【意識】見えてるのに見えてない?

先日、とある大学のラボに見学に行ってきたのよ。

その大学の教授とお話ししてきたんだけど、その人はワーキングメモリーをメインで研究してい流人なんだけど、その人と "change detection" の話になったのね。

"change detection" というのは、その名の通りで、変化を見つけ出す能力のことなんだけど、例えば、間違い探しって難しいでしょ?

確実に違うはずなのに、それが見つからないから面白いんだよね?

だけど、それが見つからないって変じゃない?

だって、本来似てるんだけど違う画像が目には映っているはずで、違う画像が網膜に映し出されているはずなんだ。

なのに、僕らには同じに見えるんだよね。

例えば、リンゴとミカンを見ると『あ、違うものだ』ってわかるでしょ?

そりゃそうなんだよ、違うものなんだから。

それと一緒で間違い探しだって本来は違うものを見てるんだから、違いがわかって当然のはずなんだよ。

だけど、見つからないの。

なんでかっていうと、僕たちは入ってきた情報全てに注意を向けることができないんだよね。

例えば、ぱっと視線を変えたときに新しい視点から一瞬でどれくらいの情報が入ってくるか知ってる?

例えば、僕は今これを書いてるからパソコンの画面を見ているわけなんだけど、ここから視線を上げて外の景色を見たとする。

その一瞬で僕の目からは数十万という情報が入ってきていると言われている。

情報っていうのは、多分みんなが思っている以上にミクロなもので、例えば赤い色とか三角っぽい形とか、そんな感じのことね。

なんだけど、その中で僕たちが意識的に注意を向けることができるのって40もないんだよ。

めっちゃ少ないくない>数十万分の40もないんだよ?

そりゃ、見つかんないよね。

間違い探しだと、9割5分くらいは同じなんだから。残りの5分だけが違うって感じなんだよね。

だから、わからないんだ。

間違い探しに限ったことじゃない。

心理学の有名な実験で "change blindness" の実験っていうのがあるんだ。

blindness っていうのは見えないってことだから、つまり、変化が見えないってことだよね。

どういう実験かっていうと、通行人に地図を持った男性が道を尋ねるんだよ。

そうすると、通行人は親切にも立ち止まって教えてくれるんだけど、その最中に大きな看板を抱えた業者役の人が二人の間を割って通っていくんだよね。

で、その間にもともと道を訪ねていた人と業者役の人の一人が入れ替わって、また道を尋ねるんだけど、この時、通行人は人が変わったことに気づかないんだよ。

これ面白いのが、もともと道を訪ねていた人と、入れ替わった後の人が似ている時だけじゃなくて、服装も背丈も全然違う区なっても気づかないし、なんなら性別が変わっても気づかない人だっているくらいなんだ。

性別が変わったら流石に気づくでしょって思うかもしれないけど、もちろん僕もそう思ったんだけど、実際は気づかないらしい。

僕たちはそれくらい人のことを見ていないんだね。

僕も正直、人の顔があまり覚えられないし、初対面の人の顔はほとんど覚えていない。

一度、携帯営業の仕事をしていた時があるんだけど、その時にとあるスーパーマーケットの一角にブースを出して乗り換えイベントみたいなことをすることがあったんだよね。

で、その時にスーパーに買い物に来た人とか、買い物を終えて帰っていく人たちに声をかけて着座してもらうってフェーズがあるの。

で、僕は入り口でこれから買い物する人たちに声かけをしてたんだけど、その時ある一人の女性に声をかけたのね。

で、少し話して断られたんだけど、その後すぐに別の営業マンと場所を交代したの。

それがちょうどレジを終えて帰っていく人たちが通るところだったんだけど、そこで声かけを再開して20分くらい経った時、何も気づかずに女性に声をかけたんだけど、それがさっき僕が入り口で声をかけた女性だったのよ。

『さっき喋ったやん』と言われたんだけど、僕は全く覚えてなかったんだ。

営業マンとしてどうなんだってとこもあるんだけど、僕はあんまり顔を見てなかったんだよね。

だから、『あ、さっきの人だ』ってならなかったのよ。

こんな感じで、僕たちは生活の中で見ているんだけど見ていないものがたくさんあるんだ。

で、そうすると、どういう問題が生じるかっていうと、僕たちがもっと注意を向けないといけないんだけど、それができなくなってるってことだよね。

ただでさえ、自分では集中してるつもりの時でさえ、実は見たものをそのまま観れてはないんだ。

にも関わらず、僕たち現代人の視線はほぼ四六時中スマホの画面を向いている。

そして、必要な時だけ視線をあげるんだけど、そんなことで注意を向けれるはずがない。そうすると、見たはずの物が見えないってことが増えると思うんだよね。

例えば、塾の生徒の中にもスマホを触りながら僕の話を聞く生徒は結構いるんだけど、そんな生徒にも説明をしなくちゃいけないことってあるのね。

で、『大事な情報だからちょっと見て』と紙を見せて説明する時があるんだけど、その一瞬だけは子供達もその紙視線を向けるんだ。

だけど、その紙に大々的に書いてあることを後で尋ねると、そんなん聞いてないって言うんだよ。

つまり、視線を向けるだけで注意は向いてない。視線は向けても見てないんだ。

多分『四角い紙だな』くらいの情報しか彼らの脳内には残ってないんだ。

僕たちはもっと目の前の情報に注意を向けないといけないのかもしれない。

ただでさえ見ているようで見えてないものがたくさんあるんだってことを自覚しながら。

見えてるのに見えてない?


最後まで読んでいただきありがとうございました。


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