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正欲 朝井リョウ

 他人が生きている世界を、できるだけ分かりたい。真の理解はできなくとも、理解しようとし続けたいと思って生きている。

 僕の視点は一つだけれど、その背後に僕の隣人(障害者)から見えた世界を意識して、彼らの目を持ってこの町を歩くことができる。まだまだ残る差別、置いてけぼりにされている人たちの権利について、気づくことができる。理解は暴力であり、完全ではないと自覚しながらも僕はある程度「理解できる」と言い切りたい。

 一方で、まだ出会ったことのない人のこと、その人が「マイノリティ」の名前を得ていても得ていなくても、その人のことを理解できるなんて思い上がってはいないつもり。自分の理解の範囲を弁えるのはとても難しい。



 僕が学生の時から、「多様性を認める」や「インクルーシブな社会」という言葉は周りで流行っていたし、その頃からずっと胡散臭さは感じている。それは自らの視野の限界を知らない底抜けの明るさを、少し前の自分と重ねて憎んでいたのかもしれない。

 目を輝かせて語る彼らの理想を否定はしないけれど、現実はもっと泥臭くて面倒で、横文字のスタイリッシュな政策だけではどうにもならない。

 じゃあ僕にできることは何かと考えて、色んな場所にいって、色んなことを考えて、頑張ってきたつもりでも、全然大したことはできなくて。重く暗い自己内省と自己批判じゃ、なにも社会は変わらなくて。

 実は横文字を並べていた人たちも、同じように結局現実は泥臭くて面倒だと知りつつ、少しでもこの社会を良くするために頑張っていたのかなあと今なら思う。



 「正欲(朝井リョウ)」に出てくる人たちは、とても丁寧にマジョリティの私たちに言語化してくれるので、あまり考える隙は与えてくれない。

 「多様性」について考える必要のない人生を送ってきた人たち(僕も大学院に入ってやっと考え始めた)には、これまでの考え方をひっくり返されるような、分かりやすい価値観の逆転みたいなものが起こるかもしれない。と言っても、登場人物が饒舌だから考える暇もなく、衝撃だけが残るかもしれない。

 「多様性」についてちょっと想像を働かせたことのある人、自己批判をしてきた人にとっては、綺麗な言語化に共感することが多いかもしれない。ストレートで強力な言葉がたくさん出てくるから、自分の経験をそのまま重ね合わせて考えることができる。

 月並みだけど、本当に言葉使いが上手い。久しぶりに小説を読んだのもあって、そこにリアルな人間がいるかのような感覚が面白かった。

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