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年齢を重ねると”感動”が減ると思ってたけど、つくる側になったら、増えるのかもしれない

20代までの私は、たくさんのことに心が揺さぶられ、感動を覚える場面が多かった。初めての場所、人、経験に溢れ、自分が知らない世界がこんなにもあるものかと、目をキラキラさせていた日々を思い出す。自分の至らなさや、不甲斐なさにうんざりしつつも、刺激の多い日常に、毎日飽きることなく過ごしていた。

30歳を過ぎた頃から、「あれ。これは○○に似てるな」「前にも見たこと、聞いたことあるな」と感じる瞬間が増えた。海外旅行が趣味な私は、イタリア、スペイン、フランスとヨーロッパ諸国を訪れることを繰り返し、いつしか「あぁ、去年行ったあの街に似てるな」とか、最新の曲を聴いては、数年前のあのアーティストの曲調だとか、過去の事例に当てはめる自分がいた。(2020年はYOASOBIの群青を聴いて、サカナクションのバッハの旋律を夜に聴いたせいです。に似てると思ったので、重症かもしれない)

自分の経験が、過去の経験のリピート作業だと感じ始めて、悲しさを覚えた。もちろん、自分が知らないことは、まだ世の中に多くあることはわかっていたし、知っていることと知らないことの比重が変わっただけの話。自分が全部知っているという傲慢な思いは毛頭ない。

このまま、感動することは減っていくのかな。年齢を重ねればそんなものかな、となかば哀愁のように捉えていたが、何かが違う気もしていた。

そこで違和感を感じたのは、感動は与えられるものだという、ほしがる自分。欲しがる人ほど手に入らない、俗に言うgive&takeの話だ。今までたくさんの人から学び、貴重な経験もした。その中でどちらかと言うと、感動を味合わせてもらった側だ。妙齢になり、私はどれだけ感動をつくれているのだろう。

考えるきっかけになったのは、この記事を投稿して、多くの反響をもらったときだ。

今までプライベートを公にするのは、どこかおこがましいような気がして控えていたが、そろそろありのままの自分を出して、とやかく言われても、自分が自分を許せる気がして、踏み込んだ話を書いてみた。

そうすると、こんなコメントをいただいたり、親しい知人からも、涙したというDMを複数もらった。

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こんな私でも人に感動を与えることができたのかな、と思った瞬間だった。と、同時に感動してるのは、誰よりも私だった。

今までは、ひたすら感動を受けにいこうとしていた自分だったが、感動をつくっていくクリエイターになることが、一番感動できるのではと気づく。

今までいただいた感動を自分の糧として、人と人が感動する循環をつくる一員になってもいいかな。年末のこの時期に、また新しい感動を得た。




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