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3月初めは大叔父が亡くなってひとり暮らしの大変さを実感した一週間だった

 気が付けば3月も10日になってしまった。何だか毎月そんなことを言っている気がする。20日の給料日は給料を貰える嬉しさよりも,「え,もうそんな時期?!」と驚く日に成り下がった。年を取るってこういうことなのかもしれない…(多分違う)。1月終わりの出来事をちゃんと記事にしようと思って,タイトルと内容の大枠を考えたところで2月が終わってしまった。
 言い訳をすると,3月初めに大叔父が亡くなって,少し多忙にしていたのである。大叔父って…?とお思いの方が多いだろうから一応説明すると,母方祖母の妹の夫,つまり直接的な血縁はない。普通だったらそこまで濃い付き合いはないのだけれど,子どもができなかった大叔母夫妻のもとに母が養子になっていた時期があり(戸籍の移動はなかったらしい),私にとって大叔父は3人目の祖父のような存在。母からすれば叔母夫妻なので「おじさん」「おばさん」と呼んでいたのに倣い,私も「おじさん」「おばさん」と呼んでいた。
 大叔母は約10年前に亡くなり,数年前に施設に入所するまで,叔父は広い平屋にひとり暮らしを続けていた。御年97歳,死因は老衰。大往生である。
 大叔父はとてもまめな人で,遊びに行くといつも家の中はきれいに整っていた。大叔母も几帳面で細やかな人だったので,大叔母が存命のうちもいつもきれいに家の中が整っていたのだけど,それをそのまま引き継いだ感じだった。なかなかできることではない。大叔父は戦後に警察官になり,定年まで勤め上げた人だ。武勇伝みたいな話はほとんどせず,何かの事件の張り込みがきつかったな…というくらいしか聞いたことがない。いつもニコニコと優しい顔をしていたけど,まっすぐ線が一本通っている人なんだな…と,何となく感じていた。
 施設は私の実家からほど近いところだったので,葬儀も実家の近くで済ませた。近親者…といっても昔の人できょうだいが多く,参列者は30名ほどだった。大叔父の意向か母の意向かは不明だが,余分なことは何もせず,大叔母のときにお世話になった住職にお経をあげてもらい,みんな笑顔で送ることができた,いいお式だった。生前,酒好きだった大叔父の呑み相手をしていた父が「こんなふうに死ねたら,幸せだよなぁ」とぽつりと述べていたが,私もまったくその通りだと思った。
 葬儀の翌日から,母はさっそく後処理で飛び回り,数日その手伝いをして過ごした。普通だったら大叔父の遺産は大叔父のきょうだいとその親族で配分されるのだろうけど,大叔父は母に託したかったらしく,「だったらちゃんと遺書を書いて」と言われた通り手続きを済ませていた。それでも,人が亡くなった後の片づけというのは本当に雑多にあり,特に大叔父は警察関係者ということもあって,隙あらばそちら方面からの連絡があったりして,思った以上にバタバタした。加えて,母も70代と立派な高齢者で,大往生とはいえそれなりにダメージがあるらしく,ときどきTo Doリストの一項目がすっぽり抜けてしまい,その補填をするのがまぁ大変だった。母は私と同じへそ曲がりで,上手に人に頼ることができない人なので,「私がやるって言ってるからやるの」ぐらいで介入しないと手伝わせてもらえなかった。本当にめんどくさい。とりあえず,2日ほど様子を見ながら手伝いをし,あとは「時間をかけて片付けるしかないね」となったので,きりがいいところで居住地に戻ってきた。

 明日から仕事かー,でも午後出勤だから朝はのんびりでいいかー,何て思いながら眠りについた翌朝早朝,激しい腹痛で目が覚めた。ここ数年,年を取ったせいか,アルコールアレルギーが顕在化したり,揚げ油であたったりすることがよくある。それと同じような腹痛,そして吐き気…。時間ははっきりしないが,多分6時ぐらいから下痢嘔吐が始まり,結局その日一日治まらなかった。出ているので脱水にならないように水分を録ると戻し,それで腸が刺激されるのかお腹が渋る…,大袈裟ではなく生き地獄である。文字通りうんうん唸ってのたうち回っていた。症状が落ち着いた隙に,一応親にラインで「こんなんだけど」と聞いてみたけど,私以外はケロッとしている模様…,くそう…。
 腹痛と吐き気も確かに苦しかったけど,いちばん私を悩ませたのは「いかにおもらししないか」であった。ひとり暮らしの悲しさ,別にもらしてもいいけど,自分で片付けるのである。下の世話をする仕事をしてきたから別に気にはならないけど,何となく人間の尊厳を奪われる気分になる不思議。他人の世話はできるけど,自分の下の世話をするのはどうしてあんなに戸惑うのか…。気持ちの話は別として,危機管理の一環で大人用のおむつを用意しようか…と本気で考えていた。一瞬,救急車を呼ぼうか,それともタクシーで病院に行くか…と考えたが,おもらしの危機は変わらず,病院に行ったところで点滴をして帰ってくるだけだというのは分かっていたし,こんなボロボロの状態で人前に出るのはさすがに…と考えてやめた。プライドが先立っていたのである。それくらいなら別に行く必要もないか…とはそのときは思わなかったけど,とりあえず自宅療養の道を選んだ。幸か不幸か,大叔父のところから引き揚げてきた栄養飲料やゼリー類が結構あって,山歩きでいつでも使えるようにスポドリの粉末も常備してあった。完璧である。これにおむつさえあったら…。一瞬,ペットシーツを使おうかとも考えたが,自分で片付ける姿を想像して憐れみを感じやめた。

 正直,ひとり暮らしで不便を感じたことはあまりない。…と,最近まで思い込んでいたかもしれない。前に一緒に働いていた人に,「風邪ひいたときとかどうするんですか?私だったら無理ー」と,ケンカを売られているのかマウント取られているのかよく分からないことを言われたことがあるけど,「そんなの準備して備えるしかないじゃん」と思う訳である。一昔前は,オーディオ機器の配線ができない女性が普通に存在していたらしいが,それも「説明書読めばいいじゃん」と思っていた。私の場合は説明書を読まずに勘で進めようとするので,それで混乱するのだけど…。そんなことよりも,誰かと一緒に生活することの方が,私にとっては負担が大きい。それは,今回のようなことを経験しても,変わらないところではある。でも,ひとりで「快適に」暮らすためには,もうちょっといろいろ備えないといけないだろうなぁ…とは思った。
 大叔父の葬儀で経歴を振り返ったのだけど,子どもがいなかったわりには地域活動にはちゃんと参加し,近隣住民との関係を大事にしていた人だったんだな,ということをつくづく感じた。同じひとり暮らしであっても,私は職場での人間関係はそこそこ大切にしているものの,地域のつながりは今のところ皆無である。もちろん,持ち家と賃貸という住居形態の違いや世代差というものもあると思うけど,ここは自分が高齢者と呼ばれる年齢になるまでには何とかしないといけないだろうな…と改めて思った。
 そして健康に留意することの大事さ。これは,大病をしないということだけではなく,小さな体調の変化にも気を使い,適切な対処をすることがいかに大事か,ということである。「医療者の不養生」を体現しているようなところがあるので,気になることがあったら受診しないと…。でも,ここ最近の不調は大概老化現象によるものなんだよね…,そう思うと「まぁいいか」となってしまう。受診するか否かはおいておいて,自分でできる対策はできるところからしておいた方がいいだろう。引き続き,筋トレなどの運動習慣は続けていきたいものである(ここのところサボり気味だったけど…)。

 今回のことは不運といえばそうなのだけど,改めて「健康に暮らすこと」について考えるいい機会になった。とりあえず,近いうちに人間ドックの予約を5年ぶりにするとしよう…。

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