定を行うことができる。
公式大会のグループ戦やトーナメントに向いている。
という感じ。
「属人的じゃない評定の仕組み」は、③か④のどちらかであり、これ+"D理論"を採用することによって議論の開始地点である「主観や感性を極限まで排除して、論理的に判断し、評定する」という目標を達成することが可能になりそうです。
とはいえ、ぶっちゃけ理想論なので、今後の大会でみんながみんなこの評定方法の内のどれかに当てはめて運用しなければいけないと言っている訳ではないです。
自分で言っておきながら全く浸透する未来が見えないし、受け入れられそうならもっと早くに発信してたよね。
それに③か④で運用したからと言って100%結果が再現する保証もないし……。
まあなんにせよ、過程と結果において決め方がそれぞれ存在し、なるべく統一されている事が大会の質を上げていくのに重要なポイントで、大会の中で「ペン回しの上手さ」を計るために今一度その評定のプロセスに問題がないかどうかを見つめ直してみてほしい、というのが私のお伝えしたいメッセージになります。
(ちなみに①において属人性を下げる方法として、大量の審査員を用意し点数化の評定を行ってもらい、統計的に一般化された結果のデータを抽出するという方法もあります。大会参加者よりも審査員の方が多くなりそうだけど。)
"D理論"の実践
ここまで、単一の基準と同一の尺度によって均整化し普遍的な評価を可能にする"D理論"と、属人的ではない評定の仕組みの作り方を紹介してきました。
どちらも「ペン回しが上手いとは何か?」を主観を介在させずに指し示すための方法でしたね。
ではこれがきちんと機能するか、実践してみようというのが次のステップになります。
そして3年前、これらの論理を考えていた時に、ちょうどタイミング良くあるお誘いが私の元に舞い込んできました。
それが、2020年に開催された第2回06杯の審査でした。
実際には依頼された範囲は審査のみならず、大会の進行とスケジュール・審査の段取りなど丸っと一任という感じ。
これはこれで自分で全ての仕組みを作ることができるので、考えていた理論を試す場としては好都合でした。
という訳で作成したルールがこんな感じ。↓
今見返してみると、全部が全部前項の内容に従っている訳ではないものの、私の主観をなるべく取り除こうとした意図の記載が見られます。
で、具体的に"D理論"を用いて相対的に評価しようという審査方式についての記載を抜粋します。
前提として、まだまだ実力が成熟していない当時の2006年度勢(学年で言えば中学2年生)を評価する上で、「基礎力」と「技術的特異性」に分け、"D理論"における3つの性質を後者としています。
まず相対的にジャッジするために条件となる参照範囲(以降「プール」と呼ぶことにします)を規定する必要があります。
ここでは「今大会の全ての提出動画及び私の見識」としていますね。
「いや結局お前の知識入ってるやんけ!」という感じですが、この大会ではそもそも審査員が私1人という属人性MAXな状態から始まっているので、それを公正に均すために「今大会の全ての提出動画」をプールとして追加で指定しています。
前項でも説明したとおり、完全に主観を排除した審査は理想論なので、最終的にこのバランスに落ち着いているといったところです。
次に、各審査項目の評定方法について見てみます。
10点を最大とし、各出場者を比較して得点を決定することが明記されてます。
評定の「過程」おいて、(プールとしては私の知識も参照するが)相対的にジャッジするという意図ですね。
つまり、(もっと本文を読めば分かる通り)予選では、前項の③にあたる「相対絶対評定」にあたるルールで実施するという意味になってます。
という訳でその結果がこちら。↓
本題とは違いますが、このシートの面白いポイントは1ページ目よりも2ページ目以降の全参加者の得点を元にバロメーターを図で可視化しているところ。
こうすることで未来ある若手に対して、どこが同世代の周りの人に比べて「優れているのか」あるいは「足りていないのか」を一目で分かるようにしています。
以上が予選に関するものでした。
本選についても触れておきます。
本選はトーナメント方式なので、FSの点数化は行わずに勝者を決めれば良いです。
基準となる審査項目は予選から引き継ぎ、それを元に評定を行い、勝敗の理由をコメントで補足するという記載です。
つまり本選では前項の④にあたる「相対相対評定」で進めるという意味になっています。
以下全てのラウンドの講評です。
大会はこの尖った評定方式を用いたものの、各参加者には受けれてもらうことができて感触が良かったと認識しています。
その為、私の中では、"D理論"による三性質の規定と相対性を重視した評定方法は一定の効力を発揮すると確認することができました。
……で、ようやく話が繋がるのですが、この実験的な運用を元にルール整備されたのが今開催中の全日本ペン回し選手権大会になる訳です。
この大会の趣旨や仕組みには賛同できないという人が多そうに見受けられていますが、本質的な問題としては、ルールや仕組みを決めた(意図を理解している)人物が私にも関わらず、私が現在運営に参加していないという組織構造的な欠陥にあります。
(だから多分予選は絶対絶対評定で運用されている。定かではないが。)
この後でも少し語りますが、この大会は私が仕組みで理想を求め過ぎた結果、運営サイドも一般サイドも意図を汲み取ることができず実態が伴わなかったんだろう、と思っている次第です。
まあこれに関しては自分が去年一身上の都合で抜けたのが悪いので、現運営メンバーへの悪口や悪態はご遠慮願いたいところ。
石を投げるなら俺に投げてくれ。
公式大会として目指した姿
全日本ペン回し選手権大会を開催するにあたり、「公式大会」という位置づけの元、「ペン回しの上手さ」における二面性をカバーできるようにする必要があると考えました。
その二面性というのが「オンラインでの上手さ」と「オフラインでの上手さ」になります。
ペン回しの歴史はインターネットの広がりと共にある訳ですが、その中で文化としては「オンラインでの上手さ」が日の目を浴びてきたと言えます。
一方で歴史の中でそれ以外の「ペン回しの上手さ」を決めるシーンがあったのも事実です。
それがNPFをはじめとする「オフライン大会」にあたる訳ですね。
単純に言えば、オンライン(インターネット上で戦う)では思考力や限られた時間の中でやり遂げる力が求められ、オフライン(実地で戦う)では即興力や再現力が求められる、という「ペン回しの上手さ」の性質が異なるということです。
なので、言わば「日本一ペン回し上手い人決定戦」である公式大会においては、「オンライン」「オフライン」という両面から「上手さ」を真正面に捉え運営される必要がある訳です。
そういう理由で全日本ペン回し選手権大会は予選がオンラインで実施され、本選はオフラインで実施される形式になっています。
この形式の大会は長らく開催されてこなかった訳ですが、全日本ペン回し選手権大会よりも前に開催された例があります。
それが2008年に開催された「Pen Spinning Tournament Japan」です。
私は上記二面性の両方をカバーしていたこの大会の形式が最も格式高い仕組みとして在るべき姿だとずっと考えていた、という背景があります。
なので全日本ペン回し選手権大会はこれと同じ形式で運用されている訳です。
また全日本ペン回し選手権大会を立ち上げるにあたっては、私としては「FSを撮影する」ことに鍛錬のベクトルが向いていた今のペン回し界に対し、これからはペン回しの即興性を磨くことにも目を向けてほしいという意図がありました。
Pen Spinning Tournament Japanの後に株式会社ナランハ主催のNPFが開催されるようになった訳ですが、それらの優勝者の面々を見ても、「オフライン」にはそちらだけの真価があることは疑いようのない事実なんだと思います。
そして本来的には「オンライン」「オフライン」の両方で頂点に立てる者こそが真に「ペン回しが上手い」人物といえるんだろうと考えています。
(例えばMenowa*氏はオンラインの世界大会でもオフラインのNPFでも栄冠を手にしており、そういう意味で彼は圧倒的に本物なのだろうと思う訳です。)
という訳で以上が「ペン回しの上手さ」を計るための仕組みの実態的な部分の話でした。
まとめると、
大会は、客観的で公正な評定が行われるようにルールを作るよう意識するべきである。
それは、評定の過程における「相対性」を重視することで解決できる。
「ペン回しの上手さ」には二面性があり、その両面を補完できている仕組みが公式大会としては相応しい。
という感じです。
実際には、「そんな分析的に公正にジャッジできるペンスピナーなんておるんか?」「じゃあオフライン大会における相対的な評価ってどうやるんや?」というような課題もまだまだたくさん残されています。
そういった課題を解決するために頭を使い、実践し、試行錯誤していくのがこの先の意欲あるコミュニティの担い手に求められるひとつの役割なんじゃないかと思います。
相対評価の条件
ここからは話を評価の部分に戻しつつ、コミュニティの部分に目を向けていきたいと思います。
おさらいすると、「ペン回しの上手さ」は、「ペンスピナーは「時間」を用いて鍛錬し、それによって性質が形成されていく」という同一の条件・同一の尺度をもって評価し、ペンスピナー同士の評定では相対的な判断に基づくことである程度公正に見ることができるというのがこれまでのお話でした。
では、ここでは「相対的に見る」ことが持つ注意点を見てみます。
またAさんとBさんの2人のペンスピナーに登場してもらいましょう。
そしてAさんとBさん両者のFSを見比べて勝者を決めることにします。
また条件としてAさんとBさんのペン回し歴は同じだとします。
仮にFSの撮影日はお互いに2023年8月だとします。
つまりごく一般的な提出締切に合わせて撮影・提出しているので、これは問題なく比較して勝者を決めることができそうです。
では次に、Aさんは2023年8月、Bさんは2008年8月にそれぞれ撮影した物だとします。
撮影日としては15年も離れてますね。
この場合はどうでしょうか?
もはや、その結果は実際にFSを見なくても分かるように、仮にどちらも同じペン回し歴2年だとしたら現代ペンスピナーであるAさんが勝ちそうに思えます。
この「見てないのにそう思い込むことができる」のがここでお伝えしたい注意点な訳です。
見てないにも関わらずそう判断できるということは、主観やバイアスの100%で評価しているということになり、ペン回しのFSに基づいた評価を求めているシチュエーションとしては全く公正ではありません。
つまり、時には相対的な評価を行うことはできない場合があり、相対的な評価をする場合には他の条件が必要ということになります。
その答えは単純で、先ほどの例の通り「FSの撮影時期が近いこと」になります。
あるいは「世界の総ペン回し情報量が限りなく近い」と言えるかもしれません。
要するに前提として、「同じ情報量の中から技を選びFSを生み出している」状態でないと比較による評価は成り立たないということです。
しかしこの条件はほとんどの場合でクリアしています。
そして特に、この条件を満たしていて、いつでも相対的にペンスピナーを評価し、我々ペンスピナーの文化に密接に紐づいた、非常に都合の良い「コンテンツ」が既にありますよね。
だから「CV」は必要なんだ
それが「コラボレーションビデオ(CV)」な訳です。
CVはひとつの映像作品の為に各ペンスピナーがそれぞれ撮りおろし持ち寄ります。
持ち寄った動画は煌びやかな編集と共に1つの映像となり数分にまとめられるため、相対的に複数のペンスピナーの実力を見るためのプールとして非常に優秀といえます。
PDS1st以後、世界各地でCVが制作されるようになりこれがペン回しの文化の中心になりました。
このCV文化のお陰で、我々はそれを見て「誰々さんが上手い」「誰々さんが好き」と言った感想を抱き、それが価値観やスタイルになり、自分もCV出演を目指して腕を磨き、更に進化したFSをCVで披露し、それを見た別の人がそれに影響を受け……、というようにペン回しの創造的なサイクルを辿ってきた訳です。
だから「CVは必要なのか?」という問いに対しては「絶対に必要だ」というのが私のアンサーになります。
文化の転換点で
しかしながら、近年CVの公開数は数を減らしているというのが定説です。
きちんと調べてる訳じゃないですが私もこれには同意です。
とはいえどうしようもない物はどうしようもないのかもしれないとも思います。
まずペン回しの動画撮影が2023年の現代社会においてコスパが良いのかという問題があります。
人によっては何時間も掛けてFS撮影するよりも、同じ時間だけゲームやってたりTikTok見てたりした方が楽しいと、ごくごく当たり前のように感じるのではないでしょうか。
またそれはCV制作者側にも言えることで、その制作時間を同じように別の娯楽に充てた方が楽しいかもしれません。
という訳で、現代のCVというペン回し的娯楽は、掛けた時間から得られる最終的な反響や名声が、一般大衆娯楽の即時的な快楽に勝てていないと言えるのではないでしょうか。
今回の話では、ペン回しの発展を加速されるためには相対的に判断可能なプールがあるコンテンツが重要だと述べてきました。
そのプールを維持するコンテンツとして、誰かがCV文化を守ろうとするのか、カウンターカルチャー的に大会文化が盛り上がる時代が来るのか、または新たなカルチャーが勃興するのか、あるいは誰もそのどれに対する努力をせず滅んでいくのか……。
そういう訳で、今我々ペンスピナーは文化の転換点に立っているのではないか、と思うのです。
今一度コミュニティの担い手として、今いるペンスピナーで考えてみてはどうでしょうか。
この時代変化の中で担うべきJEBの役割は?
ではコミュニティの代表としてJEBの役割を、実績ベースで評価しながらみてきたいと思います。
※「ウェブサイト」としてではなく「コミュニティの運営」として捉えてください。
まずJEBがこれまでの長い間コミュニティとして維持できたのは毎年欠かさず実施してきたアクションがあったからです。
日本のペンスピナーで毎年恒例のアレといったら、そう「JapEn」シリーズですね。
JEBが2005年に建てられて以来、毎年クリスマスに日本のトップスピナーを集めてCVを作るというのが今もまだ受け継がれている文化です。
JapEnシリーズがあるからJEBはずっと盛り上がっていたのかというとそんなことは無く、界隈の空気が沈んでる時ももちろんありました。
しかしどんな状況でもJEB運営は律儀にこのJapEnシリーズを制作し守ってきました。
結果として、世界で唯一の文化として今も続いています。
そしてこのJapEnシリーズがあるからこそ、日本のペンスピナーを腕を磨く大きな理由を持っている訳です。
全盛期の私にとっては1年の舞台の中ではJapEnが本番で、それまでに他のCVで感覚の調整をしているような感じでした。
それくらいJapEnシリーズというのは比重が重く、私の他にもこれを目指して努力するという人が多く存在していました。
つまり、JapEnシリーズは多くの日本のペンスピナーの道しるべであり、本質であると言えます。
なのでJEBの役割の1つは「JapEnシリーズを作り続ける事」でしょう。
ここでオンラインにおけるペン回しの二面性について見てみます。
また二面性?って感じですが、ペン回しにはオンラインとオフラインという二面性の他に、「オンラインのペン回し」の中にも更に二面性があります。
ややこしいですね~。
それが「技術」と「芸術」です。
CVで求められるFSは後者の「芸術」的なものです。
CVでは鑑賞されるものとして多くの場合、角が立ちすぎず、欠点が少ないFSが求められます。
この辺はペンスピナー向けには説明不要ですかね。
という訳でCVの最高峰であるJapEnシリーズは、言い換えれば「芸術的ペン回しのコンテスト」を開いている場とも言えるでしょう。
となれば次に求められるのは「技術的ペン回しのコンテスト」の場を、コミュニティ運営サイドとして提供することになります。
これはJEBの歴史の中でまだしっかり根付いていない文化の一面といえます。
という訳で、……まあ、もう言わなくても分かりますよね。
これがJEBが全日本ペン回し選手権大会を開催するに至った経緯であり、新たに担おうとしている役割になります。
なので、JEBは年間の中で「オンラインのペン回し」「オフラインのペン回し」、「芸術的なペン回し」「技術的なペン回し」それぞれを網羅的に品評している(しようとしている)組織と言えます。
これほど視座を高く持ち、力を注ぎ、実行している団体が他にあるでしょうか。
そして、今年の全日本ペン回し選手権大会では冠スポンサーとしてSPIN GEAR様も参加してくれています。
これは素晴らしいことで、SPIN GEAR様はペン回しの競技シーンに可能性を見出しているということです。
この大会は今年で2回目の歴史の浅い大会です。
そこにスポンサーしてくれるということは、これまでペン回しの歴史やコミュニティも含めて評価してくれている他ならず、これはペンスピナー全員が誇って良い事実です。(これは真面目にとんでもなく素晴らしいことですよ!!)
そう考えれば、JEBの仕事については、外の人間は本質を見ずにとやかく言うのは筋違いないんじゃないかと思うのです。
しかしながら、全部が全部野放しに褒められるという訳でもないのが実態です。
現状の文化の転換点の中でのJEBの役割をもう少し分解して読み解いてみましょう。
まあ、最低限はやってる
前項でJEBは「オンラインのペン回し」「オフラインのペン回し」、「芸術的なペン回し」「技術的なペン回し」それぞれを網羅的に品評しているという話をしました。
しかしながら、それはあくまで「最低限」のやるべき仕事なのではないか、とも言える訳です。
先ほどはJapEnシリーズがあるから他のCVでも競い合い腕を磨く理由になるという話をしました。
しかしながら、これも既に述べたように全体CVの制作数は減少の一途にあります。
このままCVという文化が消滅すれば、JapEnシリーズそのものもその存在の根幹が揺らぎ、崩壊していく運命なのは一目瞭然です。
そうなった時にJapEnシリーズがペン回しの文化の本質からかけ離れたガラパゴスな存在として律儀に残るのか、JapEnシリーズの崩壊と共に日本ペン回しコミュニティも霧散するのか、定かではないですが何にせよJEBはこれに対して向き合う必要があるでしょう。
例えば、CVを作ることを目的としたものでは、過去にEditors'という企画がありました。
目的というか手段ですが、PSA CUPの団体戦なんかもありましたね。
そういう風に、これまでにやってきた実績の中で解決策の種になるような企画は山ほどあります。
現状を打破するには、まずは愚直にやってみる事が大事な気がします。
そういった課題解決にアクションできていない理由は、単純に全日本ペン回し選手権大会にコストを掛け過ぎているからなんですよね。
今の運営メンバーは本業の仕事(多くはサラリーマンだ)と並行しながらボランティアとしてJEBの運営業務を行っています。
学生とは違い可処分時間が少ない訳です。
やらなければならない事にリソースを割きまくっているので、やるべきことができていないのが現状だと言えます。
今後のJEBはそのコスト感とバランス感を見極めながら、より内に目を向けて頭を使っていく必要がありそうです。
逆に、コミュニティメンバーの皆さんの役割は?
前項ではJEB運営がなんだか頼りない風に書きましたが、もしかしたらトップダウンで改善されるかは分からないのも事実です。
(ちなみに「コミュニティメンバー」=「日本のペンスピナー」です。JEBに登録している・してないに関わらず、当事者だと思って読んでみてください。)
コミュニティ運営というは想像以上に難しいものです。
運営は内も外も見なければならず、中のメンバーはいつも他人事でその両者の向いてるベクトルの絶妙なバランスによってコミュニティは保たれ、時に崩れそうになったり、時に活気づいたりする訳です。
今運営が厳しい状況にある中では、コミュニティメンバーひとりひとりが課題解決のために努めていくのが理想の形だと私は思います。
そして組織では必ず守らなければならないルールがあります。
それは、何か問題に直面した時に「人ではなく仕組み」を責めることです。
問題があるということは原因があります。
その原因は絶対に人ではなく仕組みだと捉えるようにしてください。
これは理想とか綺麗事とかではなく、企業や大きな組織ではごく一般的な思考法です。
もし今、貴方が何らかのやりづらさやモヤモヤを感じているなら、それはどこか仕組みに問題があるはずです。
その仕組みを追及していくことが、円滑な組織・コミュニティ運営には欠かせません。
つまり、今は「ボトムアップで改善を目指す時期」なのではないでしょうか。
また先ほど全日本ペン回し選手権大会のスポンサーの話も少し触れました。
前提として、JEBの運転資金は運営スタッフの持ち出しで賄われており、これを「存続している」と言うかは怪しいところです。
なので、運営サイドとしては常に収益化が頭にあります。
「収益」といってもそもそも赤字垂れ流しなので、まずは収支プラマイ0に持っていくのが目標です。
黒字を生み出すのが目的ではないということですね。
全日本ペン回し選手権大会は「お金がないのにお金を掛けてしまっている」のはコミュニティ的にはバッドかもしれませんが、スポンサーが獲得できているという意味ではビジネス的な見方をすればこの大会プロデュースで正解ではあるのです。
なので、運営サイドのビジネス的マインドは、コミュニティメンバーとしては理解を示しましょう。
何でもかんでもボランティアや持ち出しで上手くいくほどこの世の中できていないんです。
そんな中で幸いにも今回の全日本ペン回し選手権大会ではスポンサーを見つけることができました。
なので、みんなでスポンサーの期待に応えられるように努めていく必要があります。
着実に実績を積み重ねていけばもっと大きな協力をいろんなスポンサーから得られるかもしれません。
ここでの期待の応え方は、コミュニティが、大会が盛り上がっていることをアピールすることです。
だから、JEBを内から盛り上げ、外から協力を得るための第一歩として、全日本ペン回し選手権大会決勝の会場に足を運んで全力で楽しもう。
文句ばっかり言ってボイコット運動しても何も前には進まない。
これはイジってるとかじゃなくて、マジなんだ。
お客様精神になったら、終わりだ。
お客様に甘んじられるほど、このコミュニティは育っていないんだ。
逆にまだ成熟していなくて小さいコミュニティだからこそ、アナタの力は強力なんだ。
できることからやれ。
会場に来れる奴は来い。
私はステージの上で待ってます。
https://t.livepocket.jp/e/ajpsc2023
おわりに
皆さんの満足いくペン回しライフをお届けできていないのは、ひとえに私が務めを果たせなかったのが大きいと思っています。
そういう悔いを含めて、何か伝えられることがあればと思い今回クソ長文を認めさせてもらいました。
ぶっちゃけここまで読んでる人いなさそうですが、(だからこそ)シェアと感想をよろしくお願いします。
今のペン回しコミュニティに文句があるなら、抵抗じゃなくて(言葉遣いに気を付けながら)具体的に議論をしよう。
余力があるなら、もう行動しよう。
これがペン回しおじさんとの約束だ。
おまけ - "D理論"を用いたペン回し必勝法
せっかくなので自分の持ってる知識のひとつとして実践していたペン回し必勝法を書き残しておきます。
といってもロクに大会で勝ったことないので説得力があるかはイマイチですが……、最低限JapEnに7回出れるくらいの効果はあると思います。
"D理論"は3つの性質を評価項目と置いてペン回しの上手さを計る方法でした。
その理論を使って勝つためには?
めっちゃ簡単です。
3つの内、2つ負けなければ良いんです。
という訳で私が意識していたのは「独創性」&「独自性or個性」の2つでプールの中で負けないようにFSの強度を高めていくことでした。
私の戦いの場は基本JapEnのようなCVだったので、対戦相手は30~50人くらいだと思います。
私は「独創性」には自信があったのでこの項目では1番になることを狙い、他の「独自性or個性」のどちらかでTOP10くらいの上位に入るように心がけていました。
という訳で、これを読んでいる未来ある若手にアドバイスするなら、
「まずは絶対に負けない性質をひとつ持とう」
「ひとつ自信ある性質を持てたら、次にある程度戦える性質を獲得しよう」
の2点を強調して伝えておく。
もっとシンプルに言えば、「自分の強みを理解し、それを伸ばそう」ということです。
またそれぞれの性質は体得するまでに掛かる時間が異なるのもポイントです。
その掛かる時間は、各性質が成り立つための必要な点の数で決まります。
独自性 - 点の数:1
独創性 - 点の数:2~
個性 - 点の数:∞
つまり、身につけるためには「独自性」が最も手っ取り早く、「個性」が最も時間が掛かると言えます。
なので、もしアナタが「今すぐ勝ちたい!」と思うなら、独自性→独創性→個性の順に手を進めるのが良いでしょう。
独自性が先行するといわゆる「大技スタイル」になっていく。
かつては、大技しかできない若手は「凄いけど上手くない」とか「凄いと上手いは違う」とか言われて良く僻まれて頭ごなしに否定されたものだった。
だがそんな言説は今日で終わり。
「凄い」も「上手い」の内のひとつだと、胸を張ってその道を進んでもらいたいところです。
おまけ - "D理論"は汎用的に扱えるか?
ペン回しの上手さを計る指標として"D理論"を提唱しました。
そして、ここで最後にもうひとつの仮説を書き残して、今回の文章を〆ようと思います。
それは、「"D理論"はどのようなシチュエーションでも汎用的に適用できるか?」です。
"D理論"の過程で、時間に着目することでペン回しの3つ性質を分析することができました。
シンプルに言い換えながらおさらいします。
時間に対して、点の性質。
時間に対して、垂直の性質。
時間に対して、平行の性質。
そして自分が思っていることは「これは世界や人間の普遍的な真理として万物に当てはまるのでは?」ということです。
もしこれが正であるなら、前項の「必勝法」と組み合わせて理詰めでビジネスでイノベーションを起こしたり別の競技シーンで活躍したり……、といったことが可能になるかもしれません。
もしかしたらちゃんと研究したら証明できるかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
もし興味持った人がいたら、その答えを模索してみてはどうでしょうか。
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