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仏教心理学入門~講義のまとめ~

現在参加しているマインドフルネスの心理士のためのトレーニングコースが始まる前に、予習として出されたのが、約8時間の仏教心理学の講義だった(まだ全部は聞けていない…)。Andrew Olendzki教授という、ロードオブザリングのガンダルフ風の素敵なおじいちゃん先生。英語だったけど、すごくシンプルに分かりやすく説明してくれていた。ただ、私の英語力でどれくらい理解できたのかはやや不明である。そして、私のポンコツな記憶力で、どれくらい覚えているか…とはいえ、せっかくなので、興味深かった点をまとめてみたい。


①仏教の起源

西洋の文化はエジプトやメソポタミア文明から影響をうけている。その文明の中では”外部のこと・もの”に対する関心が強かった。どのように外部の環境を変化させるか、どのように外部を自分たちの利用しやすいように形作るか、ということ。一方で、仏教の起源であるインダス文明は、”内部のもの・こと”に関心が強かった。自分の中に生起すること、自分の主観的な経験など。

→なぜこれほどまでに、正反対の違いが生まれたのか!興味深いと思った。

②カルマについて

カルマ、という言葉があるが、これは勘違いされて受け取られることが多い。悪いことをしたら、そのまま自分に返ってくる、逆に良いことをしたら、それも自分に返ってくる、という考え方だが、決して、「悪いことをしたら悪いことが起こるから、悪いことをしてはダメだ」という倫理的な判断のことではない。良い(Right)とか悪い(Wrong)とかの問題ではないのである。

カルマとは、原因と結果のことである。つまり、「不健康なことをした」ら、「不健康な結果」が付きまとうし、「健康的なことをした」ら、「健康的な結果」が付きまとう。きわめて自然なことをそのまま言っているだけなのである。「不健康なルーツ」になるのは、欲(Greed)、嫌悪(Hatred)、幻想(Delusion)である。

仏教では、今の状態(State:瞑想では今の状態に気づくことがメイン)が、行動(Behavior)に影響を与え、特性(Traits)となり、そして今の状態(State)へと影響を与える、と考える。そのため、不健康な行動をすればするほど、それが特性となっていく、と考えられる。例えば、怒りの状態(State)に対して、衝動的に行動(Behavior)をすると、それがその人の特性(Traits)となっていき、さらに怒りっぽい人になる、という考えだ。

カルマについての面白い例え:ある盲目のお坊さんが道を歩いていてアリの行列を踏みつけていっていた。それを見た、坊主が、「あのお坊さんには悪いカルマが起こる?」と師匠に聞いた。すると、師匠は「いや、彼はわざと踏んでいるわけではない。でも、君は彼が踏んでしまっているのはアリたちにとって悪いことを分かっているだろう。だから、君が彼に忠告しなければ、君に悪いカルマが来るのだよ」といった。

→つまり、倫理的に悪いからどう、という問題ではなく、その人の意図(健康的な意図、不健康な意図)が大事、ということでしょうか。そして、健康は意図を持って、健康なことを積み重ねたら、それが、健康は性質へとつながる、ということかな、と思いました。

③「無我」について

仏教では、人は他の生物や自然と同様に、自立したものではなく、あらゆるものに影響を受けて成り立っている、と考える。周囲や自分の中の様々な要素が影響し合って、刻々と変化する。そのため、「自分という感覚(Sense of self)」も、変化し、フレキシブルなものなのだ。「自分(Self)」というのはコンセプト・アイデアに過ぎない。私たちがラベルをつけるから「自分(Self)」になると考えられている。

例えば、パニック発作。パニックを”自分のもの”と考えるのではなく、”経験”であると考える。パニック自体は”自分”ではない。「自分(I)」を取り除いて、「経験(Expriential moment)」を見つめてみること。「今、この瞬間、何が起きているか」を問いてみる。ほとんどの苦悩は、大体「私は~だ(This is me)」「これは私のだ(This is mine)」という「私」のコンセプトにしがみつくことで起こってくる。そのため、「私」が生起したときは、何が起きているか、「私」の感覚はどういうものか、を問いてみるとよい、とのこと。

④異文化の中での仏教

これは、一緒にトレーニングを受けている仲間の質問から。

Q. 仏教では落ち着きが重要視されるが、ある文化圏では、主張が激しい人の方が好まれる(社会的に良いとされる)ことが多い。そういった文化圏の人には、仏教はどのように適用されるのか。

→まず、仏教は、誰にとっても合うもの、ではない(笑)、と。ただ、主張が激しかろうと、うるさかろうと、その背景にある意図や感情が大事、というところは、仏教の教えが当てはめられるかもしれない。つまり、その背景に「怒り」「嫌悪」などの不健康な意図や感情があると、毒(Toxic)になる。基本、健康的な意図や感情のもとの行動なのか、それとも不健康な意図や感情のもとの行動なのか、ということが、それ相応の結果を生むのは、どこの文化圏でも同じなのでは、とのこと。

Q. マインドフルネスを仏教徒以外(イスラム教やキリスト教)の患者さんの治療に取り入れたい場合、どうやって彼らの宗教を尊重しながら、仏教的教えを課すことなくできるのか。

→スペクトラムの問題だと思う。つまり、人間は、全人類が持っている共通性から、一人一人の違い(イスラム教徒の中でも違いがあるように)までのスペクトラムがある。治療者にとって大事なのは、目の前の患者さんが持つ「共通性」と「個別性」をきちんと見極めて、どこまでオファーするか判断すること。例えば、呼吸への注目、というのは、どの宗教の人にとっても、できることだし、大事な治療的要素だと思う。


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仏教心理学を学んでいると、「人間の心理」を明確に読み解いた、昔の英知を垣間見るようで面白い。マインドフルネスが、その中のどの要素を用いているのか、また、マインドフルネスの教示が、どのような結果をもたらすのか、ということに対する理解も深まる。


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