森下照崇 Terutaka Morishita

屋久島の心理カウンセラー 屋久島のこころと体を癒す活動をしています。 私たちの癒しのヒ…

森下照崇 Terutaka Morishita

屋久島の心理カウンセラー 屋久島のこころと体を癒す活動をしています。 私たちの癒しのヒントになるものを執筆しています。 HP:https://sites.google.com/view/yakushima-cure

最近の記事

感謝の”スゴい”効用

勉強されている方でしたら、感謝が私たちの人生を豊かにすることをよくご存知だと思います。 私なりですが、その効果をいくつか挙げることができます。 ・不平不満がなくなる その人や出来事に対して感謝した瞬間、自分の心の中からすっかり不平不満がなくなっていることに気づきます。 ・ポジティブになる どんな苦境にあって、解決や出口が見当たらないと思える状況でも、「ありがとうございます」と本気で言ってみてください。 心は自然と、感謝する理由をその事象の中から探し出そうとするのがわかり

    • 輝くことの二重の意味

      「まずはあなた自身があなたらしく輝くことよ」 これは自分らしさを肯定しきれていない心にとって温かく響きます。 自分を否定することは、ゆっくり静かに毒を点滴し続けるようなものです。 昭和から平成までの間に培われた同調圧力は、これまで社会を発展させかつ均衡を保つために必要でさえありました。 しかし令和になった今、個々人が自分の魂とコンタクトをとり、常にきちんと連絡がつく状態にある必要が出てきました。 ”自分らしさ”が、今後社会を発展させ、人々の間で均衡と調和を生み出す必

      • 料金のお布施方式について

        癒しが起こるということは、私たちにとって自然なことです。 癒された状態というのが、私たちの自然なありようであり、逆に病んだ状態というのは、自然から外れたしまっているということを意味します。 あなたがあなたでありさえすれば、そこには何の介入もいらないし、 何ならお金だってかかりません。 そんな誰もが持っている権利に対して、他人が癒やされるための条件を設定し、金額を設定するとすれば、それは癒しが特定の条件でないと起こらないと決めていることとなり、それは必然的に癒しが起こらな

        • 心理療法の限界を超えて

          心理療法の世界は科学的な世界です。 それ自体は非常に洗練されつつあり、今では多くの人の心と体の健康に役立っています。 療法、というくらいですから、基本的には苦しみを取り除くための方便ということになります。 苦しみには原因があって、その原因に正しくアプローチすることによって結果をコントロールするという極めて科学的な取り組みが、現在の心理療法の根底に流れている思想です。 これはこれで素晴らしいことです。 変に非科学的なスピリチュアルなアプローチは危険であるばかりか、施術者側

        感謝の”スゴい”効用

          エネルギーと”わたし”

          いわずもがな、宇宙の全てはエネルギーです。 エネルギーの反映である階層の一つがこうして五感で捉えられる現実として表れていると思えば、私たちは必ず、常にエネルギーの影響に晒され続けていることになります。 着る服の色に気を使うのも どの職場に勤めるのかを吟味するのも 誰と一緒にいたいと思うのかも お気に入りのアイテムのこだわりの形があったりするのも 全てはエネルギーに気を遣っているのと同じだと思うのです。 そういった意味で私たちは、目に見えないものを信用しないと言いつつも

          エネルギーと”わたし”

          考える人たち

          みんな考える 何かあると考える 何もなくても考える 考えるって、そんなに便利なことなのかな 便利なこともあるけれど、ちょっと疲れない? でも考えないって、ちょっと怖いかも 目の前の人と、大地と、空と、花と、いのちと 考えないで触れ合うって、どうしてこんなに難しいって感じるのかな 自分については? 考えすぎてると、自分の声ってぜんぜん聴こえない 聴こえたらほら、それだけで色々がうまくいく気がするよ それにはちょっと勇気がいるけど あなたは一人じゃないから

          瞑想の森

          屋久島の森に入ると、瞑想に入る 瞑想にも色々あるけども 森の中での瞑想は 現在進行形であること 只中にあって、立ち止まらないこと 生を眺めることではなくて、生をまさに謳歌すること この島の森は、僕たちから言葉を消し去ってしまう 森の強烈な瞑想が、僕たちを巻き込んでゆく だから、心が洗われるんだろうな 余計な考えが浮かばなくなるから 言葉にならない色々を”からだ”に感じる 実感はただ実感として 「なんにも言えない」 でもこれが、けっこう幸せ 中身のな

          ゆりかご

          小さいころ 田舎のおじいちゃんに憧れた タバコを咥えながらチェーンソーを使う背中 地下足袋を履いて畑に繰り出す姿は、誰よりも輝いていた 本当にかっこよかった 僕もそうなりたいと思った 本当はおじいちゃんの子供になりたかった 少し大きくなって、同じ仕事をしてみたけれど おじいちゃんと同じ道を歩かないことがわかった おばあちゃんが言っていたことの意味がやっとわかった 僕は、おじいちゃんにはなれない ちょっと悲しかったけど 自分でも最初からわかっていた気がす

          生きている ー 生きてゆく

          生きているということと、生きてゆくことは違う 誰だって生きることはできる 生きてゆくことのほうが難しい でも、生きていることが大変なこともたくさんある しんどくて、もう諦めたくなって、何もかも放り出したくなることがある そんな時は、逃げたったいいじゃないか 敵兵から隠れるために、泥の中に身を潜めることもあるのだから それだって、大事な生きるチカラ 生きている、をなんとか続けていくことだって 気づけばほら、生きてゆくことなんだ。

          生きている ー 生きてゆく

          エゴは敵じゃない

          エゴは基本的に、払い除けられるものや乗り越えるものと思われています。 実際のところ、エゴがない方が、緊張や戦い、不安や恐怖から離れられることを、誰もが経験として知っています。 自分の人生をよくしようと奮闘し始めると、このエゴが最大の敵になってきます。自分自身が最大の敵、というやつですね。 また、自分の人生が何かおかしい、うまくいかない、いつも同じところでつまづく、というような状況になったとき、その原因を自分のエゴに求めようとするのは自然なことです。 なのでエゴを”取り

          心のブロックは外してはいけない

          心理的なブロックが働くことによって、私たちは挑戦の機会を失い、自信を持てず、満足できる人生を歩むことが難しくなります。 例えばお金に対する抵抗や、新しい自分に踏み出すことへの恐怖、人と繋がることへの大きな不安などがあると思います。あるいはもっと深い部分でのブロックもあります。 それらのブロックが外れることで、私たちは自己理解が進み、より自分らしく生きることができるようになります。 しかし、私からすると、ブロックだからといって外してしまうのはもったいないと思うのです。 あ

          心のブロックは外してはいけない

          スピリチュアルに生きるということ

          私自身、10代の頃からずっとスピリチュアルな生き方を探求していきました。 その中で迷うことも多く、たくさんの間違いもしてきたし、人を傷つけてきたこともありました。 意識的なスタートから10年以上たった今振り返りますと、自分の内側が変化していく過程として仕方なかったとは思いつつ、どこか自分の内面での課題が、今でも残っているのを感じます。 頭を柔らかくすることが大切です。 バガヴァットギータとの縁をいただいてから、全てのあり方を肯定する広い境地があることを知りました。

          スピリチュアルに生きるということ

          【閲覧注意】自分らしさ≠物質的豊かさ

          霊的に高度な生き方をしたり、自分らしくハッピーに、などの生き方をすることが、なんとなく金銭的に豊かになったり、良い人間関係に恵まれるなどの現世的幸福とイコール関係で考えられている昨今。 このことに違和感を覚え、スピリチュアルや自己実現系と距離を置いている人もたくさんいると思います。 霊的な充実に物質的な充実を期待する傾向は、よりスピリチュアルに生きようとする魂の衝動と、一方で物質的なものを手放しきれないエゴとの間の葛藤によって生じます。 つまりこの現象は、私たち人類のた

          【閲覧注意】自分らしさ≠物質的豊かさ

          子を愛せないのはなぜか

          完成された極めて例外的な存在は除いて、人間に完璧な人などいません。何においてかといえば、人を愛する能力です。 私たちは、かなりの頻度で自分のためにならないことをしていることに、多くの人が気づいているものです。そんな未熟な自分を抱えながら何とか向上しようとするのが、私たちの多くが理想とするあるべき姿なのかもしれません。 人として最も大事なのは人を愛するちからだと、私は信じています。計算が早くても、力持ちでも、いかに独創的なアイディアが出せても、人を愛するちからが伴わなければ

          子を愛せないのはなぜか

          話すことは、放すこと。

          自分の内側で色々考えてはみても、モヤモヤがスッキリしないとき、 また誰かに話をしたけど理解してもらえたとは思えなかったとき、 問題はあまり解決には向かわない。 しかしちゃんと理解してもらえたと感じた時、 自分の中がスッキリして、解決に向かいはじめます。 それは、話すことによって自分の中の問題を”放す”ことができたから。 安心して話せたとき、問題は自分に覆いかぶさるのをやめて、 目の前に置いて距離ができるので、見ることができるようになります。 自分のことは誰しもわからな

          話すことは、放すこと。

          カルマ理論と一族の系譜

          同じ血族とはいえ、世代間での違いや摩擦はどの家にもあります。若者が年長者を古臭くナンセンスと断ずるのと同じように、若者の青臭い行動を鼻持ちならないと我慢している年長者も大勢います。 今回タイトルにカルマ理論と入れましたが、かくいう私も同じ世代間ギャップの渦中にいる存在として、その内側に居ながらにして感じたことを簡単に述べたいと思います。 なお、今回お話しするのはあくまで私自身のインスピレーションによる仮説ですので、コラムとして流してくださればと思います。でももしかしたら、

          カルマ理論と一族の系譜