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5年間の日常的非日常

少し前に、Twitterのサブアカウントを作りました。

基本的にシェアや告知は元から機能していた本アカウントの方で、雑談や心情吐露のようなことはサブアカウントでツイートすることに。

リアル友人や一方的にファンでフォローしている相手もいる本アカウントと違って、サブアカウントはあくまで一定以上の付き合いがある知り合いしかフォローしない、というスタンスを取ることにしました。

こうやって思いきって分けてみたところ、快適なのなんの。

ぶっちゃけ、今年に入ってからお酒の席などでリアルに知り合った人たちともホイホイTwitterアドレスを交換していて、最初はタイムラインが賑わいで楽しいなあくらいに思っていたのですが、何をつぶやくにも気を遣うようになってしまって、誤解を生みそうなことやネガティブなことや自嘲的なことは言いづらくなり、堂本剛さんばりに正直しんどくなりまして。

サブアカウントは鍵こそかけていませんがそう大っぴらに世に発信する気などさらさらない、俺の俺による俺のためのTwitterというジャイアニズムに溢れた内容にする所存なのですが、こっちの方が遥かに健康な気持ちでつぶやけますね。眠かったら眠いって言うしダルかったらダルいって言うし。

noteには、リアルの知り合いはほとんどいません。別に隠しているわけでもないけど、基本的には訊かれなきゃ言わない。

もちろんnote経由で知り合って食事の席を共にした人や遊びに行った人もいてそれはそれで楽しかったのだけど、自分がここに留まる目的は別にリアルな出会いではないのですね。

なんか好き勝手……、というと聞こえが悪いですが、やりたい時になにかしらブチ撒けられる場所というか。

この5年間、それをずっとやり続けているだけでした。だから自分のコンテンツが何なのかは未だによくわかりません。強いていえば文章を書くのは昔より馴れたかもしれません。

リアルな友達や日常は大事なのですが、なんやかやで5年間ヘラヘラと過ごしてきたこのアカウントも大事なもので。

……などと綺麗なことを述べていますが、まあ裏で文句を言ったこともあったし、仮想通貨おすすめ系の宣伝フォローうぜえと思ったこともあったし、noteにミュート機能つけてくんねーかな……とかもぶっちゃけ……本音ですが。


いちおう創作SNSという形式で始まったという(ぶっちゃけもう今はそうではなくなってしまったと個人的には感じている)経緯も関係があるのかないのか、noteはどこか非日常的なSNSだと自分は考えています。

いや、普段のごはんの写真を上げている方も多いし育児エッセイもいっぱいあるんだけど、それでも非日常的な匂いがします。ユーザーさんが増えてメジャーなSNSになりつつあっても、それは変わらないように思います。

この非日常は、今後もたぶん続くのでしょう。相変わらず自分は何者なのかよくわかんないんですけど。

眠かったら眠いことについて書くし、ダルかったらダルいって書くし、トイレについて熱く語りたくなったらトイレについて語るのです。

トイレについて語るシリーズ、自分ではかなり気に入っているので、別に公式おすすめに入らなくてもいいからもっと読んでほしい……。

……うん、思いっきり日常だよね、トイレの話って。

上は、自分の単独エッセイテキストとしてはもしかしたら最高傑作なのではないかと思っているのですがスキ少なくてさみしい。読んで。

ちなみに今回のヘッダー画像は、地元の駅のトイレにの壁に置いてあったブロッコリーです。トイレの壁にブロッコリーを置くのはやめなさい。

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