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異なり記念日 齋藤陽道

僕は聞こえる人。

聞こえない(聞こえにくい)人とは「異なる」


趣味とか好きな食べ物とか、共通点は見つけられるし、ほとんど「同じ」人間だと思う。

ただし、聞こえないことによって不便で孤独で辛い一面があることも事実だ。

そういう意味で僕と彼らは「異なる」し、実は彼らの中でも聞こえ方や育ちによって「異なり」がある。




「君は聞こえるし喋れる。(ろうの)私より幸せだ」



先日、初対面のろう者から言われた言葉が頭に残っている。


ぐうの音も出なかった。


「聞こえる」というだけで幸せで問題ない人生を歩めるわけじゃない。僕には僕なりの苦労がある。

彼の「君は聞こえるから何も問題ない、恵まれている」という発言に全面的に同意はできなかった。



でも、反論もできない。

何も知らないのに「聞こえなくても大丈夫、『同じ』人間ですよ」なんて無責任なことは言えない。実際に孤独や不便、差別を感じてきたからこその発言のはず。

当然「聞こえないから不幸だ」という見方も一面的で、とても失礼なことだ。



僕と彼の間には大きな「異なり」があった。




齋藤陽道の「異なり記念日」は著者自身とパートナー(2人ともろう者)の間に聞こえる子どもが生まれ、3人で生活をしていく風景を描いたエッセイだ。

聞こえない夫婦がどうやって子どもを育てていくのかという不安から始まり、自分たちとは「異なる」子どもと生活をしていく姿をとても豊かな日本語で描いている。


手話の奥深さに触れられるのはもちろん、「異なる」他者と繋がり、ことば(視線や表情、身振りも含むメッセージ全て)を交わし合うことの切実さを感じられる。


圧倒的な「異なり」を感じると凹むし、嫌だなあと思うこともある。


それでも繋がろうという気持ちを支えてくれているのは、ことばで他者と繋がることを子どもの頃に教えてもらった経験なのかなあ。


ことばで異なる他者と、そして世界と繋がっていくこと。そういうエピソードがつまった、柔らかな本だった。

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