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多文化共生の担い手

2022年度のYokohama International Youth Photo Projectに、大学3年生の私はボランティアとして参加した。
「外国につながる」若者として日本で生きてきた私は、多くの困難や大変な経験をしてきた。自分のルーツやアイデンティティに関する葛藤、学習言語の習得が困難であったこと、自分の外見に向けられる偏見や差別の目線、ロールモデルの欠如など、、、本当に様々だ。

そのような環境の中で、志望高校に進学し、慶應義塾大学に通うことができた私は、一部のコミュニティでは「ロールモデル」であり、お手本とされる対象でもある。

講演会などにも参加し、自分の経験がどのようなものであったのか、外国につながる若者たちに向けたメッセージなどを発信してきた。「多文化共生の担い手」として見られるプレッシャーに応えたい!という気持ちと裏腹に、そんなカッコいい存在であることに疲れて、「外国につながる、ワタシ」という肩書きが重く感じられることもある。


今回のボランティアは、その重荷から解放させてくれるものだった。

中高生の作品はどれもクリエイティブでユニークで、テーマの解釈から表現の仕方まで全てが本人のものである。私がボランティアとしてできる事は、活動の準備を進めたり、印刷の手伝いをする事だけだ。誰かに何かを教えることもなければ、かっこいいことも言わなくて良い。ここでの活動中の私は、ただのメリッサだ。

インターナショナルユースにとって、自分の経験を共有したり、相談したり、誰かの成功談から自分が何かを得られるような場はもちろん重要だ。
でもそれだけじゃ、疲れませんか?

「多文化共生の担い手」もダサくありたいのですが、ダメですか?
きっと、その重荷から若者を解放させたら、もう少し楽しい方法でも問題解決への糸口が見えてくるのではないだろうか?

Melissa


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