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個人的創作と集団的創作について

小説や漫画は、ほぼ個人的創作で、アニメやゲームはほぼ集団的創作となっている。
コミックの中でも縦スクロールコミックは集団的創作のものが多い。
それらの違いなんかについて思うことがあったのでつらつら書いてみる。

集団的創作の権利について

先に述べた通り、アニメやゲーム、縦スクロールコミックは1本の作品を作るのに、多くの人が役割分担をしながら関わっている集団的創作物になる。それに対して小説や漫画は個人的創作物であるといえる。
ただ、小説は多くはアイデアや表現を編集者と磨いたりするので、集団的創作の側面が多少あるし、漫画もアイデアやセリフなどは編集が関与してたり、絵もアシスタントが関与してたりするので集団的な側面がある。
ただし、著作権はどちらも小説家、漫画家個人に集約されるケースが多い。
もちろん複数の著者が最初から関わっているケースもあるし、最近の漫画は原作と作画で分かれているケースも多いが、おおむね1名~3名程度の個人に権利が集約される。
著作権で見ると、そもそもアイデアには権利は発生しないし、アシスタントについては表現にかかわり創作的関与はあるであろうから厳密には著作権は発生しうるものの、その創作度合いもあいまいなので難しい。また、どこまで厳密な契約をしているか千差万別だろうけども、漫画家からアシスタントへの業務委託契約として、著作財産権をその発生と同時に発注者である著者に譲渡し、人格権については行使しないような内容になっているのであろうと思う。
そういった、権利譲渡と人格権の不行使を定めた内容の契約は集団的創作をする場合に良く使われるものになる。
なぜならば、集団でひとつのものを作っているときに、全員が完全に納得するものなんて作れないし、全員の完全な納得を得る努力をするのは時間の無駄だからだ。
ハッピーエンド派とバッドエンド派の争いで、コンテンツが完成しない。なんてことになったら草も生えない。そこに力をかけてきた全員の不幸でしか無い。

集団的創作物のメリット

集団的創作物は権利が個人に帰属せず、会社組織などにまとまっていることが多いため、柔軟に使えるのが大きな利点になる。
アニメやゲームがたまに驚くようなコラボなんかをするが、それは組織が権利行使についてジャッジしていることの影響も大きい。個人に帰属する好悪があまり判断に影響せず、経済的利益などが重要視されるため、時に作品性とは逆行するような権利行使が行われる。
逆に個人的創作の場合、著作者個人の判断になるため、個人の好悪や思想などに影響される。そして、逆説的に著作者が全部判断しなければならない、という状況となり、忙しい著作者の時間を奪う。

個人的創作物のメリット

一方で創作とは思想や価値観の発露でもある。
そのため創作が個人的なものであればあるほど、個人の個性が発揮された尖った作品が出来上がりやすい。それは明確に個人的創作の利点だと思う。
良い表現をすれば個性的、裏を返せば独りよがりな作品は、個人的創作であってこそ生まれるのものだろう。
そういった作品は、波長の合う人にはとことん刺さる。一方で波長がずれれば見向きもされないし、場合によっては嫌悪される。
言ってみれば宝石の原石みたいなものだろう。多くの人は磨かれた宝石のほうが好きだが、原石のほうが好きな人だって確かにいる。
商業出版される作品は、作品であると同時に商品でもあるので、編集者に磨かれて世に出される。つまり部分的に個人的創作のメリットを制限するかわり、客層を広げている。
集団的創作で世に出されるものは、その制作過程で、多くの人の意見や思想が交じる。アニメを例にとっても、脚本は脚本家が起こしているかもしれないが、ストーリーラインや展開などは脚本会議などで監督やプロデューサーの意見が交じるし、その後も、コンテでも、原画でも、何ならアフレコなどでもそれぞれの担当がそれぞれの考えを持って作品づくりに携わる。監督やプロデューサーは作品コンセプトなどを示し、方向性は共有するが、細かいところはそれぞれの現場が決めていく。各過程で意見がぶつかって磨かれるため、極端に尖った作品は出てきにくい。

個人的創作物を原作に集団創作をすること

どちらもメリットもあればデメリットもあるが、個人的創作をベースにした小説や漫画を原作にして、集団的創作のアニメやゲームを作るのは、実は微妙なんじゃないかという気がする。
原著作者がいるので、版権の自由度は完全オリジナルより弱くなり、一方で、原作の尖った部分は、弱められがちになる。
先に述べた通り金額規模も大きくなるから、狙いはさらに広い層になるため尖りすぎたものは歓迎されないということも、その傾向を強める。
微妙に噛み合わない。
それでも原作を小説や漫画に求めるのは、アニメやゲームは作るのにかかる労力が大きく、お金もかかるため、10回やって1回当てるような挑戦はしにくいことと、やっぱりこの作品を映像で見たい! というような願望が捨てきれないというのもあるだろうなと思う。

究極的な創作について

最も個性の尖ったものを作りたい人は、完全オリジナルの同人誌でも書くのが一番良い。客層を気にせず、自分の作りたいものを追求することができる。
ただ、それで経済的な成功を求めるのは無理だ。唯一、波長の合う理解者を見つけてパトロンになってもらうという手はある。それを芸術品と世の中では呼ぶ。

※表の絵はCopilotによるAI生成のもの。「集団的創作」を絵にしてもらったら非常に怖い絵ができた。インパクトは強いけどさ……


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